空気の魔女
『…最近『あのお方』が活発なんだよ』
最悪だ。要は『空気の魔女』のことだろう。
目の前のキショガリが放った言葉に立ち眩みを覚えた私は無意識に後ずさる。
この後ダメ押しとばかりに何か、とても恐ろしい糞ムカツクことを言われた様な気がするがもうよく覚えていない。
空気の魔女、「空気」といっても呼吸で使うほうの空気ではなく、人の集団の意思決定に影響を及ぼす「雰囲気」という文脈での空気、要は「空気読めよテメエ」の空気である。『活発』…つまり、
要するに、空気の魔女はその意思決定の場に存在する「空気」そのものを任意に操作することが出来る。これに逆らえるものは人間、魔女問わず存在しない。加えて、
空気の魔女が日本国内と認識している全ての地域はその影響から逃れられない。
卒倒寸前でマンションの壁に身をもたれさせ、街を見下ろす。
今日は朝から何か良いことが起こりそうな予感がしていた。澄んだ空気、微かな金木犀の香気、低下しつつある湿度、いい感じの気温周囲の全ては実溢れる幸せな季節の到来を予期させていたのである。
全て奪われた。
サタンの代理人みたいな女に全て台無しにされた。
おむすびの美味しい国で一人だけコオロギ食ってる気分になった。
…許せない。
既に
空気の魔女は本邦最強の魔女である。
私と同様、認知領域へ影響を与える類だが、ある意味最終兵器といってよい。
ただし、人間の統制下にはない。自然災害的魔女である。
宇宙まで行ける(?)ウサデンも、インターネットバトルモンスターの私も魔女としては足元にも及ばない。空気の魔女がその気になれば私など数分後にはデビルマンの終盤よろしくモブ・ジャスティスからのネギトロにされてさようならである。
一般的に魔女は年齢と強さが比例すると共に、魔力が尽きない限り生命活動を維持することができる。個体差はあるが時間の経過に伴い魔力は少しづつ増加する傾向がある。強大な魔力はその魔女が生きて(?)きた悠久ともいえる時間の証明といえる。ただし通常、空気の魔女程に強大な存在に至る前に壊れてしまう。あまりにも長い時間に人格が耐えられないのである。
ではなぜ空気の魔女は人格を保っていられるのか。
「ちょっと足りていない」のである。もっとストレートな表現をするなら、
もう『馬鹿』としか言いようがないのである。
この空気の魔女、空気だけにどこにいるか分からない。基本的には会おうと思って会えるものではないが、人が意思決定のために集合するタイミングで、ある種の雰囲気(空気)が場に充満している場合現れることが多い。
出現頻度の高い場所としては「国会」である。
当然、空気の魔女は特に専門的知見や学識見分がある訳ではないのだが、
慈しみ深く、その行動原理は基本的に善意である。
久しぶりにテレビを点ける。
丁度国会中継が行われていた。
いた。端に座っているが一発で分かった。
一言で言うなら『部屋の中の象』
空気の魔女は人間からハッキリ認知できる場合とそうでない場合がある。今回については多分、人間は気付いていない様に思われた。
非現実的なその体長は周囲の衛士や議員をはるかに上回り、一見して出来の悪いコラ画像の様であった。体重はおそらく五百キロを優に超えている。外観からでは判断が難しい部分が多いが、その巨体を余裕で支持している骨格や丸太の様な太さの四肢に加えて、やや青みがかった白い肌とペンタブラックの長髪といった外見的特徴は、強烈な生命力と共に制御不能な暴力性を感じさせた。不気味さだけであれば八尺という別系統の妖怪に近いが、人語を解する点が逆に拍車を掛けていた。眼鏡越しの眼は純粋で、どこまでも透き通り、それは利他的な『やる気』に満ち溢れていることがわかった。
確かに、空気の魔女は以前見た時より明らかに落ち着きが無い様に見受けられた。
未解決の問題が蓄積し、余裕が無いように見える。
空気が活発化するということは周囲の
最近、インターネット上における正義の所要が増大し、私は不覚にも空気の魔女の動向観察から離れてしまっていた。
ここ数年はずっと平和だった、国会中継で空気の魔女が
「えーっ…かわいそうじゃない?」
などど呟くたびに周りの官僚・幕僚的役割を担う魔女達が
『ですよね!そのお気持、わかります!』
『わかります、わかりますよ~お姉さま、全部わかります!』
といった形で一定の理解を示した上で必死に「でも~…」と根拠をもって全部否定し、議会が空気に飲まれて安易な解決方向に向かわない様、必死に方向修正を行っているのが私には見て取れた。
それが今はどうだ?
