序章01 青い仮面

   01


 不思議な青色をしていた。

 均一ではない青色だった。

 見る角度によって、赤紫色にも見えるし、まったくの黒にも見える。光の加減によって、鮮やかなコバルトブルーに見える。

 昆虫の甲殻のような、煌めく青色。その怪物の全身がそうであった。

 黒いぎっちりとした筋肉の地肌に、その不思議な青色の装甲を纏っている。頭の天辺から足の先まで、揺らめく青色で覆われている。

 頭部が、覆われている。

 胸部が、覆われている。

 腰部が、覆われている。

 腕が、覆われている。

 指が、覆われている。

 脚が、覆われている。

 足先まで、ずっと、揺らめく青色。戦士のような姿であるが、不思議なことに、全体ではオーガニックな雰囲気を帯びている。

 そういう生物であるように見えるのだ。

 彼の地の黒い筋肉と、青色に煌めく鎧が、乖離していないからだ。完全に一体化している。人と鎧は別であるが、昆虫の筋肉と外骨格は一つの存在であるように、青い装甲と黒い筋肉が溶け合っているのだ。

 大きい──

 太くたくましい体格である。

 その黒い筋肉の太さと、手脚の長さのバランスの良さで、実態よりも大柄に見える。

 背筋をピンと伸ばしている。

 足は肩幅。両腕は軽く開いて自然体。

 闇に紛れている──


 夜。きら星二番商店街から離れた荒れ地の通りに小さなトンネルがあった。

 線路の下にある架道橋だ。

 まだ開発中の地区で、辺りは殺風景だ。草木もない更地だらけで荒涼こうりょうとしている。

 ところどころ砂利敷の道路で、街灯もまともにない。一部に不釣り合いな照明灯が立っており、それが星空の明かりすらかき消してしまうから、足元は闇そのものだった。

 架道橋の中もそう──

 軽い坂を下った先の空間は、電灯が消えかかっており、孤立した空間のようである。そこを抜けるときは、息を止めるような気持ちで、向こう側の明かりを目指さなければならい。

 たった一人、男が、進む。

 三十代半ばであろうか。

 中肉中背の無精髭。

 運動不足を感じさせる、不健康な血色の顔色。

 まったくもってガラが悪い。

 黒と茶が混じった汚い髪だ。染めた後、しばらく手入れをしていないから、薄く色褪せているのだ。

 その顔は鬼胡桃オニグルミのように硬いシワが刻まれている。ヘビースモーカーの特徴だ。内側にめり込むような特徴的なシワができる。

 それも相まって深い風貌の目つきをしている。

 架道橋の闇も我が物のように進む。

 しかし、不意に声をかけられた。

「おいっ──」

 と、トンネル内に反響しない程度の低い声。

 はっきりと聞こえた。聞き間違いではない。

 男が顔を向けると、薄暗い壁際に誰かがいる。目を凝らすと、鎧のような物体だとわかる。

厚狭蔵あざくらみつるさん、だな」

 名前を呼ばれて、厚狭蔵充は反応を示した。

 皺の深いおもてから、ギラリと視線が光る。火花のような瞳だ。威圧的な顔だ。

「なんだぁ、てめぇ……」

 軽い舌打ちを混ぜる。

 暗がりの中、影が動く。

 青い体が現れる。太くたくましい黒い筋肉の体で歩み寄る。

 ぎり、ぎり……

 擦れる音。その鎧の生体音だろうか。

「あんたが地獄で見るツラさ──」

 と、鎧の内側から、若い男の声。

 その青い鎧の中身が発した。

 大きな身体。

 太い筋肉。

 青い鎧は独特の威圧感で男に近づく。

 大きさの割りに、その動きが軽すぎる。恐ろしいことだ。

 筋肉質な人間は鈍いはずだ。自身の筋肉の重みが素早い運動の邪魔をするからだ。重量挙げの選手がスプリンターのように速く走ることはできないよう、パワーを求めた肉体には俊敏性は宿らない。

