第11話 勝つのは技術を持つもの
「……っ!?」
ホームベースに辿り着こうとした瞬間だった。
バッドの前で、ボールが落ちたのだ。
青い光が途切れるのに反し、赤い光はキャッチャーのミットの中へと吸い込まれていく。
キャッチャーの反応が遅れてるのを見るに、キャッチャー自身も寸前まではストレートだと思っていたのだろう。
バッテリーなのなら事前に打ち合わせをしとくべきなのだろうが、あいにく現在マウンドに立っているのは助っ人の人間。
サインなんて微塵も知らない愁斗にそんな高い技術ができるわけもなく、けれどしっかりと受け止められたのはキャッチャーの努力の証とも言えよう。
「…………」
空を切ったバットの先端は天高く差し、力を流すためにバットを手放した右腕は情けなく宙を彷徨う。
「よしっ」
力強く手を握る愁斗に合わせ、カウントがスリーストライクからスリーアウトに切り替わる。
これで試合が終了した。2つの意味で。
たった一球しか投げていないというのに、まるで甲子園の決勝のように緊迫した場面を見たからだろう。
野球少年のように前傾姿勢でマウンドを眺めていたキャプテンは、やがて手を鳴らし始めた。
続くように内野手の野球部がグローブを置いては拍手を初め、最後は外野手。
理解の及ばない状況に首を傾げてしまう愁斗だったが、刹那にホームベースで膝から崩れ落ちる碧海が目尻に映った。
「負け……た……!!」
ドンッとホームベースを叩く。
魔改造してあるバットなんて放り投げ、自分の情けなさを悔やむように何度も。
「これでもう懲りただろ」
手についた土を払い除けながら碧海の下へと歩み寄る。
その際、碧海相手になんて言葉をかけて良いのかもわからないキャッチャーは右往左往。
居場所を失った野球ボールはグローブから零れ落ち、やがて碧海の目の前に。
「も、もう1回……!」
「ん?」
聞こえなかったのか、聞き間違いだと思ったのか、傾げた首で愁斗が見下ろしていれば、勢いよく頭が持ち上げられる。
「もう1回!もう1回チャンスを頂戴!!」
「え、やだよ。本来こういうのは1回っていう決まりがあるんだよ」
「私はルールに縛られたくないんです!!!」
「知らねぇよ」
「ねぇお願いします!やらせてください!!」
どこぞの野球部のようにボールを拾い上げた碧海は、力の籠もった声で言ってくる。
勝負事に二度目がないのは当然のこと。
どの世界でもそうだというのに、愁斗の目の前の少女は勝負事の常識というものを知らない。
(この際だから教えてやるか)
小さくため息を吐きながらも腰をかがめた愁斗は――
「俺からもお願いします!」
突然声が張り上げられたのはベンチの方から。
愁斗が顔を向けたときにはもうすでに帽子を脱いでおり、下げた頭は坊主がよく目立つ。
「さすがに――」
苦笑を浮かべながらも口を開こうとしたときだった。
次々に頭を下げるのは内野手やら外野手やらの野球部たち。終いの果てにはキャッチャーまでもが頭を下げ、グラウンドは坊主に埋め尽くされていた。
「ほら!みんなからもお願いが来てるから!」
「いやでもな……。というか部活してる野球部のみんなならわかるだろ?勝負事に二度目はないってこと」
「それでもお願いします!野球部一同、水瀬さんのお付き合いを願っております!!!」
勝負に二度目がないことが分かっていてもなお、碧海の恋を守りたい野球部が折れることはなかった。
そんな光景を見てだろう。小さくため息を吐き捨てた愁斗は、ほほ笑みを崩しながらも呆れ混じりに紡いだ。
「わかった。あと1回だけな」
「「「……っ!!」」」
歓喜に満ち溢れたのは愁斗以外の人間。
まるで我が身のように喜ぶその様は愛嬌すら湧いてしまう。
だがもちろん、マウンドに立つのは愁斗。
キャプテンに立たせるわけもなく、碧海から半ば強引にボールを奪い取った愁斗は、『さっさと終わらせるぞ』と言わんばかりにマウンドに戻っていく。
