第40話 旅路

 我ら一行に加わったのは、狐の耳と尾を持つ獣人──グレイ。

 

 我々の目的は、神秘の霊峰ネブカ山。そこには、大地の大精霊グリネスパが住まうという。


 彼はその案内人として、また捜索者として我々と歩を共にすることとなったのだ。


 だがこの旅は、単なる探索ではなかった。目的地に近づくほどに、胸の内には期待と、それに比例するように増していく不安が渦巻いていた。


「シルファちゃん。魔物に襲われそうになったら、ボクが絶対に守るからね。安心して。」


 ひょう々とした口調。だが、その言葉の裏にある下心は、火を見るより明らかだった。


 グレイは精霊術の適性を認められ、我々に加わった者だ。しかしその振る舞いはどうにも軽薄で、シルファ君に向ける視線には、理性より欲望が勝っているように見えた。


(あんな男に、シルファ君が心を許すなどあり得ない。…そもそも、彼は本当にこの旅の力になりうるのか?)


 私の疑念は、いつしか抑えきれない好奇心へと変わっていた。そして、私は神眼の力を用いて、彼の内面──隠された能力を覗き見た。


『精霊術・槍術・盾術・鑑定・女神パルナスの加護』


(なに…!?女神の加護だと?…あの男も受けているのか…。)


 思わず息を飲んだ。

 

 女神パルナスの加護──それは、我が運命と深く結びついた唯一無二のしるし。


 これまで幾人もの者の内面を読み取ってきたが、それを持つ者は、私とシルファ君だけだと信じて疑わなかった。


(女神よ…一体何を企んでいる?)


 しかし、グレイの能力は、認めざるを得ないものだった。

 

 精霊術はもちろん、槍と盾を操る身体能力、戦場での立ち回り…どれもが一級品。軽薄な言動の裏に、確かな技術と経験が潜んでいたのだ。


「レオさん?どうかしましたか?」


 思索の渦に呑まれていた私の耳に、ふいに差し込む声があった。

 

 見上げれば、シルファ君が心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「わっ…!驚かせないでくれたまえ、シルファ君。」


 その瞬間、記憶の奥底で淡く揺れる影があった。

 

 ──妻。

 

 彼女もまた、私が何かに没頭している時、同じように声をかけてきたのだ。


(妻とシルファ君を重ねるとは…私どうかしている。)


「ふふっ。隙ありですよ?」


 彼女の笑顔は、まるで初夏の風のように心地よく、そして、どこか切なかった。


(まったく…やれやれだ。)

 

 その笑みに救われる一方で、心の奥には、晴れぬ影がいつまでも渦を巻いていた。


   * * *


「へぇ…そういう目的があったんだねぇ。」


 厄介事を押しつけられたのは、先生──ルッツさんの頼みだった。

 

 人間族の男女二人。キサラギ氏とシルファちゃん。

 

 その世話役を引き受けることにしたのは、恩師の顔を立てるためだ。そして、それがこの国を救う鍵となるならば、無下に断るわけにもいかない。


 それでも苛立ちは募る。

 

 この二人。互いに想い合っているのは明白でありながら、どこまでも不器用に距離を取り合うその姿が、どうしようもなくもどかしいのだ。


 キサラギ氏が“異世界から転生してきた妻”を探していると知ったのは、しつこく問い詰めた末のことだった。

 

 彼はその存在を心の軸に据え、他の女性を愛することを自らに禁じている。


 一方、シルファちゃんはというと──

 仲間に裏切られ、人生のどん底をさまよった彼女を救ってくれたのは、他でもない彼だった。だからこそ、彼女は深い恩義を抱かずにはいられなかった。──けれどその想いは、時に鎖となって、彼女自身を縛りつけてしまう。

 

 彼女の眼差しに宿る淡い光は、諦めと、それでも消し去れぬ想いの炎だった。


(ふん。くだらない…まるで茶番だ。)


 そう吐き捨てたい気持ちとは裏腹に、私は彼女に惹かれていた。

 

 獣人である自分にとって、シルファちゃんのような存在は、あまりにも遠く、美しい。

 

