第一章① 灰色の黄昏/20:00

 19世紀、異世界。世紀末を目前に控え、この世は混沌の時代を迎えていた。魔導技術の全盛期にして、科学主義プロメティズムの勃興期。広がり続ける帝国主義と、そのはらわたの中で育つ病理。

 魔術大国アルバノン王国の第二首都にして金融街であるロンディアは、そうした流れの最先端にして最深部、陰惨な悪徳の街――“煙の都”とも呼ばれる、稀代の犯罪都市だいとかいであった。

 しかし、その致命的な治安の悪さにも拘らずこの国には法を実力で執行させる公的機関は騎士団以外に存在せず、その騎士団でさえ主な任務は国境警備と首都防衛、地方都市のチンケな犯罪者まではとても手が回っていなかった。

 では市民は怯えるほかないのか。

 蔓延る悪人、コソ泥、犯罪者を取り締まる人間はいないのか。

 否である。

 この世界には市井で起きるしょぼい空き巣から、重大な連続殺人、軽犯罪から賞金首まで、騎士団こっかけんりょくの代わりに治安を守る有志達がいた。

ギルドの集会署へ“依頼クエスト”さえ出せば何でも解決してくれる便利屋。

 かつては森で魔物を狩り、今は街で犯罪者を狩る存在。

 剣と魔法の時代にて、畏敬を以て“冒険者ぼうけんしゃ”と呼ばれた者たち。

 銃と蒸気の時代を迎えた現在、彼らはこう呼ばれるようになっていた。


 ――――“探偵“、と。



 「二日と持たないじゃないか!」

 ライザーは椅子の上で依頼票クエストシートを放り投げた。ばさばさと床に琥珀色の羊皮紙が散乱する。

彼の執務机の上には大量の紙束、そして脇には大型の対獣剣銃たいじゅうワンド、散弾猟銃に刃が付いた剣が立てかけられている。

 一方で相棒の弾斬り《スラッシュ》は、ソファの上で今日何度目かもわからないため息をついた。


 「しゃあねェよ。依頼人が悪かッたンだ」


 昨晩に行われた廃船の密輸業者への奇襲は、結果から言うと失敗に終わった。

 意気揚々で解決証明にサインさせに事務所へ赴いた二人に告げられたのは、「彼らじゃない」という謎の寝言だった。

 密輸結社は「相当大きな規模での取引だったはずなので、取引物品がそんな金属片一つなはずがない」と言い出したのだ。挙句「ほかの物品を盗んだだろ」とまで詰られてはこちらも黙ってはいられない。結局その依頼は蹴っ飛ばし、せめての駄賃としてその結社をギルドに突き出したのだ。


 密輸現場で確保した業者たちと、依頼人の密輸結社。結構な人数を収穫しゅうかくしたのに、ギルド的には“依頼票クエストシートにない”犯罪者だったため、結局ライザー達の取り分は晩飯一食分も無い、わずかな謝礼金のみとなった。

部屋の家賃支払いも迫る夏の中旬で貯金も尽き、財産は財布の中身だけ。

頼みの綱の依頼クエストすら潰れた今、二人の選択肢は家財を売るか、競箒けいしゅうで一発当てるしか残されていなかった。


「もういッそよォ」


 安い大衆新聞タブロイドの記事をめくりながら、弾斬りは不意に思い出したように口を開いた。


「おめェがあの、連中から取り上げた……」「拾った」「…….拾ッたやつ。ソレ売ろうぜ」


 彼は懐から、お守りサイズのくすんだ麻袋にはいった金属片をとりだした。


 「コレか」


 円錐形の金属工芸品。日の下で見れば、細やかな意匠と文様が張り巡らされた繊細な彫刻が為されているのが分かる。その細かすぎる彫刻に、ある種の執念か、狂気すらも感じる。

密輸結社が“それじゃない”と切り捨て、そしてライザーが拾った例の“金属片“だった。


「そう、ソイツ。ソイツ売ッちまえばよ、そこそこ良いカネになンじゃねェか?」

「まあ、確かにそうかもしれないけど………」


煮え切らない態度で工芸品を眺めるライザー。相棒には、そこで躊躇う意味が分からない。


「そンなに気に入ッたンかよ、それ」

「いや、気に入ったわけではないんだけど。あの男はこれを何故密輸したんだとか、これをどうするつもりだったのか、とか。いろいろ気になるじゃないか」


はァ……、確かに?と弾斬りは曖昧にうなずいた。


「そもそもコレはなんなんだ?こんな形の置物は見たことがないし、置物にしては意匠を凝らし過ぎている。では何かの道具だろうか。だとすれば何に、どうやって使うんだ……?」