「んじゃ投げるぞー」
「ま、まって!まだ構えてない!!」
あっという間にモーションに入った愁斗とは打って代わり、未だに膝をついていた碧海。
慌てて腰を上げたのだが、
「――君たちなにをしてるんだい?」
グラウンドに舞い降りた悠然な女神によって、愁斗以外の動きが停止させられた。
彼氏はできていないが、顔はそれなりに良いと言われている。
なんならドM界隈では、『怒られてぇ……!』という者が多々居り、付き合うまでとはいかないがそういう関係になりたい生徒はかなりいる。
けどこの野球部にそんな変態野郎はひとりとしておらず、悠然な女神=生徒会長=怖い人という認識に留まっているのだ。
飛彩からすれば溜まったものじゃないが、今見るべきは実行委員会をサボって野球をしている愁斗と碧海。
そして、ノリノリでグラウンドを貸している野球部。
「なにをしているんだい?」
言葉が返ってこないことに疑問が湧いたのだろう。
追い打ちをかけるように首を傾げながら問いかければ、野球部と碧海の肩が勢いよく跳ねる。
そんな中、相変わらずのほほ笑みを浮かべる愁斗だけが平然と答える。
「野球っすね」
「そうか野球か。随分と楽しそうだな?良ければ私も入れてくれるかな?」
「「「……っ!」」」
息を詰まらせたのは他ならぬ愁斗以外の人間。
この生徒会長の言葉の意味をそのまま受け取れないのが、この学園のサガでもあり、飛彩の口調と悠然さが悪さしてのこと。
先ほど愁斗に向けたものよりもさらなるスピードで頭を下げるのは野球部のみんな。
「「「すみませんでした!!!」」」
野球部特有の野太い声がグラウンドどころか、校舎までもに響き渡る。
ピクッと飛彩の肩が小さく跳ねたのは愁斗にしか見えていなかったようで、キャプテンが代表して言葉を紡ぐ。
「すみません!どうしても水瀬さんの告白を成功させてあげたくて!!野球部が力になれるのならなりたいと思った所存でございます!!」
「ん?それはべつにいいんだがね?ただ、君たちは練習しなくてもいいのかなって思っただけだ。もし練習しなくてもいいのなら私も混ぜてほしい」
「「「……っ!!!」
(なぜこうも脅し風に行ってしまうのだろう)
率直な疑問が愁斗の脳内で渦巻くが、誰かが訂正するよりも前にキャプテンが指示を出した。
「おまえら!練習の準備!この後ノック100本と、投球練習するぞ!」
「「「は、はい!!」」」
統一された返事とともに行動を始める野球部は、倉庫やらベンチへと走っていく。
そうしてポツンと残された碧海と愁斗。そして、仲間に入れてもらえなかった生徒会長。
飛彩は責め立てるつもりなんて微塵もなかった。
自分も野球をしてみたかっただけ。自分も仲間に入れてほしかっただけ。ただそれだけのことだというのに、この立場が相まってどうにも仲間に入れさせてくれない。
もちろんそんな状況は今日に限った話じゃない。
これまでも何度も同じ状況に陥り、そのたびに心が傷ついていた。
もちろん今も傷ついており――
「すみません会長!すぐに戻りますので、どうか氷野くんだけは怒らないでください!もう野球はしません!!」
追い打ちをかけた碧海の言葉にさらに心が抉られ、分かりやすく眉根が伏せられる。
自慢の悠然なんてそこにはなく、まるで雨風に打たれた子犬のように哀れな姿の生徒会長だけがそこに居た。
もちろん、そんな生徒会長を見ることもなく走り去っていく碧海は、とりあえず夏鈴と合流したかったのだろう。
ポツンとマウンドに残された2人は、お互いの目を見ることもなくポツリと愁斗が口を開いた。
「野球します?」
「…………もういいです」
愁斗の哀れみが追い打ちをかけたのだろう。
肩を落とした飛彩は、トボトボとした足取りとともにマウンドを降りていった。
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