第17話:接触と覚悟
旧市街の地下通路は、まるで迷宮だった。長年放置された石壁には苔が生え、足元の水たまりが靴底に冷たく染み込んでくる。
レティシアは細剣を腰に下げながら、前を行くクルーゼとセドリックの背中を見つめていた。いずれも百戦錬磨の戦士だが、この任務はただの討伐ではない。
「ここから先は、気をつけろ。魔力障壁の気配がある」
クルーゼが片手をかざし、壁際の結界を探る。微かに光が揺らぎ、通路の先に淡い魔力の膜が張られていることが分かる。
「防御用の結界……攻撃に反応するタイプじゃないわね。侵入者を拒む結界よ」
レティシアが魔法陣を読み取り、符術で一部を無効化する。
「さすが、聖女様だっただけある」
セドリックが小さく感嘆の息を漏らした。レティシアは小さく微笑み、だがすぐに表情を引き締める。
「……今の私は“元聖女”。でも、それでもいい。今は、“彼女”を止めなきゃいけないから」
「ミリアを、か」
クルーゼの目が鋭くなる。
その名を出すたびに、胸の奥に複雑な感情がうごめいた。憐れみ、怒り、そしてどこかでまだ残っているわずかな友情。
(あの日、笑い合っていた時間は幻だったの?)
レティシアはふと、ミリアとともに過ごした騎士団での訓練の日々を思い出す。無邪気に祈り、傷を癒し、皆のために奔走していたあの少女が、今や信徒を率い“救世主”を名乗る存在に成り果てている。
「これはただの潜入じゃない。接触できるなら、話す機会もある」
「……本当に、話せると思っているのか?」
クルーゼの問いに、レティシアは黙って頷いた。
「話すだけじゃダメなら……止める。それでも、私は一度、彼女と向き合いたい」
地下通路の先、やがて重い石扉が見えた。古い神殿の裏口、使われなくなった祭壇へと繋がる隠し通路だ。
セドリックが耳を寄せ、周囲の気配を探る。
「……中には、少なくとも五、六人。交代で見張っているな。すぐには気づかれないが、長居は危険だ」
「十分よ。私は、ミリアに会う手段を探したいの」
レティシアは扉の前で、静かに目を閉じる。心を鎮め、祈るように呟いた。
(どうか……もう一度、ミリアの心に届きますように)
けれど、返ってくるのは沈黙だけだった。
そのころ、礼拝堂の奥で、ミリアもまた瞑想をしていた。
(レティシア……あなたは今、どんな顔をしているのかしら)
どこか懐かしさすら漂うその思念の裏には、静かな怒りと決意があった。
(もう、私はあなたに屈しない。あなたに手を伸ばしても、きっとまた私は否定されるだけ)
(だったら——)
(私は、私の信じる道を行く)
祈りは静かに、だが確かに、過去の絆を断ち切ろうとしていた。
♢♢♢♢♢
古びた礼拝堂の空気は冷たく、張りつめていた。ステンドグラス越しに差し込む光が、埃の舞う空間を神聖にも不気味にも染めている。
レティシアが足音を殺して扉を開けると、そこにいたのは、変わらぬ姿のミリアだった。
金色の髪、白い法衣、そして、まっすぐな瞳。けれどその瞳は、もはや慈愛の色ではなかった。
「……来たのね、レティシア」
ミリアが口を開く。微笑んでいるようにも見えたが、その声音には氷のような硬さがあった。
レティシアはゆっくりと歩み寄る。剣も魔法も構えない。ただ、両の手を見せながら、真っすぐに向き合った。
「ミリア、話をしたいの。私たち、まだ——」
「まだ、友達だとでも?」
ミリアの声が重く響く。礼拝堂の奥、祈る者のいなくなった祭壇の前で、彼女は薄笑いを浮かべた。
「あなたは私を裏切った。処刑台に送った。あの時、私の手を取ることだってできたはずなのに」
「ミリア、あれは——」
「あなたは選んだのよ! 正義という名の刃で、私の全てを切り捨てる道を!」
声が荒ぶ。だがそれは怒りだけではなかった。ミリアの瞳の奥に、ほんのわずかに震える寂しさが見えた。
レティシアは立ち止まり、胸に手を当てる。
「……あの時、私も苦しかった。信じたかった。でも、あなたの中にある力が、あまりにも危うくて……!」
「だからといって、あなたが裁いていいと?」
ミリアが指を鳴らすと、周囲に数人の信徒たちが現れる。ローブをまとい、鋭い視線をこちらに向けている。
クルーゼとセドリックがすぐに動き、レティシアの両側に立った。
「まだ暴力は望んでいないわ」
レティシアが手を挙げて制止する。
「でも、私ももう逃げない。あなたが何をしようとしているのか、はっきり確かめに来た」
ミリアの微笑が消えた。
「私はただ、人々を導きたい。嘘の王国や、傲慢な魔族じゃない、真の信仰を。この世界を“終わらせる運命”から解き放つには、それしかないのよ」
「それが、“バッドエンド”への道だと知っていても?」
レティシアの声が低く響く。ミリアの身体が、わずかに揺れた。
「……見たのね、あなたの記憶の中で。あの未来を」
「ええ。そして、それを止めるために、私はここに来た」
静寂が二人を包んだ。
やがて、ミリアは背を向けると、祭壇の階段をゆっくりと上った。
「レティシア、これが私たちの最後の会話になるでしょうね。もうあなたと語り合う言葉はないわ」
「それでも私は、あの日のあなたを忘れてない。ミリア、もしあなたが……」
振り返ったミリアが、最後に言った。
「もう“あの日の私”なんて、この世にはいないのよ」
その瞳には、もはやかつての光はなかった。
――決別の言葉。それは、再び交わる運命を迎える者たちへの、始まりの一歩だった。
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