 ぶつぶつと自分の世界に入り込んだライザーから、弾斬りはページに視線を戻す。

 そこでふと、ある記事に目が留まった。


 『異界人の科学主義者プロメタリアン『ガリレオ=ガリレイ』をついに確保!ピンカートン探偵社セカンド・ルーム執念の追跡劇!』


 弾斬りは読む気が失せて紙片を閉じるた。

 最近は眼に見えて”異界人”狩りが加速している。ただ前世の記憶と知識を持っているというだけで、追い立てられ、捕まり、国に幽閉されその知識を絞りつくされるのだ。


 全くおぞましいことこの上ない。


 すっかり気が荒んだ弾斬りは、溜息を吐いて、代わりに銭袋をひっくり返した。

 小さい銅貨10枚と、くすんだ銀貨8枚が転がり落ちて、机の上で元気に跳ねる。それ見下ろしてため息をついた。


 「1ハイド銅貨10枚と、3ハイズ銀貨8枚。計たったの34ハイズ」


 後ろで声がした。弾斬りが振りかえると、金属片を眺めたままのライザーが天井に向かって言った。


 「あと半月を34ハイズ……辻馬車4ブロック分ってとこだな」

 「スカジさんトコの喫茶店タフィーハウスでカネが尽きらァ」


 へッ、笑える。二人の乾いた空笑いが虚しく部屋に漂う。

 雨上がりの、水滴が残る窓越しに灰色の空が流れる。ライザーは工芸品を握ったまま、ついに目を腕で覆った。


「どうしよ……」


 ゴンゴンゴン、と。くぐもった音が、不意に耳を震わせた。ドアノッカーを叩く音だ。

 弾かれたように二人は互いに見合わせた。誰か呼んだか?いンや。誰も。

その瞬間怪訝だった二人の顔が、警戒に切り替わる。


 「僕が出よう」


 ライザーが扉の方を見ながら進み出た。工芸品は袋に入れて懐に仕舞う。


「君は窓から下を。団体客・・・かもしれない」


 オウ、と低く応じて弾斬りはコートを羽織って、ついでにその下の二振りの刀も手に取る。

 ライザーもまた、立てかけていた対獣剣銃たいじゅうワンド―——シルヴァレッタM1765を取り上げた。


 「最優先は大家ハディーさんの部屋と玄関先の死守だ。誰にも鉢一個割らせるなよ」


 依頼クエストは基本探偵自らがギルド集会署まで取りに行く。つまり、探偵事務所にわざわざ訪ねてくるのは、友人か、同業者か、強盗か、或いは借金取りかくうせいきゅうしかいない。特に”この部屋”は良くも悪くも有名だ。過去に何度か同業者が遊びおそいに来たこともある。

 階段を慎重に下りながら、肩に担いだ剣銃ワンドのレバーを起こして弾を装填する。レバーアクションはこういう時手早く装填できるのが魅力だ。

 ガンガンガンガンガン。再びドアノッカーが叩かれる。ライザーは慎重に扉を開けた。

 「どちら様?新聞ならお断り__」

 「あ、あの、初めまして!探偵事務所『Scarlet Dawn』の方でしょうか!」


 少女が独り、肩で息を切らせてそこに立っていた。

 奇妙な女の子だ、と言うのがライザーの第一印象だった。くすんだ茶褐色のロングドレスとグレーのコルセット、大きな肩掛けカバン、それから色のくすんだブーツは年季を感じさせるが、よく手入れされているのか綺麗だ。

 東洋系の丸く平たい顔立ちに、華奢な体躯、一見して普通の少女だが、そのイメージをはねのけるのが、その純白の髪と、大きな瞳。虹彩もまた東洋に多いという漆黒だが、その奥には不可解なことに――――精緻で複雑で、且つ美しい幾何学陣が、すなわち法陣が刻まれていた。

 思わず呼吸が止まる。その眼に吸い込まれる。まさか、こんな形でこの眼に再会できるとは。


 「あの、訊いてますか?」

 「ああ、いや、ん……済まない、ええと、なんだって?」


 彼女の声でライザーは現実に引き戻された。気にするなと手を振りながら、続きを促す。

 彼女は僅かに落ち込んだのか目を伏せたが、再び顔を上げて、勇気を振り絞った。


 「助けて下さい!街が滅びます!」

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