第4話 不思議
思えば、世界は不思議なことばかりである。例えば、この川。この川がどこから流れているのか、と問えば皆おそらく「山から流れている」と答えるだろう。
では何故、山から流れてくるのか、と問えば「雨が降るからだ」と答えるに違いない。皆が口を揃えるのであれば、それはきっと事実なのだろう。誰かがそれを研究し、「不思議」ではないものに変えたのだ。
しかし、川の始まりがどの様にして出来上がるのかと問われれば、大抵の人間は口をへの字に曲げるだろう。そこには理解していたつもりの奥に潜む「不思議」がいる。
「何故」だとか、「どうして」だとか、そう言ったものを突き詰め続けたとしても、結局最後まで「不思議」というものはその姿を表すのだろう。
「不思議なことに詳しい、不思議な人。そう言っていたな」
「はい、言いました」
「どんな人なんだ?」
「そう、ですね」
吾輩はエマの言うところの「不思議な人」を訪ねるために、その者の住む家まで歩いているところであった。川沿いをただひたすらに歩いているので、もしかしたら吾輩の持つ「不思議」を一つ解き明かすことができるかもしれない。
「エスプレッソさんは、魔法の存在を、信じていますか?」
「このような状況である。信じないわけにはいかない」
「ふふ、それもそう、ですね」
エマの歩幅は、確かに小さかった。吾輩が猫であったときと然程変わらない程に。
「私も、信じています。そして、それを信じさせて、くれる人です」
「というと、その者は魔法が使えるということか?」
「そう、ですね。使えると思います」
会ってみればわかる。エマはそう言って、テクテクと歩き続ける。その小さな歩幅に、どこか力強さを感じるのだから面白い。
先程まではギラギラと見下ろしてきていた太陽も、今は地平線の彼方へと頭を下げている。何かを恥じるように赤面しながら、である。
直に夜が来る。そうなって仕舞えば、当初の目的であった吾輩の身体の捜索は難航するだろう。何せ吾輩は黒猫である。
エスプレッソと、そう名の付くほどに。
30分程歩いて、エマが「ここです」と言って指さしたのは、住宅街の一角にある小さなアパートであった。此処にたどり着くまでの道は、川沿いから外れた瞬間から迷路のようにうねり、吾輩一匹ではマイゴになるのは避けられなかった。
階段を上り、一番奥の扉まで進むと、エマはインターフォンを鳴らした。数秒して、部屋の中からごそごそと何かが這いつくばるような音が聞こえたかと思うと、ゴトっと重たい金属を落とすような音が聞こえた。
ああ、全く。参ったな。
部屋の中から低い男の声が聞こえる。そうしてまた数秒、漸く扉は開かれ、中から出てきたのはやはり男であった。
「はいはい、どちらさん……おや、こいつは驚いた。君は」
「お久しぶり、です!お元気でしたか?」
男は背が高く、やせ型である。目の下の隈に無精髭、ぼさぼさの頭に一重の両目。
吾輩の想像していた「不思議な人」とはかけ離れているその容姿に、少しばかり驚かされた。
「俺は不変がモットーでね、元気でないことを不変としている」
つまりどういうことなのだろう。
「つまり、どういうこと、ですか?」
「まあ、元気さ」
男は困ったような顔で顎の髭を撫でる。
「それでお嬢ちゃん。確か、師走殿のところのエマちゃんだったか。今日は何の用だい?」
「師走殿?」
「私の、おじいちゃんです!」
なるほど、あの老人の名前は師走殿というのか。
「あのですね、今日はこの、スミ君について、少し相談をしたくて」
エマがそう言うと、男は吾輩の、或いはスミの全体を見渡す。そうして暫く考えたのち、口を開いた。
「ふむ。スミ君か、宜しく頼むよ。俺はミズナシという」
宜しくと言われたときに、何と返すのが正解なのだろう。結局、吾輩の口は「嗚呼」と鳴くことしかしなかった。
「それでですね、ミズナシさん。スミ君の、ことなのですが」
「それなら中で聞くことにするよ、立ち話には抱えている問題が少しややこしそうだ」
ミズナシは不思議なことに詳しい、不思議な人だ。もしかしたら、吾輩の抱える問題にも既に気が付いているのかもしれない。
二人は促されるように、男の部屋へと足を踏み入れた。
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