第5話 ディナーと共に始まるのですわ

「おや、エリー様、ネロ様。お戻りになられたのですね。ちょうど夕食の準備が整いました」


 屋敷に戻ると、ターグ氏がやはりおどおどした態度で出迎えてくれました。時刻はすでに夜。屋敷には、食欲を刺激される匂いが漂い、はしたなくもお腹が鳴りそうになりました。


「ええ、ただいま戻りましたわ。とてもいい匂いですわね」

「今夜のディナーは、ご主人様と奥様、そして甥御おいご様のブライアン様もご一緒です」

「甥御様? 初耳ですわね、どんな方かしら」

「なんでも織物製造関係の事業をされているらしいのですが、あまり芳しくなく……ここだけの話、ご主人様によくお金を無心しにくるとか」

「それはそれは」


 耳打ちされたのは、よくある話でした。最近、6大貴族の工房の1つが、新しい合成繊維を発表した話もありましたし、エリン島内での需要変動も激しいのです。


 食堂には、既にオーウェン・イェイツ氏と、若く美しい女性が席についていました。

 この方が、半年前に嫁がれたというシボーン夫人でしょう。憂いを帯びた瞳が印象的ですわ。……お若くして、イェイツ氏の後妻に入るなんて何か事情があるのでしょうね。


 そして、もう一人。三十代くらいに見える紳士が、にこやかにわたくしたちを迎えてくれました。


「ようこそ、若き冒険者さんたち。……叔父がお世話になっているようだね」


 ブライアン氏は物腰柔らかく、わたくしのために椅子を引いてくれました。なぜかネロが威嚇いかくしようとしたので、小声で黙らせました。


「ああ、来たか。このひよっ子はわしの甥のブライアンだ」

「ひよっ子はよしてくださいよ叔父上、まったく敵わないなあ」


 イェイツ氏が無愛想に紹介すると、ブライアン氏は軽く会釈しました。


「妖精使いのエリーと申します。こちらが相棒の……」

「ネロだ」


 わたくしたちも簡単に自己紹介を済ませ、席に着きました。

 テーブルには豪華な料理が並んでいます。兎肉のロースト、茹でた春野菜、コンソメスープ、そしてデザートにプラムプディング。田舎の屋敷と思えぬ華やかさですわ。


「遠慮なさらず、召し上がってください」


 シボーン夫人が、儚げな声で薦めてくださいました。

 一方、食事中、イェイツ氏は終始不機嫌そうで、時折、咳き込んでいました。


「フン、食事のマナーくらいは学んでるらしいな。それで進展はあったんだろうな?」


 ディナーが一段落した頃、イェイツ氏が尋ねてきました。


「ええ、バンシーの目撃証言を集め、屋敷周辺も調査いたしましたが……奇妙にも、妖精の痕跡は見当たりませんでした」


 わたくしの答えに、全員が僅かな反応を見せました。イェイツ氏はますます不機嫌そうです。

 

「なんだと? それでは何もわからんということか!」

「違いますわ、『痕跡がない』ということがわかったのです。それに調査は始めたばかり。次の手として、夜警をしてみようかと」

「ほほう、夜警だと?」

「バンシーが深夜に現れるならば、それを捕まえられるか試せばよいのですわ」


 すると、ブライアン氏は温和に言いました。


「なるほど、実に興味深いですね。良いではないですか、叔父上。不吉な化物を始末できれば憂いもないわけですから」


 甥のブライアン氏は人当たりの良い方に見えます。少なくとも、表面上は。

 その時、ネロがふと琥珀色こはくいろの液体が揺らめく高級そうなボトルに目を留めました。イェイツ氏が嗜むそれに興味が沸いたようです。


「へえ。それ、なかなか良い酒なんじゃねえのか。あまり見ない銘柄に見えるぜ」

「ああ、さすがにわかるか。これはブライアンがくれたウィスキーだ。なかなか美味い」


 イェイツ氏は、少しだけ機嫌を直したようでした。


「叔父上にお喜びいただけて、何よりです。適度なアルコールは血管を広げてくれますからね。どうせ、医者に量が決められてしまっているなら、良いものを楽しんで頂きたくて」

