第21話 私が、望めばなんでも手に入るような人生を送ってきたように見える?
「三ツ矢さんさ、瀬野さんの好きな食べ物知らない? 食事に誘いたいんだけどどんな店予約すればいいか迷っててさ」
朝一番、新山くんに話があると呼び出されたので何事かと思ったら、今一番聞かれたくない話題を出されて私は顔を引き攣らせた。
「……知らないよ、好き嫌いなんて聞いたことないし」
クリスマスを目前にして浮かれてるらしい彼は、ここぞとばかりに行動を起こすことに決めたらしい。
青澤ちゃんのときもそうだったけど、新山くんは断られ続けても誘い続けるタフさを持っている。
「じゃあ、女性が好みそうなおすすめの店とかない?」
「本人に了承得てから探せばいいんじゃない? オーケーしてくれるかもわかんないのに」
ついキツイ言い方をしてしまったが、新山くんは気にすることなく続けた。
「店が良かったら来てくれるかもしれないと思ってさ」
「悪いけど私そういうのわかんないよ」
私はあのレベルの女をラーメン屋に連れて行った女だぞ。
思いっきりため息つかれたよ。その割には美味しそうに食べてたとは思うけど。
「じゃあ、とりあえずホテルのディナー予約しておけば来てくれるかな?」
「さあ、どうだろう。役に立てなくてごめん」
これ以上話を聞いていたら、いよいよ眉間に皺が寄りそうで、新山くんに背を向けてデスクへと足早に戻った。
瀬野さんはどうせ断るだろうけど……やっぱり、こうやって直近で口説かれそうになっているところを目撃するのはいい気がしない。
クリスマスが近くなると、みんな恋人を作ろうとそわそわするのは、なぜなんだろう。
冬は寒いし、恋人たちのイベントを独り身で過ごすのが味気ないという気持ちも理解できる。
でも、順番が逆じゃないだろうか。
恋人を作るより前に恋をするのが先なのでは?
なぜ大人になると、恋をするより先に恋人を作ろうとするのだろう。
なんて……好きになるより先に身体の関係を持ってしまった私が言えたセリフではないのだが。
瀬野さんが“恋人つくらないと”と言っていたのがずっと引っかかっている。
また泥濘に嵌ってしまった。泥が足に纏わりついて、私はここから一歩も動けない。
***
昼休み、コートを羽織って屋上へ向かうと、見知った後ろ姿を見つけた。
「黒崎くん、お疲れ」
「あ、お疲れっす!」
冬になって、日焼けしていた肌が少しだけ白くなった黒崎くんが爽やかな笑顔を向けてくる。
最近は煙草休憩の回数を減らしていたし、お互いに忙しくてあまり飲みに行く時間も取れていなくて、黒崎くんと話すのは久しぶりだった。
彼は新山くんと違って惚れたはれたに興味がなさそうで、その手の話題にナーバスになっていた私は彼の顔を見て少しだけ安心した。
「どうすか、初めての繁忙期は」
「想像以上に忙しくて驚いた。クリスマス前ってこんなにすごいんだ。恋人同士ってみんな一流ホテルのレストランで食事するもんなの? 世の中、金持ちばっかりなんだね」
私はそんな煌びやかなデートなんて経験がない。今まで付き合ってきた男とだってせいぜいディナーはちょっといいお店に行くぐらいで、泊まるのだってお互いの家かその辺のラブホテルで……。
そこまで考えて思考を放棄する。やめよう、こんなこと思い出したってなんにもならない。
煙草に火をつけると、黒崎くんが少しだけ屈んで私の顔を覗き込んできた。相変わらず高い背。
「三ツ矢さんはクリスマス、どうするんすか?」
「どうって……会社にいるよ」
「そうじゃなくて、その後。三ツ矢さんって彼氏いるんすか?」
「まさか、いないよ。いるように見えないでしょ」
私はどうせ今年もひとりだろうな。もう慣れたものだけど。
黒崎くんは、ふー、と煙草の煙を吐き出すと、灰皿に煙草をギュッと押し付けた。
こほんと一度咳払いして、なぜか私に向き直る。
「三ツ矢さん。それなら俺、立候補していいっすか」
「え?」
立候補? 何に? 選挙?
