「一応聞いておくが」ベラはそう前置きしてから、「勇者たちの共犯だったということは考えられないのか?」


 ほとんど結論ありきの儀礼的なその問いにもエレノアは律儀にかぶりを振り、


「それはありえないでしょう。ご存じのとおり我ら三国は血で血を洗う戦争を繰り返してきた憎み憎まれの関係です。三人の勇者がめいめいの所属国の民である以上、共犯は感情が許さないはずです。そして、それと同時に言語の壁が立ちはだかります。したがって、彼女たちが協力したというのは極めて非現実的な空論と言わざるを得ません」


 うむ、道理じゃな、とベラは豊かな顎肉を揺らし、「ということは、やはり勇者のうち二人が虚言を吐いておるのだな」


「いえ、それも可能性は極めて低いでしょう。聖剣は嘘を嫌います。その所有者と認められているという事実が偽証の可能性を否定しているのです」


「意図的な嘘でなかったとしたらどうだ? 眠っていたのなら部屋の明かりは消えていたのだろう? 見違えても不思議はあるまい」


「たしかに現場には常夜灯の発光魔石しか明かりはなかったようですが、瞳孔散大で、換言すれば発光魔法なりを用いつつ間近で顔を見て死亡確認を行っておきながら気づかないというのは考えにくいでしょうし、現場の寝所の様子についての供述も一致していることから、例えば誤って別の場所に転移し、そこに居合わせた魔族を魔王と勘違いしたというのも無理があります」


「しかしそうなると……」ベラは太い腕を窮屈そうに組んで思案し、「──そういえば、具体的な死亡推定時刻を聞いていなかったな。いつだったのだ?」


「それが、少々ややこしいことになっておりまして」ここで初めてエレノアの歯切れが悪くなった。「魔界通信を信じるならば、魔界時間で二十時から二十一時ということなのですが──」


「勇者たちの供述と食い違っておるのだな?」


「はい」エレノアは眉間に浅い皺を刻み、「座標が暴露された時にはどの勇者も野宿していて、転移した時刻は正確にはわからないらしいのです。魔界時間ですと、おおよそ未明から明け方ごろだろう、とのことです」


「おかしな話だの」ベラは怪訝そうに言う。「SNSに投稿があったのが午前一時過ぎなのだから、勇者たちの供述を信じるならば死亡推定時刻は午前一時過ぎから午前五時ごろと見るべきなのだろうが、魔界通信の発表はそこから四時間もずれておる──勇者が嘘をつけないという前提を真とすれば、魔界通信が誤報だった、あるいは誤導しようとしたということになるが」


 エレノアは後ろで結った艶やかなアッシュブラウンヘアを弱々しく左右に揺らした。「故意にそんなことをするメリットはありません──いえ、厳密には推測にすぎないのですが、少なくとも我々外部の人間には必要性も必然性も確認できませんでした。

 また、過失による誤報も可能性としては低いかと思われます。殺害からほとんど時を交わさずして発見されている以上、死後変化に基づいた推定も正確なものになるはずです。魔王の寝室がその推定を妨げるほど特殊な環境ということもないでしょう。したがって、見誤って四時間以上もずれるとは思えません」


「ううむ」ベラは低く唸ると、「参ったの、まるでわからん」降参とばかりに吐息を落とした。


「いかが致しましょうか」エレノアは問うた。「調査を継続しますか、それとも──」


 他国の勇者を消しますか。


「いや、それはまだ早い。今一度洗い直すのだ」


「かしこまりました」


 退室しようとするエレノアをベラは呼び止めた。


「だが、準備だけはしておきなさい」


 承知したエレノアをベラは満足げに見送った。







 ユーラス大陸から遥か彼方にある魔界、その最深部にそびえ立つ魔王城の会議室で、四人の魔族──最高幹部の四天王が円卓を囲んでいた。その円卓の中央に巨大な水晶があり、エレノアのいなくなった宰相室で甘味を喫するベラの姿が映し出されている。覗き見していたのだ。


「人間どもも手こずっているようね」


 四天王の一人、あまねき吸血鬼の母であるガブリエが水晶から目を離して言った。マネキンのように不自然に皺のない顔の彼女は、魔王亡き今、繰り上がりで最高戦力になっており、それはすなわち暫定的な魔王ということにほかならない。


