第2章 ピアニストから作曲家に
第9話 茉莉、プロのピアニストを志す
茉莉は四歳の頃から教室に通ってピアノを習い、年に二回ほどの発表会では親たちの前で演奏したりした。教室の先生は普段はとても優しかったが、レッスンでは人が変わったように厳しく鍛え、謂わば英才教育を茉莉に施した。
茉莉は初めの内は訥々としていたが、その内に、渡された譜面を見れば直ぐにピアノが弾けるようになったし、自分の知っている歌は譜面無しにもすらすらと弾くことが出来るようにもなった。茉莉は譜面が読めるようだった。そして、練習に弾いている曲や発表の為の課題曲には、それほど気乗りはしなかったが、自分の知っている曲を好きなように自由に弾くのには心が弾んで楽しかった。
小学一年生になって五線紙に自分で書いた曲を茉莉が弾いた時には、母親は驚き感嘆した。
教室の先生にも上手く乗せられた。
「茉莉ちゃんは音感がとても豊かだから、他の人達とは違った世界が醸し出せるのね。譜面から弾き出されるものだけでなく、茉莉ちゃん独自の何かがプラスされて新しい世界が拓けるのよね。将来が楽しみですよ、お母さん」
言われた母親は満面の笑みを浮かべて茉莉の頭を撫でた。
中学生になった茉莉はビッグ・バンド部に入ってベースを担当した。中学校でビッグ・バンドがあるのは珍しいことだったし、トランペットやトロンボーンやサックス等のフラット系の管楽器は音色が温かく、ギターやヴァイオリンやベース等のシャープ系の弦楽器の音色は冷たいということも理解した。茉莉はピアノ以外にもギターやサックスやトランペットやヴァイオリンなど他の楽器も難なく奏することが出来たので、ビッグ・バンドでの合奏はこの上なく楽しかった。一人で弾くピアノには無いハーモニーの素晴しさに茉莉は魅了された。この世にこんなに楽しいものが在ったんだ!生まれて初めて知った楽しさだった。
高校へ進学した茉莉はまたビッグ・バンド部に入って部活に熱中した。
夏休みの暑い午後、部活の帰途に通った表通りで「ジャズ喫茶ジェニー」の看板が茉莉の眼に入った。丁度、若いカップルが店から出て来るところで、開いた扉の向こうからジャズの旋律が微かに聞こえて来た。扉は直ぐに閉まって音が聞こえたのは一瞬だったが、それは妙に茉莉の耳に残った。何かに全身を揺さ振られたような気がした。
翌日、茉莉はもう一度「ジェニー」へ行ってみた。恐る恐る扉を開けて入って行った茉莉の身体を鮮烈なジャズのリズムが直撃した。電撃が走ったようだった。茉莉は痺れた。リズムもテンポも胸の奥底に深く響いた。それまでは特に洋楽好きという訳でもなく、J・POPが好きで、モーニング娘などを軽く唄っているようなタイプだった。
ジャズは基本的には金管楽器と木管楽器とドラムスの組み合わせにスピリチュアル、ブルース、ラグタイムの要素を含み、演奏の中にブルー・ノート、シンコペーション、スウィング、バラード、コール&レスポンス、インプロヴィゼーション、ポリリズム等を組み込んで、演奏者の力量と才覚に大きく左右されるところがある。茉莉はその自由な表現形式にジャンルを超えた現代音楽芸術の源流を見る気がした。
茉莉はジャズの虜になった。
それから毎日、茉莉は部活の後、ジェニーに入り浸った。部活とジャズに明け暮れる夏休みとなった。そして、ビッグ・バンドスタイルによるスウィング・ジャズではソロ演奏が大変重要であることを知った茉莉は、ここでジャズピアノへ転向した。トランペット奏者でありながら自ら歌も唄って、ジャズとヴォーカルとを融合させたルイ・アームストロングの存在など、ジャズが何よりも自由に表現出来ることを知って、茉莉は改めて、真剣にピアノを弾き始めるようになった。
