第22話 たった数回寝たくらいで


 ミーティングルームにいたのは山里マネージャーだけで、私は首を傾げつつも四人掛けテーブルの椅子を引いて瀬野さんの隣に座った。


「遅くなってすみません」


「ううん。急に呼び出しちゃってごめんなさいね」


 山里マネージャーが眉尻を下げ申し訳なさそうに言う。


「いえ……。有村ちゃんは呼ばなくていいんですか?」


 不思議に思って尋ねると、山里マネージャーは微笑んで頷いた。


「先に二人に話したかったの。まだ内密にして欲しいんだけど、実はね――……」


 話しだした山里マネージャーの言葉を真剣に追う。

 

 簡潔に言うと――おめでたいことに、山里マネージャーのお腹に二人目の赤ちゃんがやってきたという報告だった。

 

 来年の夏前から、一年間の育休に入る予定らしい。

 

 そして今回私たち二人を呼び出したのは、山里マネージャー不在時の穴を、別の課からマネージャーを呼ぶのではなく、瀬野さんに「サブマネージャー」という形で担ってほしくて、そのサポートを私にも頼みたい……ということだった。 

 実はもう一名、春に新人を増員することも検討しているらしい。

 

「引き継ぎは今から始めるとして……春からは三ツ矢さんに新人教育をお願いしたいと思っているんだけど、どうかしら。正式に決定する前に二人の意見も聞きたいんだけど……」


「私はその体制で異論ないです。山里マネージャーも、体調が優れない時は遠慮なく休んでくださいね」


 山里マネージャーが不在になれば、大変だとは思う。

 でも、瀬野さんと二人ならやっていけるだろう。そう思って隣を見ると――瀬野さんは、小さく息を吸うと、そっと口を開いた。


「……申し訳ありませんが、サブマネに関しては辞退させてください。私にはできません」


「えっ?」


 私は思わず声を上げていた。


「……そう思う理由を聞いても良い?」


 向かい側に座る山里マネージャーは戸惑うこともなく、微笑みながら静かに口を開いた。


「三ツ矢さんの方が適任だと思います」


 突然名前を出されて、驚いた。

 

 今までとは違う業務を担うことを不安に思う気持ちはわかる。

 でも、今まで瀬野さんの働き方を見てきたからわかるけど、こいつは絶対にマネジメントに向いてる。

 

 山里マネージャーも絶対に見抜いている。だから抜擢したに違いないのに。


「あんた、山里マネージャーの話聞いてた? 大丈夫だよ、私もちゃんとサポートするから……」


「そういうの、私は向かないから」


 絶対にチャンスのはずなのに、どうして自分からふいにするんだろう。

 上昇志向が強い有村ちゃんがもしここにいたら、火がついたように怒ったに違いない。


「それが今の瀬野さんの気持ち?」


 山里マネージャーが静かに尋ねる。

 怒るでも、諭すでもなくただ傾聴する姿勢。

 こういうところが彼女が尊敬を集める所以なんだよな。有村ちゃんが盲信するだけあると思う。


「はい」


 瀬野さんが迷いなく答えた。


「そっか……うーん。じゃあ三ツ矢さんは、どう思う? サブマネ、やってみる?」


 今度はこちらに飛び火したので、私は姿勢を正した。

 私はどう思うか――? そんなの決まってる。


「……いいえ。絶対に瀬野さんがやるべきです」


 

 ***


 

 目の前を行く、揺れる長いブラウンの髪を追いかける。


「ちょっと待って」


 廊下で追いつき、腕を摑むとようやく瀬野さんは足を止めてくれた。


「なんで断ったの? 絶対やるべきだよ。山里マネージャー困ってたじゃん」


「私はパス。そう言うなら、香織がやって」

 

「あんたの方が社歴長いでしょ」


「社歴だけはね。でもあなたの方が適任。サポートは私がするから、引き受けて」


 これ以上話すつもりはないみたいに、ぱっと私の手を振り払って瀬野さんはスタスタ行ってしまう。


「ちょっと……私の話を聞け!」



 全く理解できない。

 

 悪くない話だと思う。

 山里マネージャーが不在の間の一年とは言っているが、ここでサブマネの経験を積んでおけば、次の人事異動の時に、マネージャーとして白羽の矢が立つ可能性だってあるはずなのに。


 お金に執着しているくせに、どうして出世を拒むんだろう。いったい何を考えてるんだ?

 

 確かに業務は忙しくなるし課題だって次から次へと出てくるとは思うけど、私だって最大限のサポートはするつもりだ。


 絶対にできる。ふたりなら。

 そう思うのは、私だけなんだろうか。


 このままデスクに戻るのもむしゃくしゃして、コーヒーを飲んでから行こうと休憩室に立ち寄った。

 自動販売機の前に立って、コーヒーのボタンを押して社員証をかざす。

 本当は煙草を吸いに行きたかったけど、あんまり離席すると、有村ちゃんがうるさいからな。


 抽出が終わり自動販売機からカップを取り出す。同時に通知音が鳴って、スマホをポケットから引っ張り出した。


 画面を見ると、新山くんからだった。


「なんだよもう、めんどくさいな……」


 通知をタップする。

 受信したメッセージを見て、私は凍りついたように固まった。

 

 ――瀬野さん、クリスマスに俺とデートしてくれるって!