空気の魔女の口の動きから発言を推測すると、
『なんでこんなに
『一万円札の原価は約二十円なんだから金印刷して配りまくれば良くない?私何か間違ったこと言ってる?』
『なんでぇ〜;_;』
危険な兆候だった。
既に議会は『金刷って配りまくれば良くない?』という空気に傾きつつあった。
まわりでわたわたしながら空気にレクをしている官僚的な魔女も私と同系列の魔女である。これは極論かもしれないが戦後約80年間、本邦魔女の最も重要な使命は空気の魔女の制御であったと言っても過言ではない。
放っておくと冗談抜きで国が滅ぶのである。
実際に空気の魔女によって我が国は破滅寸前まで追い込まれたことがある。
日露戦争勝利後、我が国の勢力圏は急速拡大した。これに伴い魔女特有の強烈な縄張り意識の範囲も拡大、安易な性格と悪魔合体して空気の魔女はいよいよ手の付けられないモンスターと化していた。
覚えている限り日独伊三国同盟締結の辺りからその兆しはあったが決定的に空気の魔女が軍令に影響を及ぼし始めたのはマリアナ沖海戦の敗北あたりからだったと思う。
論理的に考えるならサイパン島が陥落して絶対国防圏が崩壊した段階で手打ちを模索する以外の選択肢はあり得ないのだが、一般的に知られている通り、その後、
一説によれば対米戦争の犠牲者の9割はサイパン島陥落以降に発生しているという。
後に知って一番やばいなと感じたのは戦艦大和の沖縄特攻である。
『敗戦で大和が健在っていうのは…少し恥ずかしくないかな…?』
空気の魔女の呟きでポエムの様な命令が発簡されることとなった。
具体的な計画としては大和を沖縄に突入させるというもの。
突入させるというのは要するに、湾内に大和を座礁させ、巨大な砲台としてひたすら連合軍に対する砲撃を行うというものである。
弾薬が尽きた後、乗組員は陸戦隊として上陸し、防衛戦を展開する。
時は1945年、航空優勢の確保は既に困難な状況であり、艦隊が沖縄にたどり着ける可能性ははっきり『無い』と言って良い状況であった。
同様の理由に加えて艦隊の機動に必要な燃料、物資も欠乏しているため、リンガ諸島等、東南アジアへの展開も不可能である。
そのため、例えば現配置の人員を揚陸させて艦そのものは本土(呉)から移動させずにそのまま固定砲台として利用するとか、元来の本土決戦戦力としての運用に近いある程度現実的なプランも存在した。
しかし、空気の魔女は我々の全ての警告を無視して沖縄特攻を強行させた。もちろん実際に指示したのは人間だが、そうするのが当たり前であるという空気になっていたのである。
結果的に九州南方の東シナ海海上で大和以下6隻が撃沈、約四千人が戦死することとなった。
そのころ補佐すべき周りの魔女はどうしていたかというと、ウサデンは九十九里浜、私は南九州への米軍着上陸を想定し、情報収集のためそこら中を走り周っていてそれどころではなかった。他の魔女も同様である。
というかあの時点で何か進言したところで聞いて貰えなかっただろうと思う。
空気の魔女が『活発化』した際に人の進言を聞き入れたのを見た記憶がない。
言い出せばキリがないが、どうも状況が極まると、『ゆめ』と『現実』の区別がつかなくなる傾向がある。
その後の終戦も象徴的だった。連合軍の魔女達は1945年11月のダウンフォール作戦発動に先立ち、原子爆弾を含む利用可能な全てのリソースを用いて空気の魔女を破壊する方針であった。
これは空気の魔女の固有スキル『一億総特攻』の発動を阻止するためである。
『一億総特攻』が発動した場合、影響圏内の生きとし生けるもの全てが一体となって空気を読み、連合軍に襲い掛かることとなる。
これは日本国内だけではない。敗戦間近とはいえ、中国大陸には約百万人、朝鮮半島には約二十万人の日本軍が駐留しており、これらが一体で襲い掛かってきた場合、上陸作戦の完全な破綻どころかそのまま数十年単位の延長戦が予想されたからである。
だがそうはならなかった。
代わりに発生したのは『一億総懺悔』であった。
これは空気の魔女が仲介を期待していたソ連から中立条約の破棄、参戦という形で裏切られ、メンヘラ化してやる気を失ったからある。
当然、私を始めとした諜報畑の魔女はヤルタ会談のはるか以前の段階で極東方面における鉄道の整備状況、軍の移動、通信量等から、
・ソ連の参戦はほぼ確実。もう時間の問題であること
・早ければ45年の夏以前に宣戦布告が予期されること
については報告していた。まあ、碌に検討はされなかったのだろう。
『しゃーない!切り替えていこ!』
「昨日勤皇 明日は佐幕」とは誰の言葉だったか、スイッチを切り替えたように日本全体が戦後民主主義の空気となった。
