第7話 胎動

── 森の街ルーニェ ──


 旅の始まりには、いつだって胸がざわつく。


 期待と不安、その両方を連れて、私たちは深い森に抱かれた街、ルーニェへと足を踏み入れた。


 そこは、自然と人の暮らしが溶け合う不思議な街だった。


 街を囲む木造の外壁は、一見すると素朴な作り。でも、その内側に秘められた力強さは、石造りの城壁とは違った温もりと威厳を放っていた。


「ほう…これは興味深いな。」


 レオさんが足を止め、壁に手を当てる。探究心がにじむその声に、私は思わず立ち止まる。


「どうかしました?」


「この壁だよ。木造とは思えないほど、頑丈にできている。」


 促されるまま私も壁に触れると、冷たさのない木肌から、不思議と安心感のある重厚さが伝わってきた。


「旅人か。鋭い目をしてるな。」


 ふと聞こえた声に振り向くと、門を守る兵士がこちらを見ていた。誇らしげな笑みを浮かべながら、彼は続ける。


「この壁は“カナの木”で作られてる。火にも強くてな、いくら攻め込まれても焼け落ちないんだ。石よりも軽くて強い、誇りの品さ。」


「なるほど、それは面白い。」


 レオさんはすっかり話に夢中で、会話が止まる気配がない。


 私はというと、胸がそわそわしていた。はやくこの街の中を歩いてみたくて仕方がない。


「レオさん、そろそろ行きませんか?」


「ああ、すまない。つい話し込んでしまった。」


 兵士に礼を告げて、ようやく私たちは門をくぐった。


 その瞬間、目の前に広がった景色に、思わず息をのむ。


 巨木をくり抜いて造られた家々、そこを縫うように流れる透明な小川。まるで森そのものが街になったような、幻想的な風景だった。


「なんて綺麗な街…。」


 私の言葉に、レオさんは無言で頷いた。彼の目にも、確かな感動が宿っていた。


 私たちが泊まる宿は、ネナの木の香りがほんのり漂う、あたたかみのある建物だった。木の肌触りが心地よく、旅の疲れを包み込んでくれる。


「シルファ君、私は少し情報収集に出る。君は好きに過ごしてくれたまえ。」


「わかりました。」


 レオさんは軽やかに部屋を出て行き、私は洗濯や水浴びで静かな時間を過ごす。


「…レオさんの服って、汚れないって言ってたけど、本当みたい。しかも、なんだかいい匂いがするのよね…男性なのに不思議よね。」


 彼は本当に不思議な人だった。常識を軽々と飛び越えてくる。それが魅力でもあり、謎でもある。


「…でも、一体誰を探しているのかしら?」


 ぽつりとこぼした言葉は、静かな部屋に溶けていった。


 以前そのことを聞いたとき、彼は笑って話を逸らした。まだ、立ち入ってはいけない気がした。


 夜になり、静寂が街を包み始めたころ、レオさんが戻ってきた。


「シルファ君、ただいま。」


「お帰りなさい。」


「例の人物は…どうでした?」


 恐る恐る尋ねると、レオさんは肩をすくめて答えた。


「うーん、収穫はあまりなかったな。でも、明日も調べてみるよ。」


 私の中で、彼の力になりたいという気持ちが静かに疼いた。でも、彼は私をこの件に関わらせようとはしない。そのことが、少しだけ寂しかった。


 ベッドで背中合わせに横たわりながら、私は彼の寝息を聞いていた。


 なのに、なぜか眠れなかった。


 心のどこかで、何かが始まろうとしている──そんな予感がしていた。


   * * *


 翌朝、目を覚ますと、彼の姿はもうなかった。


 柔らかな風が窓から流れ込み、揺れるカーテンの向こうに静かな朝の気配が広がる。


 テーブルの上に置かれた、一枚の紙切れだけが彼の存在を物語っていた。


《 捜し人の情報収集に行ってくる。》


 たったそれだけの、素っ気ない文字。


「…はぁ。」


 ため息ひとつ。胸にぽっかりと空いた隙間を押し込むように、私はベッドから体を起こした。


 今日は、この街ルーニェを歩いてみると決めていた。彼がいない寂しさは拭えないけれど、それでも何かを見つけたい──そんな気持ちで、一歩を踏み出す。


 ルーニェは人口三千にも満たない、小さな街。けれど、その静けさにはどこか心をほどくような温もりがある。


 石畳の道を歩けば、異種族の姿が自然に溶け込んでいるのがわかる。獣人、エルフ、ドワーフ。ミッドワンでは珍しかった彼らの暮らしが、ここでは当たり前の風景になっていた。


「ネーサンは初めて見る顔ニャ!」


 突然、背後から元気な声が飛び込んできた。


 振り向くと、陽気な笑みを浮かべた猫人族の女性が、こちらにまっすぐ向かってきている。


「え、私?」


 彼女は嬉しそうに頷き、さらに距離を詰めてくる。


 その動きはどこか猫のようで、甘えるようでもあり、同時に得体の知れない警戒心を呼び起こさせた。


「お願いがあるんだニャ、ネーサン!」


 ぐいぐいと迫る彼女に思わず一歩引いてしまう。


「ごめんなさい、他の人に頼んでもらえるかしら?」


 だが彼女は、少し意地悪そうに目を細めた。


「あれ、本当にそれでいいのかニャ?眼鏡をかけた男から頼まれたのニャ。」


「……!」


 レオさんの顔が、頭に浮かんだ。


「まあ、嫌なら無理強いはしないニャ。他の人を探すニャ。」


 にやり、と笑ってそっぽを向くその態度に、なぜか火がついた。


「…わかった、行くわ。」


「そうこニャくちゃ!」


 彼女はしっぽを弾ませるように喜び、小道の方を指し示す。私は無言でそのあとをついていった。


 喧騒を離れた細い路地。石の壁に囲まれたその先に、「ナッシュ」と書かれた小さな看板が揺れていた。


「ここで待っててニャ。眼鏡の男を連れてくるにゃ。」


 彼女はそう言い残すと、まるで風のように去っていった。


 本当に、彼が私を頼っているのだろうか。


 それが少し…くすぐったくて、でも嬉しかった。


 だが、その余韻を切り裂くように、肌を刺すような気配が走る。


 「気配察知」が反応する。しかも、複数。すぐ近くに、何かがいる──


「えっ…?」


 現れたのは、ニヤついた顔でこちらを囲む一団。アカシアの元メンバー、ケイラたちだった…。

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