晴れの日のオルゴール③

 運動会本番まで、残すこと1週間となった。

 「よっしゃ!今日から他学年との合同練習もあるから、気張ってくぞ!!」

 「「「おーー!!!」」」

 リレーの練習も大詰めで、今日から他学年との合同練習も始まる。

 体育の時間も全て運動会の競技練習となっていて、学校全体が運動会に向けて勢いをつけてきていた。

 「…お疲れ、照人」

 体育の時間。校庭の隅で汗を拭いていると、操が声をかけてきた。

 「おう、お疲れ操」

 「あはは、僕は別に何もしてないけどね」

 「そんなことないだろ、こうやってみんなのことサポートしてくれてんの知ってるんだから」

 操の手には、水を入れてあるペットボトルや、先生から借りたタオル、救急セットなんかが握られている。さながら運動部のマネージャーだ。

 操が差し出してくれたペットボトルを受け取り、そのまま勢いよく水を飲み干す。

 「操は謙遜するかもだけど、ほんとに感謝してるんだぜ」

 「あはは、ありがとう。運動会だけは、どう頑張っても直接貢献することはできないからね…。せめて、みんなのことを裏から支えられたらなって」

 そう言って微笑む操の表情は、どこか寂しげだった。

 「…ま、せっかく今年も操とは同じクラスになれたんだし。ちゃーんと勝利を持ち帰ってくるから、安心してろよ」

 「うん。楽しみにしてる」

 「そうだ。運動会が終わったら、うちに遊びに来ないか?たまには顔出してほしいって、弟達がうるさくて」

 「ああ、陽くん達?」

 「そうそう」

 何か別の話題を振った方が良いと思い、そんなことを問いかける。

 「最近は、お互いに忙しくてあんまり遊んだりできてなかったけどさ。運動会終わったら行事も落ち着くし、気持ちに少し余裕できるだろうからさ。また昔みたいに、放課後遊んだりしようぜ。あ、ついでに家事を手伝ってくれると俺がすごく助かる」

 「ふふ、そうだね。たまには、僕も照人ん家に手伝いに行っちゃおうかな」

 「おう!ついでに積谷を連れてきてくれてもいいぜ」

 「令那は…どうかな…」

 苦笑いをする操。俺は積谷の家事スキルは知らないが、操の様子を見るにあまり得意ではなさそうだ。

 まぁでも、友達が家に来てくれれば、それだけで嬉しいというのが俺の本音だった。普段は放課後の時間をあまり自分のためだけには使えないので、なおさらそう感じてしまう。

 「…そういえば」

 ふと、操が思い出したかのように口を開いた。

 「ん、どうかしたか?」

 「いや。照人、最近よく﨑森さんと一緒にいるよね」

 「あぁ…。まぁ、うん」

 「その後、何か進展あった?」

 操らしい、独特の言い回し。まるで俺の悩みを分かっているかのような言葉に、俺は苦笑しながらも首を振った。

 「いや…。頑張って話しかけてはいるけど、別に何も。転校当初と何も変わんないって感じ」

 「そっか…」

 「操から見て、﨑森さんってどう思う?」

 ふと、彼にそう聞いてみたい気持ちが芽生えた。

 操は、普段は穏やかでのんびりしていて、あまり激しい感情を表に出したりはしない。でも、人の心情を見通す力――洞察力、とでもいうんだろうか。そういう力は、昔から人一倍優れているように俺には見えた。

 現に、俺は﨑森さんに対して抱いている想いを、操に明かしたことはない。彼女に、少しでも早く、クラスに馴染んでほしい。…そんな俺の身勝手な考えを、こいつはきっと全部見抜いているんだろう。

 その上で、俺は操に聞いてみたいと思った。人の真意を見通せる彼の目から見て、﨑森さんが――クラスで孤立することを自ら選ぼうとしている彼女のことが、どう見えているのかを。

 「﨑森さん、か…」

 首を傾げて宙を見つめた操が、ぽつりと言葉をこぼした。

 「…何か、怖がってるように見える、かな」

 「怖がってる…?」

 「うん。誰とも話したがらないで、1人でいようとする…多分、人と関わるのが怖いんじゃないのかな」

 「人と関わるのが…怖い…」

 「うん。それに…彼女、何か隠してるような気がする。まぁ、自分のことをあまり語りたがらないから、あえて隠そうとしているわけじゃないのかもしれないけど…。でも、何かを抱え込んでる感じはする。それこそ、クラスメイトには気軽に話せないような何かを」

