「じゃ、行こっか」


 帰りの会が終わるとすぐにオレの席までやって来た綾崎が、机に手を突いて言った。

 ざわ、と教室が揺れた。

 真相解明のために一緒に友輔の家に行くだけなのだが、そんなことを知る由もない煩悩まみれのクラスメイトは色めき立つ。


「わたしの千宙様がスピード狂の七海と? 悪夢かな?」「はっ! 七海がイメチェンしたのは綾崎君のため?」「それだ!」「名推理出たな」「しかし夏坂氏は蓮見氏にご執心だったのでは?」「しゃぶれない本命よりしゃぶれる美少年──これが真理なのだよ。処女にはわからんかもしれんがね」「お前も処女だろ。うぜー口調で調子乗んな」「それ、ただのヤリモク」


 ──あっはぁーっ! やだぁもうっ! きゃはははっ!


 こいつら勉強はできるくせに馬鹿なんだよなぁ。

 と哀れみつつ綾崎の小振りなケツを追いかけて教室を出た。

 制服のまま、まっすぐに徒歩で向かっているわけだが、綾崎とはほとんど話したことがなく、気まずい沈黙が続いていた。

 それに耐えかねたのか単なる退屈しのぎか、住宅街に入ったところで綾崎が口を切った。


「七海んはバイクに乗るんだよね? バイクは盗んできたの?」


「オレのイメージどうなってんだよ。お袋から譲ってもらったんだよ」


 オレのお袋も若いころはそうとうヤンチャだったらしく──今もキレると拳を振り回すが──ヤンキー文化に理解がある。そういうわけで、法的にはお袋名義だがオレの好きにさせてもらっているのだ。


「親ガチャ外れと見るか当たりと見るか難しいところだね」


 オブラートに包まない綾崎の言い種は、たぶんお袋好みだ──そして、オレも嫌いではない。


 へっ、と皮肉に笑ってオレは、「世間様にとっては大外れだろうな」


 と、一戸建てが建ち並ぶ道の先に軟弱なシャバい格好の三人連れが見えた。住宅の門扉の所に固まっている。インターフォンに向かっているようだった。

 通りすがら一瞥すると、『神の下の平等推進委員会』と物々しいフォントで大きく書かれたパンフレットらしきものを大事そうに抱えているのが目に入った。

〈神の下の平等推進委員会〉とは、男女平等社会の実現を目指す新興のカルト宗教だったはずだ。つまり、あの女たちは宗教の勧誘中なんだろう。


「興味あるの?」綾崎が尋ねてきた。


「ねぇよ──お前は?」


「ん、なくはないかな。噂では男女平等を徹底したコミュニティーをどこかに築いてるらしいし、ちょっとおもしろそうじゃない?」


「全然」そもそも想像できない。何だよ、そのキモいの。「てか、無理だろ、人間に平等なんて」


 だからだよ、と綾崎は言う。「無理を通せば道理が引っ込む。道理が引っ込めば事件が起きる。事件が起きればぼくが楽しめる。人が殺されればなおよし──うん、やっぱり楽園かも。殺人天国だ」


 何つー物騒な理屈だ。推理作家はみんなこうなのか? だとしたら怖すぎだろ──オレは推理作家への警戒はけっして怠らないことを心に決めた。







 結子は、仕事が休みらしく今日も家にいた。そして彼女はまず、息子のせいで変わり果てたオレをインターフォンで見て目を見開いて驚きを露にし、続いて玄関扉を開けて綾崎に気づき、「まぁ!」というような形の口元に手を当てた。

 綾崎は、さっきまで殺人がどーのと言っていたとは思えない優等生然とした態度で淀みなく訪問の訳──友輔が心配で様子を見に来た、と──をでっち上げた。

 綾崎のために廊下などの掃除でもしようというのか、単に取り込み中だったのか、結子は、「ごめんなさい、ちょっと待ってもらっていい?」と言って一度玄関扉を閉ざしたが、五分も経たずに、「お待たせ。綾崎君にはふさわしくない汚い所だけど、許してね」と招き入れた。

