第32話 A.水素風船を作る(良い子はマネするなよ)

 閃の予測は完璧に当たっていた。速度台はかなり冷徹に『自分を切り捨てる方向』で不霏々を救おうとしていた。


 当然ながら速度台が今更なにをしようが焼石に水なのだが、そこは彼にはどうでもいいことだった。不可能であることは不霏々の身を諦める理由には一切ならないので。


 ただし、冷徹ではあっても冷静ではないので、その計画はところどころ雑だった。


 要は囮になって取丸から仲間たちを遠ざけように終始する計画を用意している一方で、遠ざけた後でどうするべきかを完全に考慮していない。


 永遠に取丸を引きつけて逃げ続けることが可能か、逃げた先で取丸が死ぬか撤退するかの三通りの結末でしか囮作戦には意味が発生しないというのに、速度台の脳内計画では『囮として逃げて引きつける』より先が存在しない。


 しばらくすれば閃が不霏々を回収してくれるからそれまでは、としか考えていなかった。


「フーちゃん。あの怪物はね、人間のを探知して襲ってくるのですよ」


 とは言え、冷静さを失っている者は冷静さを失っていることを自覚できない。


 状況は淡々と悪化していた。


「だから全力で息を止めて全力疾走すれば移動自体はなんとかなるはず。よって、ひとまず歩きで閃ちゃんのことを探すことを提案したいのですが」

「……単純な持久力って意味ならそっくんが一番適任だけど。大丈夫? 無闇に動いたら状況悪化しないかな? 心当たりはないでしょ?」


 今頃閃は、取丸と戦いながらはぐれた人間の位置を探しているはずだ。しかし彼女の声のようなものは一向に聞こえない。


 相当に離れているのだろう。自力で見つけられるかどうかは運次第になる。


 もっとも、閃にすぐに合う気は今の速度台にはないのだが。少なくとも閃が取丸を自力で半数近く斬り殺すまでは。


斬斬ききっ……! ひとまず地道にやるしかないでしょう。その辺の木に目印を付けながら少しずつ捜索範囲を狭めていきます」


 ちなみに。速度台の嘘は信じられたままだと逆に不霏々を危難に晒すので、どこかの段階でネタバラしをする必要がある。


 どこでそれをするかのタイミングを速度台は見極めていた。


(まだだ……まだ堪えるんだ……! 地面に降りてから数秒……そう、五秒後にしよう)


 邪悪な計画を止める者は、誰もいない。


「よお。さっきぶり」

「……は?」


 誰もいない、はずだった。


(げ……幻覚? 幻聴? ありえんものが見えたような……?)


 容姿は御剣閃。そして登場方法は『落下』。

 速度台もありえないことだとは思うのだが。


 桃色の少女は、空から降って来た。頭を下にした真っ逆さまの姿勢で。


◆◆◆


 鳶助が思い出したのは、光葉の元になった薬師蓼やくしたでが飛行していたという過去の事実だった。


 最初はどうやって空を飛んでいたのかの原理は不明だったが、光葉の魔術の内容を知った今ならわかる。


 カラクリがわかったのであれば、今度はそれを鳶助たちが利用すればいい。


「空をカッ飛んで視界そのものを広げる。それが僕が提案できる最高策だ」

「は? 空を?」


 閃は素直に首を傾げた。


「……どうやって?」

「アレを使う」


 まず由良の魔術でひたすら大きな布を用意する。形は空気を閉じ込められる袋状。


 あとはコレに『空気より軽いなにか』を吹き込めばの完成だ。


 当然、その空気より軽いなにかを調達する方法は光葉頼みだが、そこは問題ない。


「……光葉。出せるよな? 

「オフコース」


 ひとまず最初に、テスト用の小さい袋に水素を入れて試してみた。問題なく浮かび上がり、空へと吸い込まれていったので、この策の実現性は十分と鳶助は判断。


 気を揉んでいることを隠しもしない閃を尻目に、巨大な袋を作成し、速やかに水素を流し込む。


 個々の身体能力が高いため、掴むことさえできれば安定性は度外視で構わない。足場すらも必要ない。


 歪な最低限の持ち手がくっついているだけの白い巨大風船は、四人を引っ張ってあっさりと浮かび上がった。


「光葉! 空気はずっと布の隙間から逃げてるので、いい感じに高度が上がりすぎないように水素を追加し続けてください!」

「できるよ! できるけど……お水ちょうだい! 能力の発動条件だから、いっぱい!」


 光葉の魔術の性質に『人間にとって有害な物質なら低コストで出せる』というものがある。裏を返すと、単体で有害さを持たない気体は高コスト、つまり大量の水が必要となる。


 閃の許可を得て、なんとか飲料水の使用は許されているが、それも速度台と不霏々を見つけられるまで持つかどうかは五部だった。


『ねえ。普通にヘリウムで飛べば良かったんじゃない? 確かに水素の方がヘリウムより軽いのはそうなんだけど、なんであっちの世界で水素風船が絶滅したか知らないの?』

「ん?」

『これ、滅茶苦茶燃えやすくて危険なんだけど……』

「……!」


 次に同じ策を実行するときはヘリウムにしよう。鳶助は硬くそう誓った。


(いや。そんなことより。お喋りしている場合かよ。ほら)

『了解。わかってるわ。んでしょ?』

(こういうときの物分かりの良さだけは大好きだよ)


 アマテラスは鳶助の事前の指示に従い、風船を周回するように二人を探す。

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