第7話

 退院して一週間が経ってから僕はバイトに戻った。

 バイト先のコンビニの店長や仲間は人の良い人達だった。

 入院の為に急遽シフトに穴を空けたにも関わらず、久々にバイトに行った僕の体調を心配してくれたし、僕の代わりにバイトに入ってくれた仲間も何一つ嫌な顔をしなかった。

 病み上がりの僕を心配し、店長は予定よりも早くバイトを上がらせてくれた。

 お礼を言って仕事場を後にする。

 しかし、そのまま家に帰る気にもなれない。

 家に帰るより、バイト中もずっと気になっていた由衣に会いに行く事を迷いなく決めた。

 途中で大きな駅ビルに立ち寄り、普通のチョコではなく、少しばかり上級なブランドのチョコをプレゼント用にラッピングしてもらった。

 それだけでは物足りない感じがしたので、同じ駅ビルにあるお花屋さんに立ち寄る。

 由衣にはどんな花が似合うだろうと考えながら、店の中の花を見て回る。

 お店の一角に置いてあった花が目についた。

 大きめの緑の葉っぱから細い茎が上に向かって伸びていて、その先っぽに小さいツボのような白い花が連なり、下を向いて咲いている。

 その形状から、まるで小さな白い鈴が連なっているように見える。

 確かこの花は鈴蘭という名前だったと思い、その花が植えられている鉢に貼られたポップに目をやると、やはり鈴蘭で間違いなかった。

 小さく、白く、可憐なイメージが由衣にぴったりだと思い、この花を購入する事にした。

 鉢に植えられた花をお見舞いに持っていくのは(病気が根づく)という不吉な意味となり、相応しくないと聞いた事があるので、店員の女性にブーケにしてもらえるか聞くと、快く応じてくれた。

 僕はチョコレートと鈴蘭のブーケを手に、わくわくしながら病院へと向かった。

 …コンコン。

 病室のドアをノックする。


「はい。どうぞ」


 中からは由衣のお母さんの声。


「失礼します」


 そう言ってドアをあける。

 病室の中に入ると、由衣と由衣のお母さんが僕の方を見て少し驚いたような顔をした。

 お母さんに軽く頭を下げてから由衣に声をかけた。


「由衣。約束通り会いにきたよ」


 途端に由衣の目が輝き、満面の笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん、本当に来てくれたんだ。由衣嬉しいよ!」


 ベッドから飛び降りて、由衣が僕に抱き着く。


「倉持さんありがとうございます。由衣、倉持さんが退院してからずっと、お兄ちゃん来ないのかな。お兄ちゃんいつ来てくれるのかなって毎日言ってたんです。良かったわね由衣」


 由衣は大きな声で「うん」と言ってから、僕に抱き着いたまま顔を上げて僕を見た。


「絶対来てくれるって信じてたの。今回入院してから色んなお願い事してたけど、初めて願いが叶った!お兄ちゃんが由衣の願いを叶えてくれたんだよ。本当にありがとう」


 なんとも言えない喜びが僕の胸に湧き上がって来た。

 今まで人に必要とされた事がない僕。

 自分でも自分の能力の無さを知り、自分自身を諦めて嘆く事すら出来なくなった僕をこんなにも必要としてくれる存在がいた。

 誰かに必要とされ、頼りにされる事がこんなにも自分を幸せであるという事を初めて教えてもらった。


「こちらこそありがとう由衣。そんなに待っていてくれたなんて、お兄ちゃん本当に嬉しいよ。そしてお兄ちゃんが由衣の願いを叶えてあげられたなんて言ってもらえて、皆に自慢して回りたい気分だ」


 それを聞いて由衣は声を上げて笑った。

 由衣がベッドに戻ってからお見舞いのチョコレートと鈴蘭のブーケを差し出した。


「わー!お兄ちゃんありがとう」


 由衣は鈴蘭のブーケを腕に抱いたまま、すぐにチョコレートの包装紙をビリビリに破いて箱を開け、チョコレートをひとつ口に放り込んだ。


「なにこれ!すっごく美味しいチョコレート!こんなの今まで食べた事がない」


 口をもぐもぐさせながら、由衣は目を剥いて僕に言った。


「由衣、お行儀が悪いわよ」


 お母さんが眉間を顰めて由衣に注意する。


「いいんですよ。喜んでもらえたら嬉しいです」

「でもこのチョコレート、高級で有名なブランドの物ですよね」


 申し訳なさそうな顔をお母さんは僕に向けた。


「大した事ないです。気にしないでください」

「このチョコレート高級なの?どうりで美味しいと思った」


 まだ口をモグモグさせている由衣の言葉で、僕とお母さんは思わず噴き出した。

 由衣はチョコレートを脇に置いて、鈴蘭を両手で持って見つめる。


「チョコレートも美味しくて嬉しいけど、このお花も可愛くて好き。何てお花なの?」


 由衣のベッドの横にあるイスに座って言った。


「鈴蘭っていうんだ。白くて可愛い所が由衣にぴったりだなって思ってお見舞いに持ってきたんだ」

「本当?…可愛い?凄く嬉しい!」


 由衣は鈴蘭を大切そうに抱えてニッコリ笑った。


「それにね、鈴蘭の花言葉も素敵なんだぞ?『幸福が帰る』『幸せの再来』『純粋』っていうんだ。お兄ちゃん、純粋で可愛い由衣に幸せが帰ってきますようにって願いを込めたんだ」

