第9話 バルザークの亡霊たち

 バルザーク──かつて東西交易の要所として栄えた都市。今では、王国の端にある廃れた港町となっていた。


 瓦礫が転がる路地、朽ちた看板、擦れ違うのも憚られるほどの薄暗い通り。昼間でも靄のような陰が町を覆っている。


「……思った以上に寂れてるな」


 カイルが呟く。彼の視線の先には、かつての栄華の痕跡と、それを無惨に風化させた時の重みがあった。


 一方、レオンは町の空気に確かな違和感を感じ取っていた。


「いや……これは“死んでいる”わけじゃない。息を潜めてるだけだ。地下で、何かが動いてる」


 ──そして、確信していた。


 この町には、まだ“奴ら”がいる。


 ◆ ◆ ◆


 二人は《赤犬亭》という小さな宿に泊まりながら、情報収集を始めた。


 聞き込み、酒場での立ち話、密かに盗人たちの会話にも耳を傾ける。


 だが、どれも核心には届かない。


 「組織」の名を口にする者はいなかった。それは単なる恐れか、それとも──


「……まるで“誰かに喋るな”って命令されてるみたいだ」


 カイルが吐き捨てるように言う。


「いや、違う。これは“恐怖”の質が違う。……喋ったら、消されるっていう、実感のある沈黙だ」


 そして、三日目の夜。


 宿の扉をノックする音があった。


 開けると、そこにいたのは年老いた男。目は澱んでいたが、その奥に一筋の光が残っていた。


「……お前、レオンだな」


 レオンは身構える。


「誰だ?」


 「“かつてのお前”を知る者だ。……話がある。ついてこい」


 その声には、偽りのない重みがあった。


 ◆ ◆ ◆


 案内されたのは、町外れにある廃教会。


 崩れかけたステンドグラスの向こうに月光が差し込む、静かな空間。祭壇の前に男は座り、懐から古びたペンダントを取り出した。


「これは……」


 レオンの目がわずかに揺れた。


 それは、かつて“孤児”として組織に拾われた者たちに配られた、識別用の装飾品だった。


「お前も……?」


 「俺は“ただの掃除屋”だった。裏から命令を伝え、後処理をする役目。だが、十五年前、お前が抜けたとき、俺は……お前を追わなかった。あのとき、俺の中で何かが壊れたんだ。もう、信じられなかった」


 男──名前はヴェルと言った。


 組織の一員でありながら、レオンの逃亡に手を貸した数少ない人間のひとりだった。


「だが、組織はまだ生きている。表向きには解散したとされたが、実際には“地下”に潜っただけだ」


「やはり……」


 「そして今、奴らは“新しい王”を育てている」


 その言葉に、空気が変わった。


「新しい……王?」


 「ああ。奴らは“支配”ではなく“再編”を目指している。王国に潜り込み、議会、軍、商会すら巻き込んで、新たな秩序を作ろうとしている。……その核となるのが、“人工的に作られた暗殺者”たちだ」


「……錬金術か」


 レオンはかすかに歯を食いしばった。


 その可能性を、かつて王都で聞いた噂と重ねていた。


 「そして──その計画の実行者が、“黒翼のシルヴィア”だ」


 その名を聞いた瞬間、レオンの瞳が鋭く光った。


「……あいつが、まだ生きてるのか」


 かつての同僚。いや、“双翼”と呼ばれた暗殺者ペアのもう片翼。


 冷酷無比にして、感情を排した刃の化身。


「シルヴィアは、かつてお前が唯一、背を預けた仲間だろう。だが今は、奴らの“手”そのものになっている」


 「どこだ」


 レオンの声に、一片の揺らぎもなかった。


 「奴らの新拠点は、港の地下。かつて倉庫街だった場所の“下層”に、迷路のような施設がある。表向きには封鎖されているが、俺が案内しよう」


 ◆ ◆ ◆


 夜。ヴェルの案内で、レオンとカイルは倉庫街に潜入した。


 地図には存在しない扉。錠前は既に壊されており、代わりに“監視者”の死体が転がっていた。


 「誰かが、先に?」


 レオンは眉をひそめた。


 地下へ降りる階段は暗く、空気がひどく重かった。かすかに硫黄と薬品の匂いが混じっている。


 進んだ先には、牢のような部屋、拷問具の並ぶ部屋、そして──


 研究室のような、ガラス張りの空間が広がっていた。


 その中央に、ひとりの少女が座っていた。


 髪は白銀、瞳は透き通る赤。


 何より、その背にある“黒い羽根”が、彼女の名を告げていた。


「……シルヴィア」


 少女はゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。


「久しぶりね、レオン。ようやく、会えた」


 その声には、かつての氷のような冷たさはなかった。


 代わりにあるのは──なぜか、懐かしさと、哀しみだった。


 ◆ ◆ ◆


 そして、運命の再会の幕が、静かに上がった。


 それは剣ではなく、言葉から始まる戦いの兆しだった。

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