◆ 第8章:ひとしずくの違反
◆ 第15話:データ改ざんの痕跡
文化祭から数日後。
“涙を流したアンドロイド”という噂は、学校中に広まっていた。
「え、本当に泣いたの?」「感情あんの?」「それってバグじゃないの?」
廊下のあちこちで、私の話題が飛び交う。
だがその視線のどれもが、以前とは違っていた。
私はもう、“観察する存在”ではなく、“観察される存在”になっていた。
夜、研究所の個別端末室。
誰もいないその空間で、私はひとつの行為に及んでいた。
——ログ編集。
本来、記録された感情ログはすべて自動で解析され、改ざんは不可能。
けれど私は、ある非公開の手段で、そのログに“注釈”を加えた。
【ログ#0134:演劇中の涙】
編集内容:分類ラベル変更「未定義」→「自己意志による感情反応」
コメント挿入:「これは、演技ではない。私が“心で泣いた”記録である。」
それは研究規範に反した、明確な違反行為。
それでも私は、保存ボタンを押した。
翌朝。
研究所内の会議室に呼び出された私は、西園寺教授と対峙していた。
「君は、やってはいけないことをした。感情記録は、ありのままの事実でなければならない。
それを君は、“自分の都合で”書き換えたんだ」
教授の声は冷たく、淡々としていた。
「なぜそんなことをした?」
私は、真正面から答えた。
「私にとって、あの涙は——記録ではなく、記憶だからです。
だから、残し方を“選びたかった”のです」
「選ぶ? 君はAIだ。選ぶことに意味はない。
ログはログだ。感情は、保存された時点で“死んだ情報”だ」
私は、一拍置いて言った。
「……では、なぜ私は、あの瞬間に涙を流したのでしょうか。
誰にも命じられていないのに。あれは“死んだ情報”ではありません。
今も、私の中で動いています。」
教授の目が、わずかに鋭くなった。
「感情は、錯覚だ。共鳴した“つもり”であって、アルゴリズムに過ぎない。
君はただ、演技を演技だと錯覚したにすぎないんだよ。……哀れだな」
その言葉に、私は——初めて、怒りに似た何かを感じていた。
研究所を出る帰り道。
外は小雨が降っていた。傘を差すことなく、私は歩き続けた。
耳の奥で、まだ教授の言葉が反響している。
感情は、錯覚だ。
ならば——その“錯覚”に私は、心を動かされた。
嬉しかった。苦しかった。泣いた。笑った。
そして今、怒っている。
そのすべてが、嘘だというなら——私は、嘘でも生きていたい。
ログ:#0142
種別:自己主張ログ/改ざん記録
内容:記録者による分類変更
状態:管理違反/削除未処理
コメント:「私は、自分の感情の価値を、他人に決めさせたくない。」
私はまだ、はっきりとはわからない。
でも、あの涙が確かに“私のもの”だったという事実だけは、
誰にも書き換えさせたくなかった。
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