 「気軽には話せない…か」

 確かに、そういう秘密の1つや2つ、誰だってあってもおかしくない。転校して1ヶ月で、秘密を何でも共有できるような友達を作れと言われても無茶な話だろう。

 しかし、それは無理にしても、ちょっとした雑談を交わす相手ぐらいはできそうなものだ。実際、彼女が転校してきたばかりの頃は、クラスメイト達がこぞって彼女に話をしに行っていた。それをやんわりと拒んでいたのは﨑森さん側だ。

 そして、そんなやりとりが幾度となく交わされた結果、彼女に話しかける人はほとんどいなくなった。

 でも、その理由も、操の言葉を聞くと少しだけ納得できてしまった。”人と話すのが怖い”――それが本当なら、周囲の人間から無作為に話しかけられるのは、きっとすごく嫌だったんだろう。だから1人でいることを選んだ、と言われれば納得できる。

 「そういえば…」

 「ん?」

 「﨑森さんって、どうしてうちに転校してきたんだ…?」

 ふと浮かんだ疑問に、操が眉を寄せる。

 そういえば、﨑森さんに話しかけることはあったが、前の学校でのことは今までほとんど聞いたことがなかった。

 授業はどうだったかとか、教科書は同じかとか、そういう質問は何度もしてきたが、”どうして転校してきたのか”という質問だけは、ずっとしてこなかった。

 特に深い意味はなく、頭の中にその疑問が浮かばなかった。ただなんとなく、家の事情かなぁとか、そんな風に考えていたのだ。

 「僕も、﨑森さんが転校してきた理由は知らないな。親御さんの転勤とかかなって思ってたけど」

 「まぁ、そうだよな…」

 6年間小学校に通ってきて、今まで俺が遭遇したことのある転校生は2人。しかし

そのどちらも転校理由は”親の仕事”だった。だから勝手に、転校は家の都合で生じるもの、という偏見のようなものが根付いてしまっていたのかもしれない。

 「まぁ、人それぞれ色んな事情があるから、無理に聞かない方がいいのかもとは思うけど…」

 「うーん…」

 確かに、操の言い分は最もだ。

 でも、今まで聞いてこなかっただけに、余計にその情報が気になってきてしまっているのも事実だった。

 もし、彼女が転校してきた理由が、家の事情だけじゃないのだとしたら。

 そこに、彼女の本音――彼女の態度の裏に隠された真意が、あるのかもしれない。

 「…俺、﨑森さんに聞いてみようと思う」 

 「え、転校してきた理由を?」

 「ん。…まぁ、他にも聞けたら色々」

 メイントピックはそれだが、もしそれで納得のいく回答が得られたら…そうすれば、彼女がクラスに馴染めるようなきっかけを、もっとちゃんと作ってあげられるかもしれない。

 無理に馴染ませるのも良くないというのは十分分かっているが、それでも、残り少ない小学校生活を、1人で終わらせるなんて形にしてほしくないという想いが、俺の中で燻っていた。

