怪・異世界談~女流怪談師、氷の宰相の召喚獣はじめました~

枯尾 はな

◆第〇話【異世界召喚】

◇第一章<召喚は失敗?> 1節

「ユウナ──俺は、お前を使って、政を成す」


 馬車の窓越しに、冬の空が静かに暮れゆく。

 遠ざかる街の喧騒、車輪が石畳を叩く音が乾いたリズムを刻み、揺れる影と共に、光がだんだんと色を失っていく。夕焼けの金が群青へと変わるころ、その密閉された空間の中で、彼は無機質な声でそう告げた。


 冷徹で、残酷で、それでいて自信と決意に裏打ちされた、揺るぎない言葉。

 私のことを守ってくれていたのではなかった。ただ……全て見透かしたうえで、だけだったのだ。


 『氷の策士』と呼ばれるにふさわしい、先見の明と冷静さを兼ね備えた男。

 そして私は、ようやく気付くのだった。

 この国の未来に絡め取られるようにして、彼に選ばれてしまった、自分の“役割”──きっと全ては、最初からこの人の手のひらの上だった。


 怖い人だ、と思った。

 でも、それと同時に……彼の描く未来を、隣で見てみたいと思ってしまった。


 物語は、そこからようやく回り始める。

 始まりはあの日、日本で訪れた、とある遺跡での出来事から──‥‥



 その日、弓槻ゆづき夕奈ゆうなはひどく嫌な予感を抱いていた。


 撮影現場は、山奥にある地元で『日本のストーンヘンジ』と呼ばれている奇妙な遺構──古代の祭祀場跡だといわれているが、専門家の間でもその正体は定かではない。苔むした石が円形に並び、その中心に黒ずんだ巨石が立っている。幾世代にもわたって伝わる地元の言い伝えでは、かつてその場所で“人ではないもの”と対話するための儀式が行われていたとも。


 夕奈は、撮影用に用意された黒地の着物を着ていた。足元は、赤い鼻緒が差し色になった草履。撮影映えはするが、山道を歩くには向かない恰好で、足元のぬかるみや小石にたびたび足を取られていた。

 近くまでは番組スタッフのハイエースで移動したが、遺構までは道が狭く、車を降りてからしばらくは歩かねばならなかった。


(あー、着物の裾が……でも黒で良かった。汚れが目立たないし)


 足元を気にしながらも、夕奈はふっと息を吐いた。

 が、次の瞬間。


「あ……」


 足元で、ぷつん、と感触がし、草履の鼻緒があっさりと切れた。

 バランスを崩して足を踏み外し、危うく転びかける。


「弓槻さん、大丈夫ですか!?」

「すみません!すぐに替えの草履用意します!」


 慌てて駆け寄ってきたスタッフに支えられ、夕奈は軽く笑って誤魔化したが、胸の奥では別の感情がざわめいていた。


(足ひねったー!痛すぎる!ていうかこの石段、苔滑るし……あ、今なんか踏んだ!虫!? 虫じゃない!?)


 彼女は、表面上は落ち着いているように見えただろう。けれど内心では、ずっと小さく悲鳴を上げ続けていた。


 番組のカメラが回る前でも、彼女は“怪談師らしい佇まい”を崩さない。

 それどころか、普段から感情を表に出すことはしてこなかった。霊感が強いこともあって、昔からことを悟られると、向こう側から寄ってくるのを知っていたからだ。


 だから、いつしか自然とポーカーフェイスが身についていた。

 でもクールだとか、物怖じしないとか言われるたびに、内心では(いや、普通に怖がってますけど?)と突っ込みたくなる。


(……というか…鼻緒が切れるって、なんか……これ、悪いことの前触れなんじゃ……)

(でもまあ…この後に話すネタにもなるし、プラマイプラスかな?)


