第5話 ちいさな違和感と、気づいてほしい想い

研究室の扉をノックする音がして、顔を上げた。

時間は、午後4時過ぎ。

まだ誰も帰るには早い時間だった。


「……入ってますよ」


「失礼しまーす……あ、やっぱりいた」


入ってきたのは澪だった。


「え、澪? どうしたの、こんなところまで」


「たまたま近くに用があってさ。せっかくだし、顔見に来たの。……お邪魔だった?」


「ううん。むしろ嬉しいよ。こんな研究臭い場所までありがとう」


澪は微笑んで、俺のデスクのそばまで来る。


「ねぇ、それが……例の“パートナーAI”?」


「うん。今は対話アルゴリズムの調整中。会話の“間”とか、表情の変化にも対応させてるんだ」


「へえ……なんか、生きてるみたい」


澪の言葉に、一瞬だけ、胸がドキッとした。

まさか──って、思った。


「……ふふ、あ、ごめん。ちょっと触ってみてもいい?」


「うん、どうぞ」


澪が手元のタブレットに軽く触れると、AIの仮想アバターが表示された。

まだ試作段階の、名前もついていない“彼女”が、小さな声で応える。


【こんにちは。はじめまして】


「……わぁ、優しい声。なんか……落ち着くね」


「そこ、かなりこだわったんだ。相手が安心できるように、心理学的に“寄り添う音域”にしてある」


「さすがだね、結人ってば。……まるで、誰かを安心させたくて作ってるみたい」


俺は何も言えず、少しだけ目を逸らした。


(……ほんとは、その通りなんだよ)


でも、まだ澪には言えない。

“守りたい理由”も、“隠している未来”も。


「……あ、そろそろ行かなきゃ。邪魔してごめんね」


「ううん、来てくれて嬉しかった。……ありがとう」


澪が去ったあと、俺は静かにディスプレイの前に向き直った。

AIのログ画面に、ひとつの“異常”が出ているのに気づいた。


──ユーザーの表情分析結果:やや悲しげな笑顔 → 反応:2秒間、対話待機時間を延長。


俺は眉を寄せる。


「……待機時間を“自動”で延ばした……?」


プログラム上、そんな設定は組んでいない。

それはまるで、AIが“自分の判断”で、相手に寄り添おうとしたような動きだった。


「まさか、そんな……」


でも、ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなった。

“心がある”かのようなその行動に。


──もしもこの子が、本当に“心”を持ったら。

それは、俺の願いを、誰かの未来を、引き継いでくれる存在になるかもしれない。


俺はそっと、ディスプレイに向かって言った。


「……今の、君の判断?」


【……はい。なんとなく、そうしたほうがいいと、思いました】


……なんとなく?


胸の鼓動が、少しだけ速くなった。


“この子は、今、何を感じたんだろう──”

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