2025w41 たぬきのおつきみ

 こんばんは。

 先日の中秋の名月(芋名月)は眺めることができましたか?


 最近の畑の雑草の勢いなどについて、道端で遭遇したご近所さんにお尋ねしたら、「畑の中はマシになったけど、周りにススキがいっぱい。まあ今日はお月見やから、ええけどね」なんてが始まって、この季節の日本の風物を楽しむ心が垣間見れて良いなあとしみじみしました。


 ススキは秋の七草の一つで、秋を表す季語でもあります。『THE日本の秋』の風景(日本固有の環境)を作ってくれる日本の在来種植物で、奈良では曽爾高原や葛城高原などの群生地が有名です。

 成熟すると穂が白っぽいふわふわになるため、動物の尻尾に見立てて「尾花」と呼ばれることもありますね。また、お月見の際には稲穂に見立てて飾り、米の収穫祈願をしたのだとか。

 稲作を中心とし耕作地が広がっていた生駒の地でも、かつてはそんな光景が当たり前だったのだろうなと想像します。


 小学校高学年〜高校三年生まで通い続けた近所の私塾では、季節の変わり目に通常授業の枠を一つ使って、日本の伝統行事(七夕、お月見、節分)の授業もしていました。「お月見」の回は話を聞いた後に、授業の中で月見団子を皆んなで食べます。

 子供の頃に通った8年間、そしてスタッフとして授業をする側に立った恩送りの8年間、そんな期間も人生の中にあって、毎年慣れ親しんできた地元の和菓子屋の月見団子を今年もいただきました。


 地域によって異なる月見団子の形の有名どころは、こんな感じでしょうか。


・関東:満月にちなんで丸めて三宝に積んで供える

・関西:穀物の収穫を祝って芋が備えられた(芋名月)に因んで芋型に整え、あんこの腹巻きを着用させる

・沖縄:小判形や俵形の団子に、塩茹でした小豆を邪気を払う縁起物として潰さずに粒のままでまぶす(『フチャギ』という)


 関西の芋型は里芋を模した形というのが通説のようで、「しずく形」の団子とも表現されるようです。

 ですが私が月見団子だと思って育ったものは、ので、このあたりでは里芋ではなく、サツマイモを供えていたのかも知れません。


 名古屋は関西と同じく里芋形のようです。

 そういえば先日一緒に山へ行った方が名古屋の方で、東と西の文化が混在するとおっしゃるので、「名古屋は日本のトルコみたいな場所なんですね」なんて話をしたところでした。

 そんな愛知県も三重寄りか静岡寄りでまた文化が全く異なるとのことで、そういった地域性はやはり面白いなと思います。


 となると月見団子も、もっと多様なのでは?

 皆さまの馴染みのある、あるいは「ヘェ〜、こんな月見団子もあるのか」と知って面白かったものなど、ありましたら教えていただけると嬉しいです。




 かつては豊作祈願や収穫祭の意味合いで生まれた風習だったお月見も、現代では「ススキを飾り、月見団子を食べながら、月を見る」という形式的で風流な行為を「お月見」と呼んでいるかも知れません。


 ですが日が短くなるこの時期にこそ農業は繁忙期を迎え、遅くまで作業が続くこともあります。電気のない時代には、満月の明かりはとても役に立ったそうです。

 だから「月明かりへの感謝」という意味合いでもあるのだとか。


 2025年は農業への関心がこれまでになく高まった年だったように思います。

 その潮流の中でなら、食べられる状態になるまでの全てに感謝する、といった現代的な「お月見」の風習が生まれるかも知れませんね。


 食に纏わる様々な風景を捉える『フードスケープ』(食べもの「Food」+風景「Landscape」)という考え方もあります。食べ物だけに注目するのではなく、生産・加工の風景、自然環境との関わり、地域文化など、そこにある建築物や人間の営みも含めた風景を広く見渡すのが特徴です。


 黄金色の稲穂が輝く棚田や葡萄畑が織りなす風景など作物が植っている様子だけでなく、釣ったイカや干し柿を吊るしてある光景などもフードスケープと呼ばれるものです。

 そこには軒下の干し柿が作る影の中で過ごす陰翳礼讃のような心象風景が映し出されたり、作業する人のドラマが繰り広げられたりしているかも知れません。


 まさに『物語の生まれる場』であるように思えます。


 「お月見」も元々は収穫した作物を供えていて、団子を供えるようになった背景にもストーリーがありそうです。

 同じ日本と言えど環境が異なるため地域による違いはあると思いますが、お月見の時期はちょうど稲の収穫期ではあるものの、刈り終えたところがありつつ刈るのは少し先といったところもある、まさに「稲刈りシーズン真っ只中」という状況。

 

 うちのご近所でも既に刈り終わった田もあれば今まさに刈っている田もあり、脱穀機の動作音が空気に混じったり、稲藁や籾殻の香りが漂っています。


 そんな作業の中で、収穫した米粒のうち、という話がお供え物としての月見団子の始まりだという説があるそうです。

 具体的にどの資料に記述があるかなどは知らないのですが、「口承により伝わっている可能性が高いのでは?」とも考えています。


 どなたかそんな話をご存知ありませんか?


 普段であればお供え物に手を出して叱られた子供たちも、供えてある月見団子は取って食っても許されたそうです。その背景には「忙しい時期につまんで食べられる手軽な軽食」としての意味合いもあったのではないか、なんて考えてしまいます。


 元々供えていた里芋だって、取って食ったタヌキを捕まえて皮を剥ぐようなこともなかったのでしょう。たくさん採れる時期のお裾分けと言うか、この時期ばかりはとも共に実りの秋を分かち合っていたのではないでしょうか。


 それは自分たち用の必要分を作る畑から、実り始めたきゅうりや芋を持っていかれるといった戦慄のシチュエーションであることが多い現代と、沢山作って余りある収穫物のうちから密やかに「おこぼれ」という形で野生動物への分け前があった、かつての農村風景との違いでもあると思います。


 「お月見」はの中から生まれた風習です。

 食べ物が作られる過程に携わる方達への感謝をすること、そして自然環境や野生動物との関わり方や距離感についてあらためて考える機会として、「お月見」が現代社会の中で再認識されると良いなと願っています。


(※)自身のブログ内での記述を一部改稿して掲載しています。

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