 彼女がこの地に来たのは、ネットで流行り始めていた『ある噂』がきっかけだった。


 ──古代の祭祀場跡の石に、ある日突然、謎の印が現れた。


 形容しがたい幾何学模様、けれどどこか意味を持つように見える──それは、ある地元の登山客が偶然撮った写真から広まった。その写真が火付け役となり「古代の呪術師の印に似ている」とオカルトマニアの間で、SNSを中心に瞬く間に注目の的となった。

 そして、そこに目をつけたのが、テレビのバラエティ系心霊番組の制作スタッフ。「今ネットで話題のオカルトスポットで怪談を語ったら、何か出るんじゃないか?」という、話題性重視でオチのない企画の為に呼ばれたのが、夕奈だった。


「FooTubeと連動して企画やろうって話になっててさ。人気の女流怪談師さん、出てくれたらうれしいなって」  


 ディレクターの言葉に、内心(大丈夫かな…)と思いながらも夕奈は控えめな笑顔で頷いた。


 彼女──弓槻夕奈は、“新進気鋭の女流怪談師”として名を知られる存在だった。最初は趣味で始めたSNS上の動画投稿だったが、その語り口と恐怖演出の巧妙さが評判を呼び、去年くらいからはテレビや舞台イベントにも呼ばれるようになっていた。

 明るい照明の下で語るよりも、静かな空間で淡々と語るタイプ。声を荒げたり脅したりせず、をそっと差し出すようなスタイルが、熱心なファンに支持されていた。

 年齢は二十五歳。けれど、実年齢よりもいくぶん幼く見られることが多く、本人もそれを少し気にしている。だからこそ、今日は黒地の着物に、いつもより落ち着いた色味の化粧を選んだ。 黒くて艶のある長いストレートヘアは、後ろで赤い紐できゅっと結い上げているのがトレードマーク。 顔立ちは華やかというほどではないが、大和撫子を思わせる控えめな瞼と、切れ長で涼しげな目元が印象的で、ファンの間でも「落ち着いた雰囲気のクール美人」と評判だ。


 けれどその『怪談師』としての歩みの裏には、彼女の生まれ持った“霊感”があった。


 子どものころから、なんとなく見えてしまう。

 視界の端に、誰かが立っていたり、背中に視線を感じると思ったら、鏡越しに誰かと目が合ったり。それが当たり前のまま育った彼女は、あるとき「それを語ること」が、自分にとっての救いであり、“武器”になり得るのだと気づいた。

 誰かに話せば、その怖さを共有できる。語ることで、自分の中でも恐怖を受け入れ、消化できる。そして話したことはすべて“語りの種”になる。そう思えば、この霊感すらも悪くない──そうして夕奈は、自分の異能……霊感を受け入れるようになっていった。


「──で、その、これなんだけど……すげぇ不気味だよな。ま、旅行客のイタズラか、地元のやべぇ奴が書いたんだろうけど……」  


 スタッフの一人が、石の一つに刻まれた黒い模様を指さす。

 明らかに人為的で、だがスプレーの跡やハケの跡はない。浅く彫刻した部分に、インクを流し込んだかのような質感。形状は円と直線と、幾つかの古代文字のような線を組み合わせたもの。中央にひときわ濃い印があり、そこから波紋のように文様が広がっている。

 到底後から書き足されたもののようには思えなかった。


「……これ、本当に、元々ここに書かれていなかったんですか?」

「らしいっすよ。地元の人曰く、先週まではなかったって」  


 夕奈は、目の前の印を見つめながら、かすかな違和感に眉を寄せた。この空間の空気──湿気でも風でもなく、が肌にまとわりつく。


 これは、危ない。

 頭の奥で、鋭い理性が警告を鳴らしていた。


「……でもまあ、イタズラでもヤラセでも、雰囲気バッチリ!画面映えしそうで良かったですよ~!」  


 スタッフは笑いながら撮影の準備を始める。しかし夕奈は、その『印』から目が離せなかった。


 ──それは、どこか、懐かしいような気がしたのだ。


 それは、祖母の家の仏間で、幼いころに見た古い経文の一節。

 それは、彼女がかつて見た夢の中にだけ現れた、正体不明の“黒い手”。


 気がつけば、彼女の指先は、その印の中央に触れていた。


 ──目の前で光が、弾けた。


「ッ──あ……やばい、これ……本物だ……」


 夕奈の体が、宙に浮いた。

 耳鳴りがする。


「え!? どうしたんすか弓槻さん!?」


 スタッフの声がどこか遠くに聞こえ、反響し、霧散する。

 光が渦を巻き、身体が引き裂かれるような違和感を感じ、ぎゅっと目を閉じる──。

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