9年前のワークショップ


「――舎利倉さん、大丈夫?すぐ保健室に連れて行くからね」


 真秀は一階に降りると、別棟の保健室まで中庭をショートカットした。


「え……ちょ、ちょっと」


 ベンチで友だちとおしゃべりしていたさっちゃんがすかさずスマホを取り出す。


 まだ教室でだべっていた三人。愛実のスマホから通知音が鳴った。


「……は?」


 LIMEを開いた愛実が固まる。


「どした?愛実」


「さっちゃんから。杏がムーミンに姫抱っこされて保健室に運ばれてったって!」


 すぐに写真も来た。


「うわ、マジじゃん」


 三人は顔を見合わせ、ほぼ同時に立ち上がる。


「行こ!」


 愛実の掛け声と同時に、三人は教室を飛び出した。





「あ。ムーミンいた!」


 保健室から出てくる真秀と鉢合わせた三人。



「ムーミン先輩っ!」


 真っ先に駆け寄ったのは愛実、珠樹と優美も続く。


「杏、どうしたんですか!? 」


「大丈夫なんですか?今先生在室中ですか!?」


「てか、何があったんですか?」


 三人が口々に質問を浴びせると、真秀は一瞬驚いたような顔をしてから笑った。


「大丈夫。今、ベットで休んでる。貧血みたい」


 三人はほっとして顔を見合わせた。


「よ、よかったぁ……」


 真秀は笑いながら言った。


「でも、どうして保健室に居るってわかったの?」


 愛実がLIMEを開いて真秀に突きつける。


「姫抱っこで中庭ショートカット!ムーミン先輩、もういろんな人に目撃されまくりだってば」


「あちゃあ。やらかした」


「でも、なんで中庭通ったんですか?」


 優美の問いに、真秀は苦笑しながら頭をかく。


「……あれが一番早いから。廊下ぐるっと回るの、まどろっこしくてさ」


 三人は同時に「はぁ〜〜」と息をついて、それから笑いあった。




「僕、舎利倉さんの荷物取りに戻るから」


「あ、はい。すみません、お願いします」


 真秀が行ってしまうと、珠樹がぽつりと言う。


「明日っから噂だね~」


「まあ、既成事実って事でいいんじゃない」


 二人をおいてさっさと保健室に入って行く優美。二人もそれに続いた。






「杏、大丈夫?」


「うん」


「それにしても倒れるなんて。音楽聴いてただけでしょ?」


「うん……」


 杏は図書室であった事と、小1の時の思い出を語りだす。




 ~~~~*~~~~




 小1の夏。駅西にある児童館で、サマーキャンプの募集があった。


 といっても宿泊はなく、日帰りのデイキャンプ。工作や遊びを組み合わせた、一週間のプログラムだった。


 参加するのは子どもだけで、親は送り迎えだけ。


 当時の杏は少し引っ込み思案な子で。でも工作や絵を描くのは好きだった。

 募集を知った彼女は、ママと相談して参加することに決めた。


 初日。

 キャンプリーダーのあいさつが終わると、さっそくみんなでハンドルネームを決めて、名札を作る。


 男子と女子に分かれて作業開始。輪になって、わいわいとハンドルの相談をする。


 小柄で眼鏡を掛けた子が、杏に声をかけた。


「ねぇ。色白だし名前が“あん”だから、“モッチー”は?」


「…モッチー?」


「わたし、二重餅はぶたえもちが好きなの。白くて、“アン”が入ってて、かわいくておいしいでしょ」


 その子はにっこり笑った。

 杏もなんだかうれしくなって、つられて笑う。


「……うん。モッチー、かわいいね。そうする」


「じゃ決まりね!わたしはどうしよっかなー」


 少し考えて、モッチーは思いついたように言った。


「“ユーミル”は?」


「ユーミル?」


「わたし、ミルクがすきなの。で、それにあなたの名前、合わせた」


「いいね!」


 ふたりはさっそく、カラーのフェルトペンとグリッターペンで、名札にハンドルを書いた。



 男子に、ちょっと短気な子がいた、ハンドルは『ごっちゃん』。彼はユーミルの幼馴染で、彼女のいう事にはなぜか素直に従う。そのため、彼女は“猛獣使い”と言われていた。


 キャンプは毎日楽しかった。


 土器を作ったり、スライムを作ったり、マイ箸を削ったり、キャンプの庭でそうめん流しをしたり。

 うどんもし、どんぐり入りクッキーも作った。マシュマロやへびパンも小さな焚火で焼いた。


 モッチーとユーミルは、いつも隣にいて、いっしょに笑って、いっしょに遊んだ。


 こっちゃんは不満だった。ユーミルを取られたような気持ちだったのだ。


 最終日。

 ユーミルは家庭の都合で昼から参加することになった。


 モッチーはこの一週間で他の子とも打ち解けていた。今は男女で分かれてコラージュを作っている最中。


 女子のテーブルにごっちゃんがやってきた。ストッパーのユーミルはいない。


 もっちーの顔を覗き込むようにして、底意地悪く言った。


「なあ、お前、なんでそんなに白いんだ。真っ白病か?」


 モッチーはびっくりして手を止めた。

 ごっちゃんはニヤニヤ笑いながら、さらに続ける。


「それに“モッチー”だって?ダッセー」


 モッチーは下を向いたまま、何も言えなかった。

 胸の奥がずきんと痛んで、手の中の切り抜きを握りつぶす。


「だんまりかよ、うぜえ!このくそブス!ぼつぼつニンジン!ぶっさいく!死ね!消えろ!!」


 その場の空気が、一瞬にして冷たくなる。

 他の子たちは怖くて身を縮めて、誰も何も言えなかった。


 涙が滲んで、止まらない。


「泣くのか?だせー」


 その一言で、モッチーは泣き声を上げてその場から逃げた。

 サブリーダーが目を離していた、ほんの短い時間の出来事だった。




 昼すぎ、ユーミルがやって来た。モッチーはどこにもいなかった。


 ――ごっちゃんが怖かった、モッチー帰っちゃった、


 と皆が口々に教えてくれたので、

 ユーミルは何があったのか知った。


 出席簿の横に置かれた名札を手に取る。

 そこには、きらきらしたペンで書かれた“モッチー”の文字。


 モッチーは駅東の子で校区も違う。たぶん、もう会うことはない。

 ユーミルは名札を見つめ、唇を噛んだ。




 ~~~~*~~~~




「―――― わたし、今日までその事忘れてた。神崎君が真秀先輩を罵った時、急にその事思い出したんだ…あの時と同じだった。もしかしたら、神崎君が苦手なの、ずっと心のどっかで気付いていたのかも…」


 優美は目を潤ませながら、そっと杏に抱きついた。


「杏、ごめんね……」


「え?」


「モッチー、久しぶり。わたし、ユーミルだよ」



 真秀が保健室に戻ると、三人はちょうど出てくるところだった。


「あ、先輩来た」


「ムーミン先輩、杏の荷物ありがとう」


「杏もう体起こせたよ」


 なぜかいつもと正反対な湿った声で言う、三人だった。






「舎利倉さん、大丈夫?これ、バックね」


「ありがとうございます」


 なぜか彼女も涙声だ。


「あの、何かあったの?」


 杏は真秀にも、九年前のことを語りはじめた――

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