2025w31 山頂からのお便り

 ひと月前、立山の山頂から雷鳥ライチョウのポストカードが届いた。

 登山やサイクリングで時々一緒に出かける方からの不意の便りである。こんな事は初めてだったので驚いた。

 登山届には氏名のみならず、住所や連絡先も書くので、過去に一緒に出かけた時の情報から送ってくれたのだろう。もちろんお互いに共有している情報である。と、わざわざ断りの文言を入れてしまう自分に「時代だな」と苦笑してしまう。


 なんでも残雪眩しい立山と黒部ダムへ行ってきたそうで、高山植物はもちろん、雷鳥にも逢えたのだという。梅雨シーズンにも関わらず、天気が良かったのに、だ。


 北半球に生息するライチョウのうち、日本に生息する雷鳥は亜種であり、学名にはjaponicaと付く。彼らは地球上のライチョウの中では南限に生息する種でもあり、富山県の県鳥に指定され、信州土産でも名が知れている。

 高山暮らし故か足がモフモフで、さらに冬毛に変わると、真っ白のまん丸モフモフが雪原をトコトコ歩くのだ。もう想像するだけで……!


 彼らは氷河期時代の生き残り動物の一種で、涼しい土地でしか生きられない。


 温暖化が進むと共に、気温の低い山へと生息地が狭められていった結果、日本アルプスのいくつかの高山帯に隔離された状態で生息する希少種である。

 気候変動による生息可能地の減少だけでなく、従来は生息していなかったニホンジカやニホンザルの侵入による高山植物の採食、キツネやカラスといった捕食者や登山客の増加に伴う撹乱、山岳環境汚染による感染症などといった影響により減少し、環境省の第四次レッドリストでは絶滅危惧IB類(EN:近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)に分類されている。


 そんな雷鳥たちは、という生存戦略をとる。要は天敵や人間に遭遇する確率を下げるためである。


 山ではスカッと爽快な空の方が気分が良いし、雨風の中より行動しやすい。

 けれど雷鳥の生息域においては、曇っていたり、何なら霧が出たり小雨だったりすると、「これは……! もしや雷鳥に逢えるのでは?」という期待が生じる。

 これぞ「野生ワイルドライフ」との距離感。動物園やふれあいパークでは決して感じることはできない。

 かくいう私も山の日の立山で、雷鳥の親子に遭遇したことがあるので思い出深い。


 雷鳥の話に夢中になってしまったのだけど、それは勿論ポストカードの写真を眺めていたせいである。

 薄く雲のかかる晴れた空、残雪眩しい山嶺、森林限界のハイマツ林、そして岩の上に立つ孤高の雷鳥。手紙の内容から察するに、ちょうどその写真くらいの残雪具合だったのだろうな、と想いを馳せた。



 さて、ここからは私の趣味の世界に突入してゆくので覚悟してほしい。


 送られてきたポストカードの切手は『花の彩りシリーズ第4集』(2025年4月2日発行)のアジサイの絵柄だった。6月だったから季節の花を選んでくれたのだろう。立山山頂の簡易郵便局で。

 そう、山に郵便局があるのだ。どこでもというわけではないが、ある山にはある。立山のように登山客も観光客も多いような場所には。

 そしてご存知かも知れないが、それぞれの郵便局に特有の消印もある。これを『風景印』と呼ぶ。その名の通り、土地特有の風景がデザインされた消印である。

 小さな局には無い場合もあるが、これもある局にはある。


 ちなみに立山山頂の風景印図案は「立山山頂」「ニホンカモシカ」「アオノツガザクラ」と解説するブログを見つけたが、実際は立山という名の山は無い。

 それは一帯の山域を指す言葉なので、立山最高峰の大汝山おおなんじやまか? と一瞬よぎったが、絵柄から察するに雄山おやまにある神社、峰本社と、その中腹にある一の越山荘のあたりが採用されているのだろうか、と勝手に解釈した。


 さて、返事を書かねばなるまい。

 何を隠そう、私は人類のコミュニケーション手段の中で、手紙が一番好きである。

 電話、チャット、メール、テレビ電話、SNS、とこの数十年間に情報通信技術や形式は目まぐるしく発達してきたわけだが、私はやはり郵便が一番好きなのだ。


 なんと言っても届いてからどのような返事を書こうかと文面を考える時間が良い。すぐに返事が来ないからこそ良い。忙しない現代社会の時間感覚と距離を置くことができる。

 そしてハガキや便箋、切手を選び、全体の構成を考える。そこに介在する、ある種の創作性がまた良いのである。



 今回、便りをくれた方は猫好きの猫飼いなので、手持ちのポストカードの束の中から、ピエール・ボナールの『白い猫』(1894年、オルセー美術館所蔵)を選んだ。


 私がこれまでに鑑賞した絵画の中で、猫を題材としたもののうち最もお気に入りの絵である。頭と背中、そして尻尾に少し茶毛が混じる白い猫の足がみょ〜んと長い。

 猫が前後の足をピンと伸ばし、背中を丸めて伸びをするポーズがデフォルメされており、その筆致により猫の毛むくじゃら的柔らかさや、身体的な柔軟性が見事に表現されている。

 「この人、絶対猫が好きすぎる人だな」と思ったら、やはり猫を題材にした絵を多く描いていた。


 このポーズをとる猫の姿は、猫と暮らす者にとっては日常的に見慣れたものであるらしい。さらにはピエール・ボナールの『白い猫』から着想を得て、このポーズは猫好きたちの間で「ボニャール」と呼ばれるようになったのだとか。

 何とも微笑ましい話である。

 そんなお気に入りの一枚を、この機会に使いたくなった私の心情をどうかお察しいただきたい。


 切手は『夏のグリーティング』(2025年6月11日発行)の中から一枚選んだ。季節柄ちょうど良いと言うよりも、山を登る二人組の絵があって、これしか無いと思った。

 そして消印はやはり風景印にしたいと思い、電車に乗ってわざわざ生駒郵便局まで行ってきた。

 ここの風景印は「生駒山脈の尾根に並ぶテレビ塔」「生駒山上遊園地の飛行塔」「桜」である。過去に大阪から山を越えてこのテレビ塔の下を通り、生駒山上遊園地内にある三角点を探し、生駒の街へ降りるルートを一緒に歩いたことがある。


 我ながら満足のゆく返信ができたと思う。

 一ヶ月という間が空いてしまったけれど、そこには急ぎの用など無いのだから、むしろこれくらいの緩やかさで良いのではないだろうか。

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