「ブライアンは親族でも気が利くやつだ。いつもわしの喜ぶ物を探してくる」


 医者に酒の量を制限。先ほどの咳、顔色。履物が緩めに見える。それに……。


「もしかして、心臓に何かご持病でも?」


わたくしの言葉に、食堂の空気が凍りつきました。イェイツ氏は、ぎょろっとした目を向け、顔を歪めます。


「何を言い出すかと思えば……余計な詮索をするな!」

「あらあら、ご気分を害されたのでしたら、お詫びしますわ。ただ、お疲れのご様子でしたので、つい」


 わたくしは心配しているふりをして、にっこりと微笑みました。興奮もお体に毒ですわよ。

 一方、ブライアン氏は、驚きを露わにするとどこか探るような口調で尋ねてきました。


「叔父の体調を気遣ってくださるとは、お優しいですね。失礼ですが、エリー嬢は医師でもあるのですか?」

「いいえ、ただの妖精使いですわ。ですが、人のオーラを見るのも得意でして。それにお話ししている時の呼吸の仕方に、独特のものを感じましたわ」


 特に興奮された時に、とはあえて付け加えませんでした。


「わしは大丈夫だと言っておるだろう! バンシーのせいで寝不足なだけだ!」

「旦那さま、お身体に障りますから」

「お前は黙っておれ! わしの体のことは、わしが一番よく分かっておる!」


 イェイツ氏は声を荒げて、夫人の言葉を遮りました。どうやら体調のことに触れられるのは、お好みではないようですわね。

 気を損ねたイェイツ氏は立ち上がり、場を去ろうとします。


「不愉快だ、この辺りで失礼させてもらうぞ」


 その時でした。常軌を逸した断末魔のような叫びが屋敷に響き渡ったのです。


「ぎやあ"あ"ぁぁぁぁぁっっ!!」


 それはまさに、魂を引き裂かれるような恐ろしいものでした。しかも、明らかに屋敷の中で響いている。全員が一斉に驚いて立ち上がりました。


「そ、そんなバカな。こんな近くにバンシーが……ぐっ」


 イェイツ氏は胸元を押さえ、苦悶に満ちた顔でテーブルに必死にしがみつきます。みるみるうちに顔が蒼白になり、額には脂汗が滲みました。


「ご主人様!」


 ターグ氏が慌てて走り寄り、イェイツ氏の身体を支えようとしましたが、彼は激しく身を捩りました。


「ううっ、苦し"ぃっ!」


 シボーン夫人も心配そうに「旦那様、しっかりしてください!」と声をかけましたが、苦しそうに唸るばかりです。唇を青紫色にして、荒い息を繰り返しています。チアノーゼが出てますわね。

 とっさにネロに合図を送ると、「任せろ」とバンシーの声を追うために駆け出しました。


「ぐっ、薬っ……!」


 夫人は動揺しながらもイェイツ氏の懐を探り、小さな薬瓶を取り出すとイェイツ氏の口に含ませました。

 しかし、その苦しみは和らぐことなく――。


「ぐぅ……ぐはっ」

「だ、旦那様っ!」


 シボーン夫人の悲鳴が響きます。しかし、イェイツ氏は既にぐったりとしており、苦悶の表情のまま目は虚ろに開かれていました。

 そこで「失礼」と分け入ると、膝をつき指を添え脈拍と呼吸を確認。


「亡くなられておりますわね」


 食堂は、沈黙と混乱に包まれました。

 シボーン夫人は、夫の亡骸に覆いかぶさり、声を上げて泣き崩れています。甥のブライアン氏は、愕然がくぜんと立ち尽くしており、ターグ氏は今更ながら医者を呼ぼうとしていました。


 遅れて、殺気立つネロが戻りましたが、彼は首を左右に振ります。


「化け物なんて影も形もなかったぜ。つか、侵入者の形跡すらねえぞ」


 わたくしはため息をつきます。正体の見えぬ悪意と叫び、どこまでが偶然で必然なのか。僅かな間に、バンシー騒動から始まった事件は、予想もしなかった展開を迎えてしまったのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る