 そうして、土曜日と同じように友輔の部屋の前に立った。

 すると綾崎は、いきなり奇妙な行動に出た。


「はじめまして!」


 と挨拶したのだ、ついこの間まで教室で話したりしてたのに。


「……」ドア越しにも友輔の当惑している気配が伝わってくる。「はじめましてじゃないでしょ、千宙君」


「ごめんごめん、そうだった。うっかりしてたよ」綾崎は無表情にドアの木目を見据えながら答えた。


 訪問の了承はスマホのメッセージで友輔から得ていたが、その理由は伝えていない。彼は、


「それで、今日はどうしたの? 七海だけならまだしも千宙君まで」


 と質した。

 オレだったら、友輔の引きこもりの理由を調べに来たぜ! と馬鹿正直に答えそうなところだが、


「実は折り入ってお願いがあってお邪魔させてもらったんだ」


 綾崎は嘘をついた、口角に悪そうな微笑を漂わせて。そして、滑らかに続ける。


「ぼくがミステリーを書いてるのは知ってるよね?」


「うん」友輔はうなずく。


「一昨日突然思いついて書き上げた、読者への挑戦ものの短編ミステリーがあるんだけど、それについて忌憚のない意見を友輔から貰いたいんだ」


「いいけど、ドアは開けないよ」


 原稿の直接の受け渡しには応じないよ、ということだろう。


「大丈夫、原稿は頭の中にあるから」


 流石に驚いてオレは、横から質問を入れる。「全部暗記してんのか?」


「うん、一度言語化した小説は嫌でも脳髄に焼きつくから」


「すごいね」と、これは友輔。「口頭で暗誦してくれるんなら、たしかにドアを開ける必要はないね。ちなみに、読者への挑戦ということは犯人を当てればいいのかな?」


「うん」綾崎はうなずき、「ヒントが出揃ったら途中で止めて挑戦状を挟む構成になってるから、その時に改めて聞くよ」


「わかった」友輔は答えた。


「オレはどうすればいいんだ?」


「七海んはお口にチャックで見守ってて」綾崎は即答した。


「りょーかい」


 綾崎は、んんっ、とかわいらしく咳払いし、そして彼の新作短編『魔王の密室と三人の勇者ようぎしゃ』の問題編が始まった。







「ええいっ、いったいどうなっておるのだっ! 魔王を殺した勇者が誰かわからないなど想定外にも程があるわ!」


 人間たちが暮らすユーラス大陸の北に位置するイース王国、その王城の宰相室にて、まん丸お目々と弛んだお腹が肥えた狸を思わせる初老の女、宰相のベラが口角泡を飛ばして言った。

 その唾を掛けられそうになったのは、ベラの懐刀で、此度の魔王密室殺害事件の調査を取り仕切る狐顔の美女、エレノアだ。事実を報告しただけなのに怒鳴られた彼女は、しかし悪態をつくでもなく、


「しかし、実際に三人の勇者の誰にも犯行が可能だったようなのです。三人の勇者──我が王国の勇者であるローラ、帝国のシス、共和国のフレイの各々が『わたしが一人で魔王を殺した』と犯行を自供しており、魔王の死亡推定時刻に犯行現場にいたことの証明──逆アリバイ証言も全員にあります」


「逆アリバイ証言だと? どうせ勇者パーティーのものなのだろう? そんな身内の証言、信用できるものか!」

 

「ええ、ごもっともです。ですから純粋に犯行を可能たらしめる能力のある者を容疑者とすべきと考えたのですが──」エレノアはその柳眉を悩ましげにひそめ、「三人の勇者が魔王を殺しうるとされる聖剣の正統な所有者であることは周知の事実ですが、加えてその全員が伝説の転移魔法の使い手でもあったのです」


〈聖剣〉

 とてもよく斬れる剣。特有の聖属性の魔力を帯びている。嘘つきが嫌い。世界に十本はある。

〈転移魔法〉

 座標さえわかればどこへでも瞬時に移動できる。人類史上でも七人ほどしか使い手が存在しなかったとされる超難易度のSSS級魔法で、現在確認されている使用者は勇者の三人だけである。


 転移魔法については全員、奥の手として魔界は言う及ばす母国にさえも秘していたが──もっともパーティーメンバーとは共有していたようだが──今回の件で明るみに出てしまった。


「それは実なのか? そんな希少な人材が、成り上がりの帝国や下賎の吹き溜まりの共和国にいるとは思えんのだが」


「彼女たちからすれば、過去の栄光にすがることしかできない無能老害の王国なんかにいるはずがない、となりますよ」


「……お主、やり甲斐搾取万歳の愛国者ではなかったのか? 採用面接で力説していたのを忘れたとは言わせぬぞ」


「ははは、わたしとしたことが、つい本音が洩れてしまったようです。大変失礼をば、いたしましたん♪」


「たん?」


 ごほん、とわざとらしく咳を払ってエレノアは、澄まし顔で仕切り直す。


「今一度状況を整理してみましょう。もしかしたら狸の悪知恵が働くやもしれません」


「うむ、それはよいのだが、狸とは誰のことを申しておるのだ?」


 しかしエレノアは涼しい顔で聞こえないふりをして、「事件の発端は──」と始めた。


 今から一週間ほど前の、魔界時間で午前一時過ぎのこと、SNS──魔力による情報通信網を利用したコミュニケーションサービス──にある投稿がなされた。


『魔王に性的搾取されたんで、すべて暴露します』


 その一文から始まったそれは、魔族の男が投稿したものだった。男遊びがひどい魔王(二十六歳。サキュバス族)に弄ばれたという内容で、その大半が都合のいい責任転嫁と魔王の愚痴──と、ほんの少しの未練──だったが、一つだけ国家機密級の情報が含まれていた。