「ああ、困ったことにな」


 応じたのは竜人族の女傑、バラキだ。筋骨隆々の巨体に厳つい竜頭が乗っている。魔法は拙いが戦士としては一騎当千で、現在ナンバーツーに位置する。


「人間さん、変なこと言ってたねぇ」上半身が人間で下半身が魚、そして背中には鳥のような翼が生えたセイレーン族のプリアが、頬杖を突いたまま言った。体つきも顔立ちも幼く、言動はそれに輪を掛けているが、声質だけは成熟した大人の色気を奏でていてやたらと扇情的だ。「勇者ちゃんがこっちに来てた時間が未明っていうのぉ、あれホントーにホントーなのかなぁ?」


 魔王軍も魔王軍で真犯人を捜していた。報復のためだ。発展家の魔王だったが、部下や市井の者からは慕われていたのだ。敵討ちを望む声も士気も高く、貴重な魔石を消費するこの水晶──翻訳機能付き──の使用もためらわない。


「あ、あの、はい、偽証ではないかと思います」恐る恐る差し挟まれたこの発言は、四天王の黒一点にして魔王の実弟、インキュバス族のマラクのもので、いつも張りつけている困り眉をいっそう曇らせている。「聖剣の所有者は正直者でなければならないというのは伝承のとおりです」


 吸血鬼のガブリエが口元だけでほほえんだ。「流石、史上最年少で情報局長を務めるだけのことはあるわね。博識だわ」目がまったく笑っていない。

 

 怖、とマラクは思ったが、「恐縮です」


「おいおい、おびえてんじゃねぇか」鋭利な歯を剥き出しにして獰猛そうに笑った竜頭──バラキが、ガブリエに言う。「あんたは表情が恐ろしいんだから気をつけろよ」


 あなたは顔が恐ろしいですよ、とマラクは思ったが、「いえ、そんなことは」


「マラ君、気ぃ使いすぎぃ」尾びれをぴちぴちやってプリアが、からかう。「こんな加齢臭くさいおばさんたちに媚売ってどーなりたいのぅ? 熟女好きの変態さんなのかなぁ?」


 ガブリエとバラキから殺気が洩れ、たちどころに一触即発の空気。

 ひぃっ。マラクは息を呑んだ。

 直接的な戦闘力が低いマラクでは巻き込まれたら一溜まりもない。ある意味プリアさんが一番恐ろしいよ、と思ったが、


「す、推理を進めましょう」


 余計なことは言わずに軌道を本筋に引き戻そうとする。張りつめていた殺気が引いていくのを感じて胸を撫で下ろしたマラクは、続ける。


「人間も言っていましたが、勇者が事実を述べているなら間違っているのは魔界側の死亡時刻の推定です──その点について皆さんはどう思われますか?」


「まぁそうなんじゃなーぃ?」プリアが興味なげに答え、


「その勇者云々の前提がイマイチ信用ならねぇんだが、それを措いとくなら、そりゃそうなるだろうよ」とバラキも言う。


「死亡推定時刻の根拠はわたしたち四天王の検視──死後変化の観察とメイドの証言だったわね?」ガブリエが言う。「検視に疑いの余地はないでしょうから、もう一度メイドから話を聞いてみてはどうかしら?」


 一座に異論はなかった。

 というわけで、最もドアに近い下座に座るマラクがそのメイド──メラヘルを呼びに立った。







 メラヘルは辺境の貧乏貴族の末娘で、十四歳になる今年から魔王城で働きはじめた新人メイドだ。種族はダークエルフ──褐色の肌と尖った耳をしていて魔法が得意とされる──だが魔法の才に乏しく、魔族にしては珍しく野心などもないようだった。裏を返せば、分を弁えた賢い娘とも言えた。

 そんなメラヘルは、四天王であるマラクが呼びに来ても動じることもなく、


「召喚っすか? いいっすけど、ここの掃除が終わってからじゃ駄目っすか?──そんなのはいいから早く来てくれ? そんなのでもちゃんとやんないとメイド長がうるさいんすよ。ただでさえ安月給なのにあの手この手で減らそうとしてくるんす。ひどいっすよね──あ、メイド長に言っといてくれるんすか? それならいいっすよ。どこへなりとも馳せ参じるっす」