 しかし、青い鎧の足取りは軽い。あまりにも軽い。

 その黒い筋肉による体格が信じられないほど滑らかに動くのだ。

 彼は、厚狭蔵充の前で止まった。

 一メートル半の位置だ。

 互いに相手を殴るには少し遠い程度の間合いだ。

 青い鎧は言う。

「ココシフェラ・ミコシを知っているだろう」

「なにっ?」

「あんたが暴行を働いた女子大生の、その正体を知っていたはずだ」

 言われて、

「……そういうことかよっ……」

 厚狭蔵充は鼻で笑った。態度に余裕が生まれた。

 この気味の悪い怪物の正体がわかったからだ。

 ──コスプレだ。

 見た目ほど恐ろしいものではない。

 塗装とトンネルという薄暗い空間が相まって、迫力があるように見えただけに過ぎない。

 分厚く見える黒い筋肉は、まったくの虚仮威しだろう。本当の中身はそれほど大きくない。軽い素材でかさ増ししているだけなのだ。

 一見、光沢のある金属の鎧だって、その実態はハリボテだろう。踏みつければ砕けるような素材のはず。

 なんてことはない。これは美観を優先して、激しく動くことを考慮していない虚構の衣装──ただの〝コスプレ〟なのだ。

 ああ、だから、こんな動きができたのか。

 中身はさぞ細い野郎のだろうな。

 それでも、それらしく動いてみせたので、厚狭蔵充は「よくやったな」と鼻で笑ったのだ。

 しかし、青い鎧は告げる。

「メルキッド仮面だ。報復に来た」

 伝えられて、厚狭蔵充は表情を変える。

 報復? まさかな……

 厚狭蔵充はトンネルの出入り口を確認した。

 視線を戻して、そのメルキッド仮面という者に問う。

「一人か?」

「そうだ」

「報復ってのは、その格好でか?」

「そうだ」

「どうかしてんじゃねぇのか」

「これからするほどのことじゃない」

 メルキッド仮面は拳を固めた。

 ぎりっ……と鳴るのは、手袋の擦れた音だ。

 全身を覆う柔らかなゴム素材。それで作られたグローブだから、握り拳を作ったときに、そのような音が鳴ったのだろう。

 拳の先端は青いプロテクターで覆われている。甲殻のような煌めきがある。

 それでいて、突起までついてる。

 それに気づいた厚狭蔵充に、少しだけ緊張の電流が走った。

 ぞわり、背筋に蛇が這う悪寒──

 いくら虚仮威しのコスプレ衣装とはいえ、拳の先に突起があるのは、さすがに穏やかではない。メリケンサックのようなものではないか。

 この男、まさか本気か。あんなもので俺を殴る気か。その格好で、本気でやるつもりか。

 尻の穴がむず痒くなった。

 その時だ──

「ウルトラ・コスプレイ・ファイト……レディ……」

 メルキッド仮面が、特徴的な手の形を作った。

 右手だ──右手の甲を見せ、親指と、人差し指と、小指を伸ばす。それぞれの指は真っ直ぐ平行だ。

 何かの合図のように、胸の前で見せる。

 何かと思っていると、

「ファイ──」

 合図とともにはじまった。

 一瞬の挙動、厚狭蔵充の顔面に、メルキッド仮面の右拳がめり込んだ。

「ぐぎぃッ!?」

 重い。拳先に全体重が乗っている。

 全身で飛び込むようなパンチ。

 それでいて弾丸のようなスピード。

 鋭く、深く、突き刺さる。

 厚狭蔵充の鼻が潰れた。

 軟骨が、ぐじょりっ、とも、べちゃりっ、とも取れる音で潰れた。

 しかし、気絶させるような打ち方をしていない。メルキッド仮面のパンチは厚狭蔵充の顔を潰しただけで、意識を完全に落とさなかった。

「──んの野郎ぉっ!」

 厚狭蔵充はキレた。

 メルキッド仮面に向かって拳を作る。

 鼻血をまき散らしながら、おおおおうっ──と、雄叫びを上げ、大振りで、素人丸出しのオーバーブロー。

 喧嘩慣れしているのか、それでなかなか様になっている。

 だが、拳がぶつかった途端、

「おぎゃっ──」

 息の詰まった悲鳴が吐き出された。

 厚狭蔵充の声だ。厚狭蔵充の拳が砕けたのだ。

 潰れた右拳。その表皮が破れて血をたらす。メルキッド仮面の頭部が想像以上に硬かったのだ。ハリボテだと思っていた青い甲殻は、たしかに金属ではなかったのだが、人間の握り拳よりも遥かに高い硬度を有していたのだ。

 それでいて、黒い筋肉は柔らかい素材だから、中まで衝撃が浸透しない。いわばヘルメットのような構造だ。

 だから、厚狭蔵充の指だけが一方的に壊れ、メルキッド仮面にはダメージがなかったのである。

「……んなんだよっ……お前っ……」

 厚狭蔵充は呻く。同時に戦慄する。

 触れて理解した──メルキッド仮面の衣装は、たしかにきぐるみだ。だが、ぎっちりと中に詰まっている。あの黒い筋肉は、反発力のある素材で出来ており、それが肘や膝、腰などの関節部分まで覆っているのだ。

 だとしたら──

 身軽に動けるはずない──

 あんなものを着ていては、中身の人間はまともに動けないはずだ。全身をゴムで縛られているようなものなのだ。いったい、こいつは、どれほどの怪力で動いているのだ……

 メルキッド仮面は太い腕を伸ばす。

 厚狭蔵充の首を鷲掴みにする。

「ひぎっ……がぁあっ──」

 そのまま、反対側の壁まで押しやる。ブルドーザーのようにだ。

 厚狭蔵充は成すすべもなく追いやられた。

 壁に叩きつけられたとき、そのまま首をへし折られるのではないかと恐怖した。

「ごがっ!」

 背中に感じる冷たい感触。

 コンクリートと怪物に挟まれ、厚狭蔵充は身動きが取れない。

「あぎゃっ……助けっ──」

 裏返った声を上げると。

「ココシフェラ・ミコシに二度関わるな」

 メルキッド仮面の青いかおが光った。

「金輪際だ。俺たちに嘗めた真似をしてみろ。次はこの程度では済ませない」

「わっ、わがっ……た……わがっ──」

 厚狭蔵充は白目のまま、首を何度も縦に振った。

「ふんっ──」

 メルキッド仮面は厚狭蔵充を投げ捨てた。

 嗚咽する厚狭蔵充に、青い背を向けて、トンネルから出ていく。

 歩くとき、関節部分が鳴る。

 ぎりっ、ぎりっ……

 それが青い生体音だ。

 トンネルから離れるまで、一定のリズムで続いた。

 数日後、厚狭蔵充は地元警察により、女子大生暴行事件の容疑者として逮捕された。

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