 「…そっか。うん、分かった。照人の納得のいくように話してみたらいいと思うよ」

 「あぁ。なんとか、﨑森さんに本音を話してもらえるように頑張ってみる」

 「…うん。そうだね…」

 ――決意を固める俺の横で、操が不安そうに俯いていたことに、この時の俺は気づくことができなかった。




 翌日、放課後。

 「﨑森さん。今日は、一緒に帰らない?」

 「……」

 彼女の机の前で、俺は身を乗り出して問いかけていた。

 今日こそは絶対に実現させる。そんな目で見つめながら。

 「…ごめん。今日も用事が…」

 そう言って立ち上がった彼女の進路を塞ぐようにして、素早く立ち位置を変える。

 「用事があるなら、俺も急いでついていくから」

 「い、いや、でも…」

 「お願い!今日だけはどうしても!!」

 そう言った瞬間、教室に響いていた声のボリュームが少し下がったような気がした。

 思いの外大きな声が出てしまっていたらしい。俺の声に、教室に残っていた生徒のうち何人かがこっちに視線を向けるのが分かった。

 「えっ…と…」

 「ごめん。でも…どうしても、話したいことがあって」

 今度は、小声で。

 クラスメイトに聞かれないように、でもちゃんと想いを込めて。

 「……」

 頭を下げながら、少しだけ彼女に視線を向けると、彼女はひどく驚いたような顔をしていた。

 瞳に滲む困惑の色。

 しかし、俺の申し出を断るような理由が思いつかなかったのだろう。しばらくして、彼女は小さく頷いた。

 「…分かった。途中、までなら…」

 「! ありがとう!!」

 パッと顔を上げ、勢いのままに彼女の両手を取る。困惑がMAXになった彼女の腕を引き、俺は意気揚々と教室を飛び出した。




 「……」

 「……」

 帰り道。

 最初のうちは、﨑森さんと帰れることに胸を弾ませていた俺だったが、時間が経つにつれて、徐々に彼女と2人きりでいることの緊張感が増していった。

 無言が続く中、いつ話を切り出そうか迷いが生じる。

 「……」

 「あー…。あの、さ」

 とりあえず、何か会話はしなきゃまずいだろう。

 そう思い、適当な話題を振ろうと口を開く。

 「運動会、近づいてきたね。﨑森さん、競技の調子どう?」

 「どう、って…。別に、何もないと思うけど…」

 「そ、そっか」

 よく考えてみたら、運動神経抜群の﨑森さんのことだ。どの競技に出てもさほど問題はないんだろう。俺は彼女がトラックを走っているところしか見ていないが、クラスメイトからの話を聞くに、玉入れや綱引きなど、あらゆる競技で快挙を挙げているみたいだった。

 「……えっと、さ」

 「……?」

 「…﨑森さんって…どうして、うちの学校に転校してきたの」

 ――気がつけば、言葉が口からこぼれていた。

 変に遠回しな言い方をしても仕方がないと、頭が勝手に判断したのかもしれない。

 「どうして…って…」

 「いや。家の事情で転校してくる人ってわりと多いけど、全員がそうとは限らないよなって思って…。そういえば聞いたことなかったから、ちょっと気になって」

 嘘偽りない本心から出た言葉。しかし、﨑森さんは俺の言葉に戸惑ったのか、視線を震わせた後に俯いてしまった。

 「あ…。いや、話しにくいことなら、全然話さなくていいんだけど…!」

 「…今日」

 「え?」

 「今日、私と一緒に帰ろうとしたのは、そのことを聞くためなの」

 こちらを見上げる彼女の瞳に、俺のことが映っている。

 その瞳がゆっくりと揺らめき、俺のことを射抜いた。

 「えっと…そういうことになる、のかな」

 「……」

 黙り込んだ﨑森さん。少しして、彼女が口を開いた。

 「…どうして、そんなこと聞くの」

 「え…」

 「ただの興味?それとも、何か別の目的があるの…?」

 「も、目的だなんて!ただ、どういう理由だったのかなって、ちょっと気になっちゃっただけで…」

 彼女をクラスに馴染ませようとしていたことが目的に当たるのかは微妙なところだが、決して何かやましい理由があったわけではない。しかし、俺の気持ちに反して、彼女の顔はどんどん曇っていく。