 淡々とへらへらり──軽佻浮薄けいちょうふはくとさえ形容できる調子で応じた。

 この子、何考えてるかわかんないんだよなぁ。

 マラクはメラヘルに対してある種の苦手意識を持っていた。目は口ほどに物を言うと言うが、メラヘルの糸のように細い一重瞼の双眸からは何も読み取れない。敬意も敵愾心も性愛も──あるいは単に何も考えていないだけかもしれないが。

 メラヘルを会議室に連れていくと、


「事件当日二十時ごろに寝室に入る魔王様の魔力が完全な状態だったというのは、確かなのかしら?」

 

 待ち設けていたガブリエが、お定まりの挨拶もそこそこにそう尋ねた。

 生前の魔王を最後に目撃したのがメラヘルなのだ。ゆえに、彼女が呼ばれた。

 というのも、魔界の法医学では、今回の魔王殺害事件のように殺害からさほど間を置かずして発見され、かつ魔法で応戦した形跡がなく、さらに死亡時の魔力残量を推定できる事情があった場合、死後に時間経過で減少していく魔力──一般的におよそ十時間でその個体の上限保有量分が体外に放出される──から逆算した死亡時刻を重視する。高い魔力感知能力を有する魔族だからこその原則と言える。

 この原則を此度の事件に当て嵌めると、発見した翌朝六時過ぎの遺体の魔力残量がほとんど零であったことから、就寝時の魔力保有量が十全だったならば、十時間遡った時刻──前日二十時から二十一時が死亡推定時刻ということになる。

 したがってメラヘルの証言は極めて重い意味を持ち、四天王の注目をその痩躯に浴びることになったのだが、彼女は物怖じするでもなく、


「確かっすよ」


 そして気負うでもなく平然と答え、何と四天王に反問さえしてきた。


「勇者の供述とあたしの証言が矛盾してるって話っすよね? あたしの勘違いだったらその謎が解消されるから、そういう回答を期待してるんすよね?」


 圧倒的な戦闘力の、そして絶対的な身分の差がありながらあまりにも堂々としているものだから、ガブリエのほうがかえって鳩が豆鉄砲を食ったような有り様で、


「え、ええ、そうね」


 とややぎこちなく首肯した。


「ま、気持ちはわかるっすけど、夜八時ごろに魔王様の魔力が満タンだったってのは、邪神様に誓って間違いないっすよ」


 険しい眼光をくれていたバラキが、自問するように言う。「すると我々が何かを見落としているのか……?」


 論理的にはそうだけど、とマラクも思考を巡らす。四天王全員で行った検視に手落ちがあったとは思えない。遺体の魔力は確かに零だった。また、魔法で応戦した形跡もなく、夜警にそのような気配を感じ取った者もいない。

 では、魔王が戦闘以外で魔力を消費した?

 しかし、それも考えにくい。魔王は警戒心が強かった。夜間は有事に備えて魔力を温存するのが常だったのだ。

 となると勇者が偽証しているとみなすしかなくなるが、それも聖剣の伝承と矛盾する。

 考えれば考えるほどわからなくなる。

 と、マラクはふと思いついて、


「メラヘルさんはどう思いますか?」


 ぼさっと突っ立っている褐色メイドに水を向けてみた。が、


「さぁ? 一介のメイドにはわかりかねるっす」


 すげなくいなされてしまった。


「ねぇねぇ」両手で頬杖を突いて退屈そうに眺めていたプリアが口を開いた。かと思えば、「プリア、喉渇いちゃったぁ。メラちゃん、お茶入れてよぅ」


 まったくお前というやつは、というようにバラキが小さく息をついた。しかし彼女の口が小言を零す前に、


「わたしにもお願いしていいかしら?」ガブリエが便乗した。「頭を使うと甘いやつが欲しくなるのよ」


「しょーちしたっす──バラキ様とマラク様はどうするっすか?」


 結局、全員分のお茶を入れさせられることになったメラヘルは、会議室を一時退室した。

 ドアの閉まる音と共に訪れた沈黙は、しかし少ししか持たなかった。


「ところで」マラクに目を向けてガブリエが、問うたのだ。「例の投稿主の調査の進捗はどうかしら?」


 事の発端になったSNSへの投稿のことだ。その投稿主にも当然責任があるため見つけ出してしかるべき措置をしなければならず、魔王陣営の情報担当こと情報局──一個人の下世話なスキャンダルから国家機密まで節操なく収集する──では、実行犯の特定と並行してそちらのほうにも人手を割いていた。