その後高度経済成長期を迎え、64年には東京オリンピックが開催された。これら一連の流れは空気の魔女に極めて不適切な成功体験を与えた可能性があった。それは、
『ノリと勢いでキモチぶつけて…失敗してもなんとかなるやん…』
ということである。
もちろんなんとかならない。特に近年の国内外問わず複雑怪奇な情勢において、この成功体験に基づいてレジャー感覚で方針を決められると何が起こるか分からない。
思想的にアナーキストに近い私ですら風が吹けば桶屋が儲かるような単純な世の中ではないことくらいは理解している。安易な制度の大改編や革命による政権の打倒は却って平和から遠のく場合がある。
『わるい独裁者』のカダフィを倒したら、流出したリビア正規軍の武器が北アフリカに流出し、テロリストのディズニーランドが誕生した様にである。
戦後、空気の魔女はその悪影響があまりにもデカ過ぎることから、実態が見えないにも関わらず日本特有の現象として個別に学術研究の対象になる程であった(ちなみに研究中でも『妖怪』扱いだった)。
ちなみに私はこの空気の魔女を補佐する魔女集団通称『空気軍団』からは普通にハブられている。魔女の特徴的性質である筈の縄張り意識が薄めの私は一般的な魔女共とは党派性が違い過ぎ、連携が困難な為である。
生来の縄張り意識に由来するものだが、『本邦の守護』が多くの魔女の自認する存在意義であり、大多数が強烈な保守派もしくはオルタナ右翼である彼女達(?)の多くは私の様な魔女が持つリベラル的価値観にまったくと言っていい程に興味を示さないのである。
私はそうではなかった。実力のある者をドシドシ天皇にするべきだと思っていたし、移民もわしわし入れるべきだと思っている。そうすれば少子化も解決するし、暴動が毎日発生するアメリカやフランスの様な面白い国になると思うからである。
空気の現状がいまいち伝わって来なかったのもそのためである。
ウサデンの魔女以外の奴らとも、どうも気が合わなかった。
『てめえ、インターネットで暴れ散らかしてるだけだろ』
数年前に空気軍団の一人にこの様なことを言われ、激高し、半殺しにして以来、在宅での活動を命じられている。なお、私としては遊んでる認識は一切ない。というか、最古の記憶からずっと働いてる。一体自分は何?キューブの管理人?
『女三界に家無し』ってレベルじゃねえぞ…私のこと誰が好きなん?
私ってヤクネタなんかなあ…?
封建主義のバケモノ集団である本邦魔女界において私の様な魔女は性病よりも歓迎されない。
本邦魔女の互助会、強制加入団体である『日本魔女なかよし連合』における本年度のスローガンが『滅共2025』の時点でお察しである。
なお、空気の魔女は戦後も
『(任意の国)、ぶっ壊したいなぁ…』
『子供達の教育にはもっと『ゆとり』が必要じゃないかな?』
『全ての国民が平等な、パラダイスみたいな国を作りたいなぁ…』
と、大暴れであった。
思い付きで動く空気の魔女に伝統を重んじる他の魔女達が水を差すことでバランスを保っているのである。
でももう、今の取り巻きでは無理。
で、こんな時の為に飼われているであろう私が呼ばれた。
久しぶりに…会ってみるか…
空気は身内の魔女には優しい。というか甘い。だから私のような『まつろわぬ民』の存在も許容される。基本的には話も聞いてくれるだろう。
ただし、一度キレると歯止めが利かない上に何がそのトリガーとなるのか、行動方針が理論ではなく心理的動機により決定されることから未だにハッキリしていない。
側近ですら完全にはわからない。だから活動期の空気の魔女には近付きたくないのである。
最悪の場合、来訪者全員にもれなくタイヤネックレスがプレゼントされて終了する可能性もある。
ただ、明確に指示されたわけではないがウサデンが伝えてきたあたり、もうほぼ業務命令みたいなものだろう。
同調圧力をかける様な形で空気を読ませ、動かされるのは癪に障るが、これ以上、周囲の関係者に『レスバの魔女』扱いされるのはまずい。
マジで油でカラッと揚げられかねない。
それに考えてみれば最近、周囲で不審な兆候が多すぎる。
ウサデンとのやり取りも気になった。
朝一、確かにアイツ会った記憶がある。
でもよく思い出してみると臭いが少し違った気がする。あすけんの女が爪を剥ぎに来る様な挑戦的食生活を送る売女にしては雰囲気からしてやけに健康的だった。
『骨粗鬆症の狂った生物兵器』という私の脳内ライブラリの分類と一致しない。
今更ながら強い後悔の念に襲われていた。
憎しみ、先入観、レスバに負けたくないというキモチがあまりにも強すぎて細部に気を配っていなかった。
朝会った時、殴るか、せめてライターで軽く手を炙るなどしておけばよかった。そうすれば反射的な放電等で確認できたのである。
一体この状況は何?
