第6話 感得

 私は、生まれてから一度も両親の顔を見たことがない。

 

 それが、私の物語の始まりだった。


 孤児院──それが、私にとって唯一の「家」だった。

 

 物心ついた時にはすでにそこにいて、他の子どもたちと共に育てられていた。

 

 血の繋がりはなくても、私たちは互いをと呼び、寄り添いながら生きてきた。


 だが、私に本当の意味での愛情を注いでくれたのは、たった一人だけ。

 

 シスターメリー。

 

 あの人の笑顔は、まるで冬の終わりに差し込む陽だまりのようで、どんなに寒い日も、私の心をあたためてくれた。


 誰よりも強く、誰よりも優しい人だった。

 

 怒ることもあったけれど、それはいつも、誰かのためを思ってのことだった。

 

 …その思いが、私には痛いほど分かっていた。


 しかし、そんな彼女も病に倒れ、帰らぬ人となった。


 あの日から、世界は静かに崩れていった。

 孤児院は閉鎖され、私たち家族はそれぞれ別の場所へ引き取られ、あるいは行き場を失った。

 

 そして私は……一人になった。


 心の拠り所も、明日を描く希望もなく、ただ日々をやり過ごしていたその時。

 

 現れたのが、冒険者パーティ「アカシア」のリーダーであるケイラだった。


 彼女は迷いの中にいた私に手を差し伸べ、冒険者として生きる道を与えてくれた。

 

 最初は誰もが未熟で、私とそう変わらない実力だった。

 

 けれどだからこそ、肩を並べて歩める仲間だと思った。そう、信じていた。


 それなのに──歯車は、静かに狂い始めていた。


 きっかけは、Bランクパーティ「銀の両翼」のリーダーであるカインから交際を申し込まれたのがはじまりだった。

 

 恋を知らない私は、彼への好意など抱いたこともなく、すぐに断った。

 

 だが、それを境に、ケイラの態度は明らかに変わった。


 冷たい視線。すれ違いざまの溜息。

 私はいつの間にか、パーティの中で浮いた存在になっていた。


 もしかすると、ケイラはカインに想いを寄せていたのかもしれない。

 

 そう気づいた時には、すでに遅かった。


 さらに追い打ちをかけるように、仲間たちとの実力差も、日々明確になっていった。


 裕福な家庭に生まれた彼女たちは、「能力鑑定」を受け、それぞれの適性に合った訓練を積んでいった。

 

 私はといえば、生きるのに精一杯で、能力鑑定など夢のまた夢だった。


 差は開くばかり。追いつこうと足掻いても、誰も手を貸してはくれなかった。


 そして──あの日。


 盗賊団の討伐依頼。

 

 想定よりもはるかに多い敵の数を前に、パーティは完全に戦意を喪失した。

 

 背後から迫る殺気。

 

 そのとき、誰かが口にした一言が、私の人生を変えた。


「シルファを囮にすれば、逃げられるかもしれない…。」


 その瞬間、何かが音を立てて崩れた。


 信じていた仲間たちが、私を差し出すことを選んだ。

 

 自分の命を守るために──。


「やめて!!はぁ、はぁ…!」


 叫び声とともに、私は目を覚ました。

 冷たい汗が全身にまとわりついている。

 

 ここは、薄暗い天幕の中。

 旅の途中、ルーニェへ向かう最中だったことを思い出す。


「大丈夫か、シルファ君。悪い夢でも見ていたのかね?」


 優しい声が、現実へ引き戻してくれる。

 

 レオさんだった。


「いえ…すみません。ちょっと、昔の夢を見てしまって。」


「汗びっしょりだぞ。ほら、じっとしてなさい。」


 彼は懐から布を取り出すと、私の額にそっと当ててくれた。

 

 その手は、驚くほど温かくて──


 その温もりに触れた瞬間、張り詰めていた心がふと緩んだ。


「うっ…うぇぇん…!」


 抑えていたものが、溢れ出した。

 

 気づけば私は、彼の胸にしがみついて、子どものように泣いていた。


 シスターメリーを失い、孤児院を失い、信じていた仲間にも裏切られ。

 

 それでも、泣くことも、頼ることも許されないと思っていた。


 でも今は──この人だけは、きっと笑わない。

 

 そう思えたから。


「…えーと、参ったな。私は昔から、女性の涙には弱くてね。うん、まあ、気にしなくていいさ。ここには私しかいないんだからね。」


 困ったように笑いながらも、レオさんは私を強く抱きしめてくれた。

 

 その腕の中は、すべてを受け止めてくれるような、深いぬくもりに満ちていた。


 そのとき、私は気づいた。


 この人のそばにいると、孤独が薄れていく。

 胸の奥に、確かに小さな灯火がともる。

 それが何なのか、まだ言葉にはできないけれど──


 もしかしたら、私はまた、誰かと生きていくことができるのかもしれない。


 そしてそれが、ただの希望で終わらない未来だと信じられるようになるのは──もう少し先の話になる。

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