 「…前、照人くんは、私に言ってくれたよね。”友達になって”って」

 「あ…」

 以前、幼稚園でたまたま彼女に遭遇した時。

 確かに、そんなようなことを彼女に言った記憶がある。

 結局弟達がやってきて、彼女の返事は得られないままだったが、それがどうしたというのだろうか。

 「……ごめんなさい。私は、あなたの気持ちには応えられない、です」

 …明確な、拒絶。

 その言葉が彼女からもたらされた瞬間、思考がストップしてしまう。

 「え…。ど、どうして…」

 「照人くんは…すごく、優しい。それは、分かってる。口下手な私に、一生懸命、話しかけてくれて…すごいと思った。でも…嬉しいとは、思わなかった」

 不器用に紡がれる言葉。

 しかし、その拙さとは裏腹に、その言葉達は俺の胸を容赦なく抉った。

 「…私は、1人でいたい。誰とも関わらず、静かにその時を待ちたい。…だから、もう、関わらないでください…」

 消え入りそうな声。

 しかしそこには、俺にもう近づいてきてほしくないというはっきりとした意志が宿っていた。

 「……俺がいると、迷惑ってことかな」

 「……」

 「…そ、っか。俺、なんか、勘違いしちゃってた、のかもな」

 気が動転して、上手く言葉が出てこない。

 でも、今ここで取り乱して、口に出すことを間違えてはいけないと思った。

 あくまで、いつも通り、明るく、自然に。

 「ごめん。俺、﨑森さんが、本当は1人でいたいわけじゃないんじゃないかって、勝手に思ってて。 …お節介、だったよな」

 「……」 

 「はは。昔からそうなんだよな、俺。必要以上に人に干渉しちゃって、それで…だんだん、何やってるのかも、分かんなくなってきちゃって…」

 ――じわり。

 ほんのり視界が霞んだ気がしたが、それにあえて気づかないふりをして、俺は言葉を続けた。

 「あの…本当に、ごめん。もう、余計なことはしない。君の邪魔をするつもりはないから…」

 「……」

 「…今日は、一緒に話してくれて、ありがとう。…それじゃあまた明日、学校で」

 そう言って、俺は彼女に背を向けた。

 …本当は、家の方向が彼女と一緒だったから、彼女に背を向けてしまうと家から遠ざかることになる。

 それでも、彼女の前を歩いていく勇気がなかった。ただ、一刻も早くこの場から逃げ出したい。そんな思いだけが、ずっと胸中に渦巻いていた。

 ――﨑森さんから投げかけられた言葉が、頭から離れない。

 「…嬉しくない、か」

 そんなこと、初めて言われたなぁ…――。

 見上げた空は淡い灰色で、それがじんわりと滲んでいく前に、俺は頭を振って家に向かって駆け出した。




 運動会まで、残り3日となった。

 結局あの日から、俺は﨑森さんに話しかけることができていなかった。

 最低限の挨拶はしているし、隣の席だからどうしても言葉を交わさなければいけないこともあるが、以前のように世間話をしようという気は完全に消えてしまっていた。

 家に帰る時も、彼女に声をかけたりせず、逃げるように走って教室を出る。そんな日が数日続いた。

 迫るイベントに教室内が浮き足立つ中、俺の心はどんどん沈んでいく。

 …俺は、一体どうしたらいいんだろう。

 「…小際くん」

 放課後、ランドセルを背負って帰ろうとしていると、廊下から声をかけられた。 

 「積谷…」

 「今日、一緒に帰らない?少し話したいことがあって」

 普段、積谷と一緒に帰る時は、必ず操がそばにいる。積谷が個人的に俺を誘ってくるのは珍しい。

 何か、大事な話だろうか。

 「別に構わないけど…」

 「じゃあ、行きましょ」

 そう言って、彼女が俺に背を向け歩き始めた。 

 「あ…。ま、待って」

 慌てて積谷を追いかけ、俺は教室を出た。




 初夏の柔らかな風が吹く中、2人で肩を並べて歩いて行く。

 「…今日は、操はいないんだな」

 「ええ、微熱があるみたい。まぁ大したことなさそうだし、運動会も近いから

念のために休んでるだけよ」

 「そっか…」

 その言葉を聞いて、少しだけホッとする。

 「…操、言ってたわよ。あなたの元気がないって」

 「え…」

 「この数日で、何かあったの」

 積谷の真っ直ぐな瞳に射抜かれて、俺は言葉を失った。

 操ほどではないが、積谷も勘は鋭い方だ。というか、そもそも地頭が良い。俺の下手くそな誤魔化しなど、きっと簡単に見通してしまう。

 「…そんなに落ち込んでるように見えるのか、俺」

 「さぁ。ただ、操は心配してたわよ」

 「そうか…」

 多分操は、自分の発言に責任を感じてしまっているんだろうな、と俺は思った。﨑森さんに対して自分が立てた予測の確証を得るために俺が話しかけた結果、俺達の仲がこじれてしまったのだと。

 だが、それは操の考えすぎだ。そもそも俺が、彼女にそこまで心を許されていなかったのだから。

 「…本格的に何かあったみたいね」

 「あぁ…。まぁ、そういうことになるのかな…」

 「…やりづらいわね」

 ボソッと呟いた積谷が、俺に視線を向ける。

 「何があったのか私は知らないし、それに対して落ち込むなとも言わない。…でも、いつまでも塞ぎ込んでたって、道は見えてこないわよ」

 「それは…」

 「落ち込むなら、落ち込んだ先に何があるのか、ちゃんとそれを見定めないとダメ。後、過剰に操に暗い顔を見せないでちょうだい。それがあいつの負担になるかもしれないから」

 「はは、手厳しいな…」

 積谷の一切忖度のない言い方に、思わず苦笑してしまう。

 …確かに、むやみやたらに落ち込んでも仕方ないというのは分かる。

 でもだったら、この感情はどこに向ければ良いというのだろうか。

 そもそも、彼女にチームワークを説くこと自体が間違いなのか?

