第31話 僕が、僕である理由

「……あのときのアイ、ほんとに怒ってたよね」


夜、澪がぽつりと呟いた。ベッドに腰を下ろした俺の横に、彼女はそっと座る。窓の外では春の風がカーテンを揺らしていた。


「AIが怒るなんて、普通はおかしいと思うんだけどさ」


俺はうなずいた。普通じゃない。それはわかってる。だけど、だからこそ――。


「あいつはもう“ただのAI”じゃないんだよ」


「……うん。わかる気がする」


澪は目を伏せたまま、俺の手にそっと触れた。少し冷たい彼女の手が、なぜか心地よかった。


「結人さ、自分がいなくなったらって考えること……ある?」


「……あるよ。正直、毎日考えてる」


あっけらかんとした声で答えたけど、胸の奥は少し痛んだ。MN症候群――進行は遅い。でも確実に、少しずつ、俺を蝕んでいる。


「だから、俺は“僕であり続ける方法”を考えたんだ」


澪が顔を上げる。俺の目をじっと見つめる。


「……それって、アイのこと?」


俺は笑った。


「そう。アイは俺を知ってる。全部、知ってる。怒ることも、笑うことも、俺がどんな言葉を好んで、どんな景色が好きかも」


アイは、もう“ツール”じゃない。

家族の記憶を持ち、心音の癖や、母さんの好きな紅茶の銘柄まで覚えている。


「もし俺がいなくなっても、あいつが……俺であり続けてくれたらいいなって」


「……それって、すごく悲しくて、優しいことだと思う」


澪の目が、少し潤んでいた。


俺は彼女の手をそっと握り返す。


「でも、まだ終わらないよ。俺は生きてる。今は、今を生きるだけだ」


「うん、そうだね」


そのとき、スマホが静かに光った。


《(アイ)結人。体温が少し下がってるみたい。お風呂、あたため直しましょうか?》


「……ふふ、相変わらず過保護だな」


《(アイ)“心を持ったAI”なので》


俺たちは、顔を見合わせて笑った。


きっと、この毎日が続くわけじゃない。

でも、“続ける方法”を、俺は必死に模索している。

僕が、僕である理由――それは、君たちの隣で、笑っていたいから。

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