高校を卒業する時、茉莉はひたすらジャズピアニストになることを考えていたので、東京の音楽大学の奨学金制度に応募してみた。兎に角、東京に出よう、そして、ピアノのレッスンに励もう、将来は必ずジャズピアニストになるんだ、茉莉はそう心に決めて高校を巣立った。夢は両親以外には誰にも語らなかった。夢というものは自分ひとりのものだ、徒手空拳で自分ひとりで獲ち得るものだ、茉莉の決心は固かった。
茉莉はこれまでピアノのレッスン以外には音楽の専門教育を受けたことは無かったが、幸いにも合格することが出来たし、大学の女子寮にも入ることを許された。将に、ラッキー、の一言だった。
だが、茉莉の思いとは裏腹に東京での生活は想像以上に厳しかった。
父親は課長職になってはいたが、勤めた会社は従業員三百人・年商百億円程度の中小企業だったので、収入はそれほど多い訳ではなく、家計に余裕は無かった。弟が既に国立大学を目指して、著名な進学校である私立の高校に入学していたし、その上に、娘を東京に下宿させて音楽大学へ通わせるには金銭面での遣り繰りはなかなか大変だった。従って、授業料は奨学金で、生活費は家からの最少限の仕送りで何とか賄えたが、CDや楽譜を買ったりコンサートに出かけたりする費用は自分で稼がねばならなかった。昼は大学でレッスンを受けた後、部屋に帰ってジャズを聞き、夜はアルバイトをして足りない生計費を稼ぐ、そんな茉莉の生活が始まった。安いアルバイト代で長時間取られるのは惜しかったし、ジャズを聴いたりピアノのレッスンを受けたりする時間を最大限確保したかったが、止む無く茉莉はコンビニのレジに立ち、喫茶店のウエイトレスをして金を稼いだ。
自分の心に鞭打つようにして、茉莉は毎日、少しでも高いレベルへ少しでも早く上達するように、ジャズとピアノに身を入れた。茉莉だけでなく、同級生達も皆そうだった。クラシック、ジャズ、ポピュラー、スタンダード等目指す分野は夫々違っていたが、此処でもお互いはライバルだった。若い茉莉たちには、他人に勝つより自分に勝つ、などということは未だ解からなかった。
茉莉はせっせと時間を作り出し、その時間の許す限り、コンサートに通いつめ、膨大な量のCDを聞いた。
茉莉は東京のコンサートだけでなく、近隣の都市のジャズフェスティバルやジャズストリート、ジャズ祭り、ジャズウィーク、ジャズプロムナード、シティジャズ等々に足繁く通ったし、CDを聴くだけでなく、ジャズ専門衛星放送やジャズ専門ネットラジオ局等も視聴し、一般ラジオ放送のジャズにも耳を傾けた。そして、ジャズにはニューオーリンズジャズ、ディキシーランドジャズ、スウィング・ジャズ、モダン・ジャズ、フリージャズ、ロフト・ジャズ、シンフォニック・ジャズ、ラテン・ジャズ、ジャズ・ファンク、ジャズ・ロック、パンク・ジャズ、クロスオーバー、フュージョン、アシッド・ジャズ、ジャズ・ヒップ・ポップ、ジャズ・ポップス、ニュージャズ等々があることも理解した。費用と時間は並大抵ではなかったが、茉莉はほぼ二年間、こうしてジャズとピアノに没頭した。
やがて、大学三年生が終わる三月の中頃に、茉莉はピアノ学科の教授陣からその年度の優秀ピアニストに選ばれ、更に、国際ジャズ・コンペティションでは団体で三位に入り、個人としても優秀演奏者賞を受賞した。これを機会に外部からの奨学金も受けられることになり、漸く、ジャズピアニストとしてのプロの道への微かな光も見え始めたのだった。
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