「お兄ちゃん凄い!そんな事知ってるんだ?見た目と違って頭がいいのね」

「まあね」


 …見た目と違ってという言葉が少し気になったが、由衣が目をキラキラさせて僕を見ているのは悪い気がしなかった。

 ただ、鈴蘭の花言葉は元々知っていた訳じゃない。

 お見舞いに来る途中に、スマホでググって得た知識だ。

 勉強も嫌いで本と言えばマンガしか読まない僕に、そんな知識があるはずもない。

 しかし純粋な由衣の想いに応える為、僕はあえて頭のいい振りをしなければならない。

 …と、自分に言い聞かせた。

 それからというもの、僕は時間さえあれば足しげく由衣のいる病院に通った。

 出来るだけ家に居たくなかったという思いもあったが、それ以上に何故か由衣の事が気にかかったし、由衣との時間が僕の癒しにもなっていたのだ。

 通い始めて何度目かの時。

 その日もお見舞いで買っていったお菓子を頬張りながら由衣が僕に話しかけてきた。


「ねぇねぇお兄ちゃん」

「なに?」

「お兄ちゃんって彼女はいるの?」


 突然のオマセな質問に僕は戸惑いつつ答えた。


「ざ、残念ながらいないよ」

「そうなんだ~」


 何故か由衣は嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、由衣の事好き?」


 そう言ってさっきの微笑みとは違い、急に真剣な目で僕を見つめる。


「う、うん。もちろん好きだよ」

 真剣な眼差しに少し狼狽えながら答えた。


「ふ~ん……」


 暫く黙り込んだ後、意を決したようにまた僕を見つめる由衣。


「じゃあ、大きくなったら由衣がお兄ちゃんのお嫁さんになってあげる。お兄ちゃん一人じゃ可哀想だし、由衣もお兄ちゃんの事嫌いじゃないから」


 由衣は頬を少し赤くして、ベッドから下げた足をブラブラさせながら呟くように言う。

 そんな由衣を見て、僕と由衣のお母さんは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。


「何よ!なんで二人とも笑うの!」


 由衣はプッと頬を膨らませて怒る。


「ごめんごめん。お嫁さんになってくれるってのが嬉しいのと、そんな風に言ってくれる由衣が可愛すぎてさ」

「いいもん!由衣、お兄ちゃんのお嫁さんになんてなってあげないもん!」


 完全に拗ねた様子で、由衣は顔を横に向けた。

 こんな可愛い妹がいたら、あの窮屈で居心地の悪い家も少しはマシだったかも知れないと考えながら、僕は由衣の頭を撫でた。


「由衣、いい事を教えてあげる。鈴蘭の花はフランスっていう国では、花嫁さんの幸せを願って鈴蘭のブーケを送る習慣があるんだ。それから昔、凄い美人な女優さんがモナコって国の一番偉い人と結婚した時も鈴蘭のブーケを持ったし、ちょっと前だとイギリスって国の王子様と結婚して妃になったキャサリンって人も結婚式には鈴蘭のブーケを持ったんだよ。だから由衣とお兄ちゃんが結婚する時も、ブーケは鈴蘭で作ろうか?」


 由衣は僕がお見舞いで持ってきた鈴蘭のブーケを手に取って眺めた後、キラキラと輝く目を僕に向けて言った。


「ホント?そうなの?じゃあお兄ちゃんと結婚する時、由衣、絶対鈴蘭のブーケ持つ!」


 それからブーケを床頭台の上に戻した後、引き出しを開けて取り出した何かを自分の掌に載せて僕の方へ差し出した。


「じゃあ今からお兄ちゃんは由衣のフィアンセだからこれあげる」


 差し出されたものは、ビーズを繋げて作った指輪だった。

 由衣は僕の手を取り、左手の薬指にそのビーズの指輪を嵌めてくれた。


「これ、由衣が作ったの。婚約指輪よ」


 由衣のお母さんが僕の方を見て微笑む。


「今度お兄ちゃんが来たらプレゼントするんだって作ったんです」


 お母さんと顔を見合わせて、僕も微笑んだ。


「由衣ありがとう。お兄ちゃん嬉しいよ。じゃあ今度来る時はお兄ちゃんも由衣に指輪を買ってこなきゃな」


 そう言ったら由衣は突然真顔になって心底心配そうな口調で言った。


「お兄ちゃん、まだ定職についてないんだから無理しなくていいのよ?ちゃんとお給料を貰えるようになるまで由衣待てるから」


 僕と由衣のお母さんは同時に噴き出した。

 それから数日後に僕はまた由衣の病室を訪れ、約束していた指輪をプレゼントした。

 プレゼントしたのはおもちゃの指輪だが、それでも由衣は心から喜んでくれて大はしゃぎだった。

 隣でそれを見ていた由衣のお母さんも、いつも以上に明るい表情で由衣に声をかける。


「由衣、今日は嬉しい事が二つもあったわね」

「うん!」


 大きく頷いた由衣は僕を見つめ、両手で口を隠すようにしてウフフと笑う。


「何かあったんですか?」


 聞いた僕に、お母さんは心底嬉しそうな表情を浮かべて言った。


「やっと…やっと由衣のドナーが見つかったんです」

「ホントですか⁉良かったな由衣」


 思わず由衣を抱きしめ、頭を撫でる。


「お兄ちゃんがそんなに喜んでくれるなんて凄く嬉しい。由衣、絶対元気になるからね!」

「うん。絶対元気になって早く退院しような」


 何度も頷きながら、何度も由衣の頭を撫でた。

 僕と由衣と由衣のお母さんの三人は、その日ずっとはしゃぎ続けていた。

 全てが良い方向に向かっている。

 僕達は由衣の病気が治って元気になる事を疑いもせず、やがて来るであろう退院の日を夢見ていた。

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