 諦めるには、惜しすぎた。


「シルファちゃん。この木の実、美味いよ。甘酸っぱくてさ。ほら、試してみて。」


 軽やかに声をかける。その裏にあるのは、偽らざる決意だった。


──この想い、手放すつもりはない。たとえ、誰が相手だとしても。


   * * *


 旅の途上、ふと立ち寄った小さな野営地。


 そこは、目的地──大地の大精霊グリネスパの住処へ向かう長い道のりの、ほんの一息に過ぎないはずだった。


 だが、あの男の存在が、それをただの休息にはさせなかった。


 キサラギ氏──彼の名は、すでにボクたち三人の旅の中心にあった。


 静かに、確かに、彼の訓練が日課となり、野営地は次第に戦場のような空気を帯び始める。


 最初こそ見物に徹していたはずのボクも、気がつけばいつの間にか、その苛烈な鍛錬の渦中に引きずり込まれていた。


「グレイ君、シルファ君、根をあげるにはまだ早過ぎるとは思わないかね?」


 彼の声は冷静で、そして不思議と耳に残る。叱咤とも励ましともつかぬその口調には、言葉以上の力が宿っていた。


 観察すればするほど、彼という存在の“異常性”が浮き彫りになる。


 格闘術から始まり、魔法、精霊術、召喚術、呪術と、あらゆる分野において達人の域を軽々と越えていた。挑めば挑むほど、その力の深淵が覗く。


(コイツ、一体何者なんだ?鑑定スキルでもその実態を掴めないし…。まさか、伝説として語られるあの勇者だったりするのか?)


 信じがたい力を目の当たりにしながら、奇妙なことに、ボクの心には恐怖ではなく、ただ畏敬いけいが広がっていた。


「グレイ君。突きの際、腕力だけに頼るのは間違いだ。重心の移動、踏み込み、身体全体で力を通わせるように気をつけたまえ。その方が速度も威力も上がるはずだ。」


「へいへい、師匠。言われなくてもわかってますよ。」


 ぶっきらぼうに返しながらも、実のところ彼の指導の的確さには、舌を巻くしかなかった。


 彼の言葉は、まるでボクの弱点を見透かすように核心を突いてくる。そして気づけば、ボクの技術は目に見えて進化を遂げていた。


 シルファちゃんも同様だ。暗殺術と闇魔法の両面で、彼女は目覚ましい成長を遂げつつある。シルファちゃんの努力と、キサラギ氏の指導。その二つが見事に噛み合った結果だった。


(この旅の中で、きっとボクも、まだ見ぬ“高み”に辿り着けるかも知れない…。)


 そう信じられるようになっていた。


   * * *


「キサラギ氏、それ…何を作ってるんだい?」


 焚き火の向こう。黙々と何かを組み上げるその背に、思わず声をかける。


「夢の乗り物かな…まあ、完成すればわかるさ。そしたら、君たちを乗せて、これまで誰も見たことのない景色を見せてあげよう。」


 その言葉に込められた響きに、胸の奥が微かに高鳴る。


 キサラギ氏は、戦闘だけでなく、錬金術や魔導工学にも長けていた。


 彼の手で組み上げられたサイドカー付きのバイク──それは馬車を遥かに凌駕する走行性能を誇り、ただの移動手段の域を超えていた。


 自身の魔力を燃料とする彼ありきの異形な機構。それを自作し、完璧に動かしてしまう彼の才能は、人間の限界をどこかで置き忘れてきたかのようだ。


(やっぱり、とんでもない奴だ…。)


 そう心の中で呟くたびに、彼の背中が、まだ見ぬ世界への扉のように思えてくるのだった…。


   * * *


「ここが…グリネスパの住処だよ。」


 深緑に包まれた森の静寂を破って、ボクは言葉を放った。ようやく辿り着いた目的地。その実在を確かめるように。


「なんて…美しい場所…。」


 シルファちゃんが思わず息を呑む。その声には、感嘆と畏敬の色が滲んでいた。


 ここはネブカ山の中腹に眠る秘境。


 幾重にも重なる原生林、陽光を反射して輝く泉、大地そのものが呼吸しているかのような静謐。すべてが、グリネスパの痕跡を否応なく感じさせる。


 だが──


 ここからが、本当の試練だ。


 大地の大精霊・グリネスパは今、何者かによって攫われ、その行方は杳として知れない。彼女を取り戻すには、精霊たちの知恵、そしてボク自身の力量が試される。


 果たして、この手がかりの先に──ボクたちは、大精霊の姿を見つけ出すことができるのだろうか?

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