一瞬固まった。黒崎くんの顔を見つめると、少しだけ強張っている。
「一流ホテルのレストランとかは流石に無理ですけど、クリスマス……仕事終わったら、俺とデートしませんか」
「えっ……冗談でしょ」
急に言われて驚いた。
今まで彼と何回か飲みに行ったりはしてたけど、そんなそぶり、一度も感じなかったのに。
「冗談じゃないっす」
ぽかんとした私の身体に逞しい腕が伸びてきた。肩を摑まれて、引き寄せられる。
慌てて手に持っていた煙草の火を黒崎くんから遠ざけたせいで、近付いた身体を押し返すことができなかった。
すっぽりと抱きすくめられる。
「……あの、これ、どういう状況?」
「やっぱり……。俺の気持ち全然気付いてくれてないと思ってました」
平たい胸板に頬を押し付けられる。強い力で身動きが取れなくて、こんな時に、私に縋りつくあの彼女の細い腕を思い返していた。
女同士で抱き合うことに慣れすぎて、男性の身体の感触をすっかり忘れていた。
なんだか男性の腕の中にいると、自分がすごくちっぽけで頼りない存在に感じてしまう。
羨ましいと思ってしまった。
この太い腕と厚い胸板があれば、私はこんなにも悩んだりせずに済んだのだ。
お金持ちではないにしたって一生懸命働けば、もしかして、気に留められるくらいの可能性はあったかもしれない。
例え一流レストランに連れて行ってあげることができなくても。男だったら――もしかしたら。
なんて……こんなの言い訳だ。
だって彼女は、女性も愛することができるのだから。
彼女にとって私は、身体の関係を持つのはよくても、恋人にするには足らないだけ。
希望は風前の灯。頼りなく揺れる蝋燭の炎みたいに、軽く吹けば容易く消えてしまいそう。
いっそこのまま彼に寄りかかってしまえたら楽だろうな。この悩みや苦しみからも全て解放される。
「考えてみて、貰えませんか?」
低い声で囁いた黒崎くんの言葉で我に返ると、手のひらで身体を押し退けた。少し力を入れただけだけど、呆気なく離れた。
「……生意気」
拳を握り締めて、胸にパンチを一つ。固い胸板は、びくともしなかった。
「だめですか?」
「……悪いけど、社内恋愛なんてする気にならないよ。別れた時めんどくさいし、絶対やめといた方がいい」
最後に一回だけ吸って、灰が落ちそうになっていた煙草を灰皿に押し付ける。
もうここにいちゃいけない。これ以上深い話になる前に。
「私、戻るね」
「……三ツ矢さん」
「ん?」
「俺は三ツ矢さんと一緒にいて楽しいです。話も合うし、趣味も合うし――絶対に上手くいくと思うんです。どうして別れることを前提に考えるんですか? 信じてください。俺、生半可な気持ちじゃないっす」
真剣な瞳があまりにも眩しい。
私は黒崎くんが思ってるような人間じゃないけどな。
社内恋愛なんてする気がないと言っておきながら、同僚と寝てるし。
私は何も答えずに、ひらひらと黒崎くんに手を振って背を向けた。
深いため息をついて、屋内に続くドアを開ける。なんだか気が滅入りそう。
「香織」
「うわっ! びっくりした!!!」
急に声をかけられて反射的に仰け反った。
声の方を向くと、壁に背を預けたまま腕を組んでいる瀬野さんとばっちりと視線があった。
「……電話したんだけど」
「え、嘘……ごめん、気付かなかった」
「山里マネージャーが呼んでる。今からミーティングするって」
さらりと言ってから、瀬野さんはふいと視線を逸らして歩き始めた。慌ててその背を追う。
「あのさ……見た?」
「何を?」
「いや、ううん。なんでもない」
よかった。見られていたかと内心ヒヤヒヤしてしまった――。
「……社内でイチャつくのはやめたほうがいいんじゃない? 噂されても知らないよ〜」
「やっぱ見てんじゃん!」
「別に私は誰にも言わないわよ。そんなことより早く行こう、山里マネージャーが待ってる」
全く気にしていないそぶりに胸が痛む。前に、私に他の相手がいたら嫌だと言っていたくせに……。
片思いは、つらい。
胸が張り裂けそうになることばかりだ。苦しいだけで、何も楽しくない。
自分を好きだと言ってくれる人の方へ逃げたくなる。私はずっとそうやって生きてきた弱虫だ。
彼女に対するこの気持ちは確かなはずなのに、二十六年の間に備わった自己防衛機能が過剰なくらいに反応して警鐘を鳴らしている。
頑張ったって無駄だよ。だって瀬野さんは私と付き合う気なんて始めからないんだから。
ただのセフレ。それ以上の役割は求められてない。
男と付き合った方が楽だって、瀬野さんも言ってたじゃん。
これ以上傷付く前にもう手を引け。どう足掻いたって無駄なんだよ。身体の関係以上にはなれない。
いっそ黒崎くんと付き合えばいいじゃん。振り向いてくれない相手を追いかけ続けるより、楽になれるよ。付き合ってみたら好きになれるかもしれないし。
なんて……もう一人の自分が、ずっと弱音を吐き続けている。
あぁ、もう、誰でもいいから私の頬を張って、気合いを入れてくれ。
気持ちが揺らぐ。
失恋が決定的になったとき、私はこの痛みに耐え切れるだろうか。
廊下を行く瀬野さんの手を摑んだ。細い手首。足を止め、振り返った瞳が私を見つめる。
「……片思いって、したことある?」
「いきなり何?」
「あんたみたいな女でも、手に入らないものってあるのかなって気になって」
「……香織は私をなんだと思ってるの? 私が、望めばなんでも手に入るような人生を送ってきたように見える?」
「違う、そうじゃなくて……ただ……」
あんたには私の気持ちなんてわからないのかもしれないと思った。
恋した相手に振り向いてもらえない辛さなんて、あんたには……。
「……あるわよ、片思い」
「え?」
「してる。今」
ぱっと手を振り解かれ、瀬野さんは私を置いて行ってしまう。
「……今、って……誰にだよ……」
ギュッと拳を握りしめる。
もういい加減、心が折れそうになっていた。
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