願
昼をとうに過ぎても、雨は外界を冷ややかに包んだままだった。
「天気というのは中々思い通りにはいかないものです。もう少しで日も暮れる。りんさん、今日はもう泊まっていってはどうです」
「では、お言葉に甘えまして」
遠慮を知らぬしれっとした返事に、
「話し相手がいるというのは、やはり愉快なものですな。では、そろそろ夕餉にしましょう。このような暮らしですから、期待はなさらんでくださいよ」
「お手伝いいたしましょう」
「なに、これも修行です。貴方は座っておいでなさい」
腰を上がりかけたりんを押しとどめ、知円は食事の支度を始めた。土間で立ち働く老僧を眺めていたりんの目が壁際に向く。
やがて、優しく香ばしい匂いが漂い始めた。
「さ、出来ましたよ」
知円が鍋を板の間に運び、火鉢に置く。
「こんなものしか差し上げられませんが、熱いうちに召し上がって下さい」
「ありがとうございます。頂戴いたします」
知円は麦とたっぷりの山菜を炊いた雑炊を茶碗によそい、その上に鍋口に塗り付けた焼いた挽き豆を載せ、りんに差し出す。刻んだ芹を添えたのは、老僧のせめてもの心遣いだった。
「美味しゅうございます。炊き加減も素晴らしいですが、何より挽き豆の加減が程良いですね。芹の香りとも大変合います」
「ふふふ、世辞であっても嬉しいですなあ。挽き方だけじゃなく、塩加減にも拘りがあるんですよ」
清貧ながらも温かな食事を終え、人心地着くと、知円がりんの湯呑みに白湯を汲む。
湯呑を手に、再び壁際に並ぶ像に顔を向けたりんの細い目が、更に細まった。
「御坊は素晴らしい仏師でもいらっしゃるのですね。ですが」
並べられた像の列の中央が、僅かに空いている。
「こちらに置かれている像で全てでございますか? 何と申しますか、どこか物足りなくも思えるのですが」
「ええ……りんさん、これらをどうご覧になります」
「大変素晴らしゅうございます。わたくしはあちらこちらを巡っておりますが、このように生き生きとした像を拝見したことはございません。今にも動き出しそうです」
「やはり……」
掛け値なしの賛辞に、知円ががくりと肩を落とし、
「……像を彫るというのは、心や魂という無形の存在を捉え、有形にするということです」
「はあ」
「木片に形を与え、魂をそこに閉じ込める。私には未だそれしか出来ないのです」
「よく分かりませんが、それで十分、いえ、十二分なのではございませんか」
りんの言葉に、老僧が首を振る。
「ここに欠けているのは、ご本尊様です。私はね、真なる御仏を彫りたい。生や死の先にある御仏のお姿を彫りたいのです」
肉体も魂すらも越えた永遠の安寧を彫り上げる。それだけを願い続けているのだが、未だその境地に達せない。己の手足ともたのむ槌と鑿から、衆生を苦界から救いたもう尊い御姿は浮かばない。
「僧として、仏師として、忘我の境地を知りたい……」
一心に経典を紐解き、幾体もの天や仁王を彫ってみたが、肝心の御仏は一彫りも叶わぬまま、気付けばこんな歳になってしまいました……そう呟くと知円は禿頭をつるりと撫で上げ、
「まあ、そればかりで他の修行に身が入らなかったものだから、ある日とうとう、師にこの山寺に押し込まれたんですよ」
以来、ずっとこの暮らしです……と、きまり悪げに笑った。
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