私がよく似た他人に話しかけていたということ?
心までインターネットになっていたということ?
…もしかして中身が別人だったのか?
この可能性について考えた瞬間、動悸、汗が噴き出すのを感じた。
それはあたかも、身体が無意識に思い出しそうになっていた『何か』を反射的に避けるための防御反応の様に思われた。
なんだ、この感じ。
久しぶりに嫌な予感がする。
私はテレビを消し、ノイズキャンセリング付きヘッドホンを装着、
お気に入りの音楽、音量を上げる。安心空間が生まれる。
そういえば、匂いは最も人の記憶を呼び起こすという。
意味もなく冷蔵庫を開ける。ヨーグルトとブドウを取り出し食卓に置く。余り物の卵焼きとハムをレンジにブチ込む。味噌汁を温める。
パンをトースターをブチ込む。ブレーカーが落ちる。
パソコンはダウン。
ヘッドホンはノイズキャンセルを継続し、私の居室に静寂がもたらされた。
ルームライトが消え、窓から差し込む自然光が目の前のモニターに反射
私と…真後ろに立つウサデンの姿を映していた。
腋の下に衝撃が走った。
同時に左手で口を押えられていることに気付く。
声を上げられないまま腋の下から胸部を刺突したとみられるナイフが同様に首にも突き立てられる。
襟首を捕まれ、床に引きずり倒される。うつ伏せになった私の背中に馬乗りになったそいつは髪の毛を凄まじい力で掴み、頭を引き上げ、今度は私の眼球を刺突しようと試みていた。
「現実から逃げたいんでしょ?手伝ってあげる」
左手で首の刺傷を覆いつつ、右手でナイフを持った敵の右手首を握りしめ、2~3回ほど床に叩きつける。
敵の腕力は私に匹敵、この時点でウサデンではない。
敵は私の抵抗を挫くため、髪を掴んでいた左手で私の顔面を地面にたたきつけ、親指を顔面、厳密には眼球にねじ入れようと試みる。
意図を察知した私は顔前に差し出された手の指に思い切り噛みつく。
薬指と小指を引き裂かれた敵は手を思い切り手を引き抜きそのまま私の左こめかみのあたりを集中的に殴りつけてくる。
指と眼球に対する集中攻撃はチンパンジーが人間を襲う際もよく見られるそうで、この形態がこの形態を攻撃する際の定石なのかもしれない。通常の人間であれば最初の刺突で既に人事不省、ほぼ即死しているところ、そこは魔女の生命力である。敵もそれはわかりきっているようで、動揺等は一切感じられなかった。
様々な要素から敵が人間である可能性はゼロである。
「いや、死ぬっしょ…(笑)ここは…(笑)空気読んでよ…(笑)」
テメエが死にやがれと言いたい一方、先ほどの刺突で傷付いた気管咽頭部からは泡沫状の喀血と獣の様な唸り声が漏れるのみであった。
敵は『台本通りに動け』とばかりにウサデンに似た声で述べた後、今度は先ほど切り裂いた私の首筋に手をねじ込もうと試みる。
私はその動きに呼応して頭を下げ、首を守ると見せかけ、思い切りのけぞり敵の人中に頭突きをお見舞いした。
この一瞬馬乗りになって私の胴体をコントロールしていた敵の体幹から力が抜ける。私は直ちにそれぞれの手で敵の袖を握り、床に同時に叩きつけると共に、それを力点、腰を支点としてうつ伏せ状態から膝を正座の様に折りたたむ姿勢を無理やり作為する。
それとほぼ同時にナイフを持った敵の右腕を両手で掴み、二の腕をマフラーの様に自分の首に巻きつけつつ、渾身の力でたまたまその場にあったテレビ台を蹴り上げ、それを推進力として敵を前方に投げ飛ばした。すぐに立ち上がり、間髪入れずにトースターを両手で持って仰向けになった敵の顔面にお見舞いする。
魔女基準の全力で叩きつけられたトースターはタングステンの塊に当たった銃弾が同心円状に弾ける様に、元が何の機械だったか判別が不能なレベルで粉砕され、それは敵の首より上に存在する全要素を同様のレベルで巻き込みつつ部屋中に広がった。破片は全ての家具に突き刺さり、一部は音速を超えてホワイトオーク製の机を切り裂き、窓ガラスを粉砕して空の彼方へと消えていった。
