僕らは吸血鬼と仲良くできない

加賀瀬 才

序章 色褪せた日々の終わり Lifeless Boy meets Lively Girl

プロローグ

「ごめんなさい」

 静寂の森に響く鳥の囀りのような、繊細なのに良く通る声だった。

 二〇二五年九月二日。二学期が始まって二日目のお昼休み。

 その終了五分前。

 私立撫神なでかみ高校一年二組の教室は、突然の事態に騒然としていた。

 原因は明白だ。

 目の前で少女が一人、深く頭を下げている。

 誰にって? 信じられないことに、僕に対してである。

 重力に従って、艶を纏った長い黒髪が彼女の肩からさらさらと流れ落ちていく。

 僕はそれをぼんやり眺めながら記憶を辿るが、当然謝罪される心当たりはない。

 だってこの時間、さっさと昼食を済ませた僕はずっと読書をしていたのだ。

 つまり、自分の席を一歩も動いていない。誰かとトラブルなど起きるはずがない。

「ええっと…………。何のことかな?」

 なんとかそう応えると、ようやく彼女が顔を上げる。

 どきりとした。だって彼女の色白で整った顔立ちは、一目で分かる美しさだったから。

 はて。こんな可愛い子がうちの高校にいただろうか?

 特に印象的なのは、長い睫毛に縁どられた大きな目だ。カラコンでもつけているのか、その瞳は鮮やかな赤色で、その眼差しは真剣そのものだった。

 断言できる。やっぱり彼女とは今日が初対面だ。

「あの、多分人違いなんじゃ……っ!」

 僕の言葉は最後まで続かない。

 何故って、一歩距離を詰めた彼女がわざわざしゃがんで、座る僕に目線を合わせたからだ。

「とにかくお詫びをさせて。私にできることなら何でもするから!」

 一瞬で、釘付けになってしまった。

 その紅蓮の双眸には、僕のちっぽけな反論を許さないくらいの、強い覚悟が宿っている。

 周囲の生徒が一段と騒がしくなるが、最早そんなことは気にならない。

 成る程。勘違いをしていた。

 彼女はただ謝罪をするために来たのではない。僕に対して決意表明をしに来たのだ。

 つまりこれは、彼女にとって確定事項。特にスルースキルのない僕に抗う術などない。

「えっ……あぁ、はい」

 だからつい、受け入れてしまった。

「ほんと? 良かった! それじゃまた放課後ね!」

 周囲の喧噪をよそに、パタパタと足早に教室を出ていく彼女を見送りながら、僕は今更後悔に苛まれる。

「あっ、ちょっと……」

 やってしまった。これはきっと、いや絶対、面倒事に決まっている。最悪だ。

 そもそも彼女の目的は何なのだ? 彼女と僕の間に一体何がある?

 考えたところで何一つ分からない。手掛かりがあまりにも少なすぎる。

 それでも一つだけ、はっきり言えることがある。

 どうせ僕には何もできない。どうせ何も変えられない。

 彼女には申し訳ないが、これは僕の確定事項だ。

 それなのに、ああ……。どうしてこんなことになったのだろう。

 ジリリリリッと鳴り響くチャイムが、無情にも終わりを告げる。

 騒がしいお昼休みと、平和だった僕の高校生活。その両方の確実な終わりを。

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