第16話:三者の追跡

王都の空に、鈍く曇った灰色の雲が広がっていた。かつて聖女と称された少女が、今は裏社会で再興を企む――そんな情報がもたらされたのは数日前のことだった。


レティシアは玉座の間ではなく、魔王領から訪れたクルーゼと、側近として動いていたセドリックと共に、王宮内の密談室にいた。


「ミリアは、旧市街の地下礼拝堂に潜んでいる可能性が高い。王国が追放した神を祀る、今では使われていない場所です」


報告を終えたセドリックの声には、かすかに怒りがにじんでいた。彼はもともと王国騎士団の誇り高き副団長。かつて信じていた聖女が裏切り者であったという現実は、今も彼の誇りを深く傷つけていた。


「……やはり信者を集めているのね」


レティシアは静かに呟く。バッドエンドの記憶——この世界がゲームであり、ミリアが暴走すれば世界が滅ぶ未来を知る彼女にとって、ミリアの動きはただの反乱ではなく、運命そのものに対する脅威だった。


「放っておけば、また“神託”とやらを使って人々を洗脳するだろう。信仰という名の暴力は、火種を残す」


そう語るクルーゼの金色の瞳は、冷ややかだった。彼はすでに魔王領でも情報網を駆使し、ミリアの信者による密入国や、魔導書の流通などを把握していた。王国も魔王領も、もう“聖女”という存在に翻弄されるつもりはなかった。


「けれど、あの子の口の上手さは侮れないわ。今度は“救世主”とでも名乗って、罪を塗り替えるかもしれない」


レティシアは机の上に、かつての礼拝堂の地図を広げた。かつてミリアが“奇跡”を起こした場所も、そのすぐ近くにあった。


「三日後。旧市街の地下に潜入します。兵士は最小限、接触は私たち三人で行う」


セドリックの提案に、クルーゼも頷いた。


「処刑するかどうかは、捕らえた後で話そう。……お前の望む“裁き”ができるなら、見届けてやる」


「ありがとう、クルーゼ」


その時、レティシアの胸に浮かんだのは、かつての“聖女ミリア”の笑顔だった。彼女は確かに、人を救おうとしていた。だが今は、救いという名のもとに他者を支配しようとしている。


そして、その裏で動く“信仰の狂気”を、レティシアは誰よりも知っていた。


「今度こそ……終わらせる」


少女の決意が、静かに夜を裂いた。




♢♢♢♢♢




旧市街の空気は、どこか淀んでいた。かつて聖女が訪れたという教会跡は、今では完全に忘れ去られた存在になっている。だが、その地下には、今なお灯りがともっていた。


「——ミリア様は、本当に我らを見捨てぬお方だ」


暗がりの中で、ひとりの男がそう呟いた。頬がこけ、ぼろぼろの外套をまとったその姿は、どこにでもいる流浪の民に見えるが、目だけは異様に澄んでいる。


「我らに救いを示された。あの方こそ真の聖女……いや、“救世主”なのだ」


そしてその視線の先、蝋燭の炎に照らされ、かつて聖女ミリアと呼ばれた少女が、静かに佇んでいた。


薄暗い礼拝堂の奥。その祭壇には古びた偶像と、血塗られた布がかけられている。ミリアはその前に膝をつき、瞼を閉じて祈っていた。


(……私は間違ってなどいない)


静かに心の声が響く。あの裁判の日々、屈辱と嘲笑の嵐の中で、ただひとつだけ確信したことがある。


(愚かな王家も、レティシアも、私の力を恐れていただけ。だから“聖女”の名を剥奪した)


暴走? 世界の終焉? そんなものは知らない。だが、彼女には信じるものがあった。


「私は……人々を救いたいだけなの」


そう呟いた声は、誰にも届かないはずの祈りだった。


「ミリア様、お言葉を……」


信者のひとりが近寄る。ミリアはゆっくりと立ち上がり、信者たちを見渡す。十数人。王国から弾かれ、魔王領にも馴染めなかった“捨てられた者たち”だ。


「……聞いて。あなたたちは“選ばれし者”よ」


静かに、しかし確かに響く声に、信者たちは目を潤ませる。


「王も、魔王も、真実を知らない。私は“神”と繋がっている……だから、再び啓示が降りたの」


「おお……!」


「新たな時代が来るわ。あなたたちが信じ続ける限り、私の奇跡は再び世界を救う」


その言葉に、ひとり、またひとりと跪く信者たち。彼らの目に宿る光は、かつて王国に仕えていた時代の信仰とは、どこか違っていた。


熱狂ではない。だが、深い依存。


そして、ミリアはそれを理解していた。


(私は、もう“聖女”じゃない……救世主として、すべてを変えるの)


彼女の心の奥底で、かつての優しさは確かに残っている。だがそれは、憎しみと混じり合い、復讐の色を帯びた祈りへと姿を変えていた。


一方そのころ、レティシアたちは密かに旧市街の調査を進めていた。三日後の潜入を前に、地下通路の入口を探るセドリックが、瓦礫の影に何かの札を見つける。


「これは……神聖結界の名残?」


「やはり、奴は準備を進めている」


クルーゼの声には怒りが込められていた。信仰は本来、人を救うもののはずだ。だが、ミリアのそれは、人の弱さを操り、世界を再び危機へと導こうとしていた。


レティシアは、そっと唇を噛む。


(……ミリア。どうして、あなたはそうなってしまったの?)


答えのない問いが、夜の闇に消えていった。

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