「……は?」


 信じられない気持ちで私はスマホの画面を見つめた。


 クリスマス? オーケーした? 瀬野さんが?


 嘘だ。

 だって、あんなに乗り気じゃなかったくせに……。


 ギュッと拳を握りしめる。

 胸の奥に湧き上がってくる気持ちを無視できない。焼けた鉄を胸に押しつけられているようだった。




 仕事終わり、足早に退勤を済ませてさっさとオフィスを後にしてしまった瀬野さんを追いかけた。

 エントランスで追いついて隣に並ぶと、怪訝そうに私を睨み付ける焦茶色の瞳を見つめる。


「なあに、今日は悪いけど相手できないわよ。そういう気分じゃない」


「違う。私だって妹の結婚式があるから実家に帰んなきゃいけないし……って、そうじゃなくて。新山くんに聞いたよ。デートするんだって? “相手は自分で選べる”って言ってたくせに」


 自制がきかず、とげのある言い方で責めるように言うと、瀬野さんはじろりと私を見た。


「選ぶもなにも……ただ食事に行くだけじゃない。別に付き合ってるわけじゃないし」


 クリスマスにデートするなんて“ただの食事”じゃないだろ。

 胸の奥がざわざわする。不愉快でたまらない。焦燥感。懐疑心。色々な感情が闇鍋みたいにぐるぐると混ざり合って胸の奥で軋んで悲鳴を上げている。


 ――そろそろ私も恋人作らないとな……。


 あのときの言葉。こいつもしかして本気で新山くんと付き合おうとしてる?


 片思いしてるってまさか、新山くんに?


 彼は実家が太い金持ちだ。瀬野さんが求める条件的にはぴったり合致する。でも――。


「やめときなよ。絶対あんたとは合わないから。新山くん、前はずっと青澤ちゃん狙ってたんだよ」


「知ってる。ていうか、あなた前に私と新山さんくっつけようとしてなかったっけ? 今更どうしたの」


「新山くんはね、あんたの顔と身体にしか興味ないから。絶対にやめといた方がいい」


「……それは香織も一緒でしょ。あなただって私の身体にしか興味ないじゃない」


 刺すような眼差し。ばっさりと吐き捨てるように言われて少しだけ傷付いた。


 違う、一緒にするなと喉の奥まで込み上げてきた言葉を懸命に飲み込む。今はそんな押し問答がしたいわけではない。


「……サブマネ蹴って、金持ち男とデートして、玉の輿狙うことが本当にあんたの幸せなの? そんなの離婚したら一巻の終わりじゃん。どうして男に頼って生きていこうとするの? 自分の足で立って歩けるだけの力あるでしょ」


 ただ願望を押し付けているだけだ。

 瀬野さんに、そうあって欲しいと私が願うだけ。

 どう生きるかは彼女の自由なのだから、私に口を出す権利などない。わかっていても言わずにいられなかった。

 

 お願いだから、欲しいものを自分の力で摑めるチャンスがすぐそこにあるのに、誰かに寄りかかるような生き方を望まないで。


「しつこい。香織には関係ないでしょ。私が誰と何をしようが」


 誰と、何をしようが。


 その言葉が私の神経を逆なでした。カッとなって、思わず、彼女を責める言葉を吐き出すのを止められなかった。


「あんたは金のためなら誰とでも寝るわけ? 貞操観念どうなってんの。全然理解できない」


 ぴたりと瀬野さんの足が止まった。驚いて私も足を止めると、振り返った瀬野さんに思い切り胸ぐらを摑まれて引き寄せられ、身体がガクンと揺れた。


「うわっ!」


 射殺すような鋭い眼差しと視線がぶつかる。

 

 えっ、嘘、もしかして殴られる――?

 ちょっと待って、コイツ、こんなにバイオレンスな性格してたっけ。

 衝撃に備えて思わずギュッと目を瞑ったが、拳が飛んでくることはなかった。


 その代わり、


「……あなたに私の何がわかるの? 知ったような口聞かないで。たった数回寝たくらいで」


 聞いたこともないような静かな怒りを孕んだ声に息を呑んだ。


 初めて本気で怒った彼女を見て私はあまりの威圧感に言葉を失った。


 どうしよう……めっちゃ怒ってる……。


 胸を突き飛ばされてよろけると、そのまま瀬野さんは私から目を逸らして行ってしまった。


 ぐしゃぐしゃと前髪を掻き乱す。


 あの夏から数えきれないほど夜を重ねてきた。私はあんたと何回したかなんてもう覚えてないよ。それでもあんたにとっては“たった数回”なの?


 また失言した……。

 嫉妬して、思ってもないことを言ってしまった。


 謝らなきゃいけないと頭ではわかっているのに、私はもうこれ以上、彼女を追うことができなかった。

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