「申し訳ございません」その情報局の長、マラクは眉根を集めて答えた。「目ぼしい人物を挙げることすらできていない状況です」


「どこの誰なんだろぅねぇー」プリアが誰にともなく言った。


「魔王様の寝室の座標を知っていたのですから──」マラクが応じる。「魔王城の事情に詳しい人物だとは思うのですが」


「そこまで把握されていてもしっぽを掴ませないとは、よほどの切れ者なのだな」バラキの言には、当てこするような嫌な響きは含まれていなかった。


「投稿主の自称どおり魔王様と関係のあった男性だと仮定したら──」しかしガブリエはそこで、「いえ、それだと成立しないのだったわね」と自答した。


「だねぇ」プリアが追従する。「魔王様、職場の子には手出さなかったもんねぇ~」


 痴情のもつれが職務に悪影響を及ぼすことを避けるため、と当人は語っていた。となると必然、相手は市井の一般人になるのだが、当然、寝室の座標などという泣き所を教えるはずもない。結論、遊ばれた男性が暴露したというのは否定される。


「ならば、やはり内部犯か」バラキがつぶやくように言った。「しかし動機は何だ? 勇者が転移魔法を使えるというのが知れたのは魔王様の死後、勇者どもが自首してからなのだから、寝室の座標を暴露したからといってすぐに何かが起きるとは考えられなかったはずだ。投稿主は何を期待していたというのだ……?」


「それはわかんないけどぉ」プリアの瞳に、どこか倒錯的な微笑が浮かんだ。「一番得してるのは次期魔王候補筆頭のガブリエだよねぇ~」


 ガブリエの、能面のように不気味な美貌からあらゆる色が消え、まるで闇そのもの──少なくともマラクにはそう見えた。

 溜め息をついたバラキが、取り成すように、


「しかしその観点で言えば、我ら四天王は全員が容疑者たりえるのではないか」しかし捉えようによっては掻き乱すような言葉を差し挟む。「次期魔王は四天王の中から国民の投票で決めるというのが通例だからな」


 魔界では部分的に民主主義が採用されており、仮に魔王が亡くなっていなくとも四年の任期ごとに選挙が行われる。その際の候補者は原則として現魔王及び四天王となる。


「えぇ~でもぉ、プリアとマラ君には無理じゃなぁーぃ?」プリアは、よほど四天王の結束を壊したいのか、反駁する。「国民の投票っていったって、魔界の人たちって戦闘力信者なんだもん。撹乱とかサポートがメインのプリアは選ばれっこないしぃ、前線に出ない裏方のマラ君はもっとないでしょうぅ?」


 魔王が殺されてバラキも内心では喜んでいるのではないか──愉悦に染まったプリアの瞳は、そう語っているようだった。


 ──ちっ。


 ガブリエから苛立たしげな舌打ちが聞こえた。再び会議室の空気が張りつめていく。

 肌がひりつくような感覚にマラクは呼吸を忘れそうになり、こめかみを冷や汗が伝った──その時、


 ──コンコンコン。


 ドアをノックする音がして、


「お持ちしたっすー」


 メラヘルの呑気な声が飛び込んできた。

 毒気を抜かれたように殺気が緩んだのを察知してマラクは、助かった、と胸を撫で下ろし、すかさず、


「入っても構いませんよ」


 入室を許可した。

 湯気の立つ盆を手にして手際良く配膳するとメラヘルは、退室するでもなく何げない様子で言った。


「ちょっとひらめいたんすけど、聞きたいっすか?」


「……は?」棘の抜け切らない語調でガブリエが洩らし、


「というと、先ほどの死亡推定時刻の謎が解けたと、そう申すのか?」バラキが引き継いだ。


 そうっす、とうなずいてからメラヘルは、「てゆーか、魔王様を殺したやつがわかったんす」


「きゃーメラちゃんすごーぃ」プリアが感情のこもらない調子で囃した。


「それはぜひとも聞かせてほしいわね」


 ガブリエがそう言うと、メラヘルは、自分で言い出しておきながら若干面倒くさそうな顔をして、その推理を語りはじめた。







〈読者への挑戦〉

 必要なヒントはすべて記述した。魔王密室殺害事件の真相を推理せよ。

 なお、本作はすべて三人称一元視点(マラク視点)で書かれてるが、本格ミステリの作法に則り、地の文に虚偽は記述していない。

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