 例えこの気持ちが俺の我儘だったとしても、それ自体も、そんなに悪いことなんだろうか…――。

 「ほら、顔上げなさい。俯いてばかりいると、嫌なことが続くわよ」

 「あ…」

 いつの間にか、視線が床に固定されていたらしい。積谷に軽く背中を叩かれ、思わず顔を上げる。

 「…そのアドバイスは、積谷の持論か?」

 「さぁ、どうかしらね。でも、従っておいて損はないと思うわよ」

 そう言って、珍しく積谷が微笑んだ。

 「……ありがとな」

 「私は操の憂いを取り除きたかっただけ」

 「はは、操バカだな」

 「そっちも大概でしょ」

 軽口を叩き合い、そのまま帰路を歩いていく。

 積谷の不器用な励ましが、心にじんわりと染み渡っていく。

 …しかし、まだ心が晴れるほどじゃない。俺の中にはまだ、﨑森さんに対する不安感が残り続けている。

 でもいつか、この気持ちともちゃんと向き合って、活路を見つけないといけないんだろうな…――。

 俺は、隣の積谷にも聞こえないような音量で、小さくため息をついた。




 結局気分は晴れないまま、運動会前日になった。

 積谷から話を受けた翌日から、操は普通に学校に戻ってきていた。どうやら、本当にちょっとした体調不良だったらしい。

 前日ともなれば、もう練習などはほとんどなく、後は全体の士気を高める段階に入っている。

 今日は全校生徒で会場の設営などを行い、夕方には下校の予定となっていたが、俺達リレーの出場メンバーは、先生から許可を得て、ギリギリまで練習を行っていた。

 「よっしゃ、これで練習はバッチリだ。ここまでみんな、一丸となって頑張ってきた。明日は全力出して、絶対に勝利するぞ!!」

 「「「おーーー!!!」」」

 練習後、校庭で気合いのこもった掛け声を残し、互いを労って解散する。

 時間は午後5時。校庭で遊んでいた人達も、パラパラと帰る準備を始めている。

 「…照人」

 校庭の端に置いておいた荷物を回収して帰ろうとすると、背中から声をかけられた。

 振り返ると、そこには意外な人物が立っていた。

 「操…。それに、﨑森さん…?」

 後ろには、ニコニコと微笑む操と、いつもの無表情を浮かべた﨑森さんが立っていた。

 「どうしてこんな時間にここに?」

 学校の門自体は開いているからいてもおかしくはないが、2人が放課後に外で、しかも一緒に遊んでいたとは考えづらい。

 俺が不思議に思っていると、その疑問に操が答えてくれた。

 「実はさっき、たまたま会ってね。普段はあまり話す機会がないし、せっかくだから照人を見習って話しかけてみようと思って、僕の方から声をかけたんだ」

 なるほど。どうやら、本当にただの偶然だったらしい。

 「でも、それならなんで学校に…?」

 「んー?いや、話しながら歩いてたら、たまたまこっちの方に来ちゃったってだけだよ?そしたら照人の姿が見えたから、一声かけていこうかなーって思ってさ」

 そう言って笑う操。

 「ふーん、そうだったのか」

 頷いていると、俺の後方からクラスメイトが近付いてきた。

 「あれ、須上じゃん。こんなとこで何してんの?」

 「ん?みんなでお喋りだよ。そっちは、明日の練習?」

 「そ。俺達リレー出るからさ。やっぱ最後の学年だし、絶っっ対に優勝しねえとな!!」

 そう意気込むクラスメイトに、操が「うんうん、応援してる!」と労いの言葉をかけている。

 操は、決して自分から表舞台に出ていくようなタイプじゃないけど、温厚な性格と親しみやすい独特のオーラで、男女問わずものすごく顔が広い。

 多分、裏表のない朗らかな性格が、人望を集めやすいんだろうな…。一片の曇りもない優しい瞳を横から眺めながら、ふとそんなことを思う。

 「……」

 「あ…」

 不意に、操の後ろでずっと黙り込んでいた﨑森さんのことが気になった。

 …結局あの日から、彼女とはちゃんと向き合えていないままだ。

 俺自身、気まずかったというのもあるし…何より、これ以上話しかけても、彼女に不快な思いをさせてしまうんじゃないかと、気が気じゃなかった。

 だけど…。

 『いつまでも塞ぎ込んでたって、道は見えてこないわよ』

 積谷の言葉が脳裏を過る。

 …この状況で、何も話さないのも不自然、か。

 「…﨑森さん」

 「……」

 「なんか…こういう風に話すの、久しぶり、だよな」

 「…うん」

 「操…なんか、変なこと話しかけてこなかった?アイツ、優しいけどふわふわしてるってゆーか、良くも悪くも素直なやつだから…」