 すなわち、魔王城の魔王の寝室の座標がさらされていたのだ。

 もちろん初めは誰も信じなかった。しかし、投稿からものの一時間もしないうちに削除されたことで信憑性が増してしまった。

 そして、魔界の民にとっては不運な、人間界にとっては幸運なことにその投稿は三人の勇者の目にも留まっていた。

 今代の魔王は歴代最強とも謳われ、それは彼女の使う下衆の極み魔法こと生命魔法の悪辣さゆえだった。額面どおり生命を冒涜するその魔法は、死者を操る。すなわち、人類魔族問わず死者を擬似的に復活させて魔王軍として再利用するのだ。死者ゆえの戦術的な卑劣度──自由度の高さに人類は劣勢を余儀なくされていた。

 このままでは魔王の掲げた公約──人類総奴隷化が実現してしまう。

 そんな中、不意に垂れてきた、魔王の寝床の座標という起死回生の蜘蛛の糸。

 多少胡散臭くともすがろうとする者を誰が責められようか。いわんや、人類の希望を一身に背負って立つ勇者をや。

 そうして彼女たちは、それぞれ、ものは試しと転移魔法で魔王の寝室へ飛んだ。当てが外れても話の種にはなるだろうという打算もあったのだが、その座標は本当に魔王の寝室で、目の前には掛け布団も掛けずに一糸まとわぬ裸体をさらして無防備に眠る妖艶な美女──魔王の姿が。

 瞬時に冷酷な暗殺者と化した勇者は、聖剣で魔王の心臓を突き刺し、驚きと恐怖の浮かんだ彼女の双眸から生命の光が消え失せるまでぐりぐりとねじり回した。念のため脈、呼吸及び瞳孔散大どうこうさんだいで死亡を確認し、再び転移魔法を発動して仲間たちの下へ飛んだ。

 魔王の遺体が発見されたのは魔界時間で翌朝の六時過ぎだ。いつもは朝六時にはラジオ体操に起きてくる魔王が現れないのを不審に思った四天王が、うち揃って魔王の寝室へ向かった。呼んでも返答がなく、まさか昨夜の投稿が、と浮き足立つ。やむを得ずドアを破り、そうして発見に至った。


『最凶魔王、密室にて暗殺さる』


 その日の午前のうちにこの一報が魔力情報通信網を通して全世界を震撼させ、誰が、どのようにして、なぜ殺したのか、という話題で持ち切りになった。

 魔王は警戒心が非常に強く、寝室の鍵は肌身離さず所持していた一つだけで、それは遺体のすぐ横、ナイトテーブルに置かれていた。また、ドアと窓に曲者が侵入した痕跡はなく、遺体や部屋に争った形跡もない。ただし、聖剣特有の魔力の残滓が確認された。

 下手人は聖剣使いで相応の実力を有し、動機も十分な勇者のいずれかに違いない──魔界がその結論に至るまで時間は掛からなかった。

 時を同じくして人間たちのユーラス大陸でも自首する者──魔王討伐は自身の手によるものだ、その栄誉と褒賞はわたしのものだ、と名乗り出る者がいた。

 そう、三人の勇者である。

 彼女たちの供述は概ね同じであり、また現場の状況とも一致している。すなわち、自身一人で転移し魔王の寝込みを襲って刺し殺したというのだ。

 その際、勇者のパーティーメンバーは、寝室へ向かって転移する勇者を見送っており、これが前述の逆アリバイ証言に当たる。したがって、厳密には、現場にいたことを直接には証明しておらず間接証拠にとどまると言える。

 なお、前述した犯行の一部始終はこれらの証拠を基に推測したものである。

 イース王国としては無論、自国の勇者であるローラを真犯人として検挙したい。救世の英雄を擁する国としてのちの外交の場での発言力を高めたいがためだ。

 ただし、これは帝国と共和国も同じ。

 かくして、大陸の覇権を握らんとする三国による三つどもえの犯人捜しが始まったのであった。

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