魔女と結婚するならDVはしない方が良い。
「今、誰か空気読めって言った?」
凄惨な現場にそぐわない声がした。
刹那、皮膚にピリピリ来るような感覚、熱いわけでもないのに発汗、耳鳴り。先ほどとは比べ物にならない程の圧を感じる。
空気の魔女が部屋に現れた。
伸縮自在の体を二メートル程度に圧縮しつつも質量保存の法則に従い、
フローリングを所によって破壊しながら飯を食いに部屋を這い出るニートの様に自然に表れた。
なお、先ほどの騒ぎ程度で人間の警察が臨場することは無い。
ここは官の妖怪が集団で住まう集合住宅、日本のパンデモニウムである。
理屈は不明だがマンション内は聖域の様にシャットアウトされている。人間に内部の状況を認知することはできない。
ここは一応、都内の閑静な住宅街だがマンションが一つだけ花火大会の様になることが、ままある。でも誰も疑問を持たないし、抗議が来たこともなければストリーマーを名乗るカスが凸してきたこともない。
何故かというと普通に怖いのである。
誤解の無い様にあえて申し述べておくが、ここでいう『怖い』とは神秘性や畏敬の念を基盤とした未知の存在に対する恐怖ではなく、『ヤクザマンション』的文脈での『怖い』である。シンプルに関わり合いになりたくないのである。
元々何かの聖地だったらしいとも何かを敷地内に封印しているとも言われており、建物は関係者以外の立ち入りを高度に制限している。
張り詰めた空気、一挙手一投足が全方位からカメラで監視されているような感覚は、ディエゴガルシア島やドラッグストアコスモスに匹敵する高度な警備態勢下にあることを感じさせた。
ただし、この厳重な警備はあくまで妖怪ではなく人間向けである。
さっき私に襲い掛かって来たバカ。外見は完全にウサデンだった、おそらく指紋認証も顔認証も突破できるだろうし、そもそも律儀に玄関から来たのか。今この瞬間も屋上に魔女が着艦している。
要するに意味無いのである。
空気の魔女がフローリングを踏み抜いた。右足を、その付け根まで床にめり込ませ、こちらを見つめる。マジで何しに来たのこの人。
見た感じ、『観戦』『野次馬』である。
明らかに目を輝かせ、手の隙間から見物している。
「ああ!先に入ったらダメって言ったじゃないですか!」
玄関から魔女関連の事件捜査を行う魔女がどたどたわたわたと入る。
所謂『警魔隊』である。
黒い専用のジャケットに身を包みむこれら魔女は魔女内のいざこざを仲裁する監察としての役割を担っている。空気の魔女をみんなで引き上げ、規制線を設置すると共に、現場検証を開始する。
「あー…顔わかんないじゃん、これ…」
「難航するよ…も~、これ…どうなのよこれ…」
現場を検証する者たちとは別の捜査員グループとみられる者たちが血の海に座り込む私を一瞥すると、他の捜査員に指示すると共に、3人程で近付いてくる。
私は確かに血まみれだが、寝れば一晩治る程度のものである。
助けが遅い点について嫌味の一つでもお見舞いしてやろうと思ったところ、
と胸を突かれるような通告を受けることとなった。
「お前さ、ちょっと悪いけど一回逮捕するから」
「は?…何で??こっちは被害者なんだが?…は??は???」
「さっきお前と同じ見た目の奴が別の認知戦の魔女を殺したから」
「そいつも指紋と顔認証突破して入ってきてんだわ」
「殺した奴はその場で射殺したんだけどね」
認知戦担当ということは過去に同じ部隊で戦っていた奴だろう。
朦朧としていた認知能力が回復し、必死に気付かない様、目を背けていたことを認識せざるを得なくなる。
多分、私の過去のやらかしが半世紀を経て追いついたのである。
覚悟が完了した私は目の前の捜査員にアッパーカットを叩き込むとそのままベランダから飛び降りて逃走した。
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