 俺は、一体何を聞いているんだろう。

 自分でも何が言いたいのか分からなくて戸惑っていると、彼女が口を開いた。

 「…ううん。そんなこと、なかったよ」

 「…!」

 断定的な言葉。

 いつもよりハッキリとした口調に、余計に動揺してしまう。

 「そ…そっか。なら良かった。アイツ、いいヤツだろ?俺もよく助けてもらってるんだ」

 「うん…。そうかもしれない。彼は…すごい、と思う」

 「……」

 すごい。

 抽象的な言葉だが、そこに込められた想いは、俺にはどこか計り知れないような気がした。

 一体2人は、ここに来るまでにどんな会話をしていたのか。

 「…あれ、どうしたのー2人とも。黙り込んじゃって」

 「操くん…」

 「あ…。いや、別に、何でもねぇよ。ただ、2人がどんな話をしてたのかって、気になっただけ!」

 そう言って俺が笑うと、操は「もしかして、勘繰ってたの〜?」と言って、俺の横腹を小突いた。

 「ばッ…!そんなんじゃねえよ。そもそも、2人の会話は2人の会話なんだから、それをわざわざ探る気はないって」

 「そんなこと言って、結構気になってるんじゃないのー?僕と彼女がどんな話をしたのか」

 「……っ」

 …確かに、全く興味がないわけじゃない。

 普段、﨑森さんと操がクラス内で特別接触をしている印象はない。そんな2人が、どちらとも接点がある(﨑森さんとは微妙だが)と言える俺を抜きにして、どんなことを話したのか。

 でもそれは、俺の個人的な好奇心だ。こんな適当な気持ちで、2人のプライバシーを踏み躙るのは、あまり誉められた行いではないだろう。

 「知れないことは想像で補うとするよ」

 「ま、実際のところ、大した話はしてないんだけどねー。今日の給食おいしかったねーとか、僕がひたすら話しかけてただけで」

 「うわっ、ただ話を聞かされるだけのやつじゃん…。﨑森さん、つまんなくなかった?」

 操がムッと顔を顰めた気がするが、それには意識を留めずに聞くと、﨑森さんは「ううん」と首を振って、

「…嫌じゃ、なかったよ」

と呟いた。

 「そっか!ほらー、﨑森さんもこう言ってるじゃーん」

 「……」

 得意気に笑う操の横で、俺は正直、かなり驚いていた。

 …その時の彼女の表情が、俺と話したいた時とは、明らかに違うものだったから。

 あの日俺が彼女にさせてしまった、何も映していない瞳とは違う。

 そこには、何の不安もないかのような、揺らぎのない心情があらわれていて…――

 「おーい、照人?」

 「っ、え」

 「ちょっと、どうしちゃったのさ、本格的にボーッとしちゃってるじゃん。明日本番なんだから、しっかりしてよねー」

 「あ…ああ、それはもちろん」

 頷く俺と、背中をポンと叩いてくる親友。そして、そんな俺達の姿を見て、目元を優しく細める﨑森さん。

 「……――っ」

 …一体2人は、ここに来るまでの間、どんな言葉を交わし、何をしていたのだろうか。

 操の言う通り、ただ世間話をしていただけなんだろうか。仮にそれが本当だとしたら、﨑森さんがそれを嫌がらないとは思えない。しかし、さっきの﨑森さんが嘘をついているようにはとても見えなかった。

 俺にできなくて、操にできたこと。

 必死に頭を働かせるが、上手い考えが出てこない。

 …そんな時だった。

 「あっ、おい、小際っ!」

 「え?」

 突然名前を呼ばれ振り返ると、そこに担任の先生がいた。

 「先生、どうしたんですか」

 「ちょうどいいところにいた。大事な話がある。落ち着いて聞いてくれ」

 どこか焦った様子の先生に、不安が募る。

 「せ、先生、どうしたんですか。一体何が――」

 聞き返すより早く、先生が俺の耳元で囁いた。

 「――お前の父さんが倒れた。今、会社の近くの病院で治療を受けているそうだ」

 「え――」

 …一瞬、時が止まったように感じた。

 呆然とした俺の腕を掴み、先生が早口で話す。

 「ひとまず、こっちに来てくれ。詳しいことはこの後話す。…須上達も、いきなり悪いな」

 「えっ、あ、は、はい…」

 「……」

 キョトンとしている操と、無言でこちらを見つめてくる﨑森さんをその場に残し、俺は引きずられるようにして先生に連れていかれた。


 

 

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