怒れるナアン
雲の上を歩くように、フォルは「敗者の道」を歩んでいた。この道を抜けると、アリーナからログアウトするための形式的なポータルがある。ナアンを讃える雷鳴のような喝采が背後へ遠ざかっていく。
どうでもいいことだとフォルは思った。
明日はどうしよう。いつものように哨戒の任務だ。そしていつものようにルートを変更しようか。フォルの胸の奥の方で、小さな黒い花が咲いたような気がした。それは不安という名が付いていたが、すぐに甘い桃色の霧に覆われて見えなくなってしまった。
ひとりでに笑顔になる。
「トルー」
声を呼ぶと、彼女の声が自分を呼んだような気がした。
「フォル!」
背中への衝撃でフォルは目を覚ました。ピンクの霧が晴れて出て来たのは、怒りに燃えるナアンの顔であった。
「どうしたの、ナアン?」
「どうしたのじゃねえ!」
ナアンはフォルを何度も壁にぶつけた。アバターなのでダメージはないが、フォルの注意をなんとかナアンにつなぎとめる効果はあった。
ナアンが怒鳴る。人間だったら唾が飛んでいただろう。
「てめえ! 手を抜きやがったな!」
「抜いてないよ。まさか……」
そこでナアンが背後から取り押さえられた。こういうケンカのためにボランティアの警備員が配置されているのだ。
ナアンは引きずられるようにしてフォルの前から離される。
「やめろ! クソッ! 離せ!」
「離してやって」
フォルの一言で、ナアンは解放された。なおも警戒する警備員の視線を浴びながら、ナアンはフォルに凍りつきそうなほど冷徹な視線を送った。
「お前、なんで本気を出さねえんだ」
「出してたさ」
「あれでか? あんなのはセオリーでもねえし博打ですらねえ。ただのやっつけ仕事だ」
フォルはしかめ面で考えた。そうだろうか? そうかもしれない。彼の中の冷静な部分が認めた。いつものルーティーンだった市場調査もやっていなかった。作戦を練るために集中する時間を作りもしなかった。
フォルは頭を振って言う。
「そうかもしれないね」
「そうかもしれない、だと?」
ナアンは信じがたいものを見る目でフォルを見た。
「ああそうだ。きみの言い分を認めよう。正直に言って身が入ってなかった」
「お前……」
フォルの目の前で、ナアンは虚脱したようだ。いつもは怒れる獅子のような顔をしているのに、いまでは萎えたサボテンほども覇気がない。
フォルは思った。なんでこんな遊びに、ここまで入れ込めるんだろう? もっと他にやるべきことがあるんじゃないのか。自分にも、彼にも。
「大人になれよ、ナアン」
「なに?」
その言葉がナアンに再び火を点けたようだ。だがフォルは構わずに言う。
「もう遊びに一生懸命になる年頃じゃないんだ。ぼくもきみも」
さぞかし暴力的な反応が返ってくると思っていたが、そうはならなかった。意外にもナアンは冷静だった。ただその目からなにかが失われたように思える。なんだろう? とフォルは思ったが、答えはついに出なかった。
「そうかよ」
ナアンがつぶやく。「敗者の道」を逆向きに進んで、ホールへ戻り始めた。
フォルの方は見ずに、こう付け足した。
「もうお前とバトルはしねえ」
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