第5話追放者たちの夜明け

「ソフィア、走れッ!」


痛む肩に手を当てながら、アリオスは王女の手を引き、大聖堂の奥へと駆けた。

聖域を囲う大理石の柱が流れ去る。階段へと続く扉は、半ば崩れた装飾に包まれている。


「そこの扉を抜ければ、屋上の飛翔装置がある。そこまで行ければ――!」


「わかった……アリオス、手は離さないで……!」


後方からは、バルカン兵たちの怒号と重い鎧の足音。

響く剣戟の音と、魔力の高まり。時間は――ない。


アリオスは扉を蹴破り、螺旋階段へと駆け込む。


ギィイイィ……ンッ!


階段は年季の入った鋼鉄と石材でできており、狭く、音が響きやすい。

足音ひとつ、咳払いひとつが反響し、兵士たちに位置を知られる。


「アリオス、もう限界じゃ――」


「いいや、まだ動ける……っ!」


アリオスは自らの胸に掌を当て、回復魔法を詠唱する。


「〈ヒーリア・マグナ〉……っ、もう一度だけ……!」


治癒の光が身体を包み、裂けた肩口を無理やり繋げる。

痛みは消えぬ――だが、動かすことはできる。


「アリオス、前方から来る!」


「――ッ!」


階段の踊り場に、バルカン兵が数人、剣を構えて待ち構えていた。


アリオスは迷わず、腰の剣を抜いた。


「下がってろ、ソフィア――行くぞ!」


シュバッ!!


疾風のように踏み込むと、〈風裂刃〉の余力を残した刃が横薙ぎに空を裂く。

一人の兵士が吹き飛び、他の者たちも怯んだ隙に、一気に突き抜ける。


「邪魔だああああああっ!!」


二段、三段と斬り伏せながら、アリオスは休まず階段を駆ける。


背後では、追っ手の魔導兵が詠唱を開始していた。


「〈雷鎖陣〉――!」


ゴォオッ!!


雷の鎖が階段を這い、壁に炸裂する。石片が飛び、天井が軋む。


「う、うわああっ!」


「ソフィア、こっち!」


アリオスは咄嗟に彼女を抱え、階段の影に飛び込んだ。

爆発とともに広がる土煙、耳をつんざく轟音――


だが、その中から、アリオスは立ち上がる。


「っ……まだ……まだだ……!」


血混じりの息を吐きながら、最後の踊り場を蹴り上げた。


――そして、


バァァンッ!


重い鉄扉を蹴破り、ようやく二人は屋上へと飛び出した。


眼前に広がるのは、夜空と、星々と――そして、風を受けて静かに浮かぶ《飛翔装置》。

小型の飛行艇のような形状をしており、魔石によって浮遊し、発進の準備が整っている。


「間に合った……!」


ソフィアが胸を押さえ、アリオスにしがみつく。

だが、喜びに浸る間もなく――


「そこまでだ、アリオス・グレイハルト!」


階下から、兵たちが続々と現れ、屋上に姿を現す。


「王女殿下を返してもらうぞ!包囲しろ!」


魔弓が構えられ、魔導銃が狙いを定める。

その数、およそ十五。いずれも精鋭だ。


アリオスは、最後の魔導札を手に取り、血で滲んだ掌で強く握る。


「……ソフィア、しっかり掴まっていろ。ここが正念場だ」


風が舞い、魔力が螺旋を描き、飛翔装置が微かに浮かび始める。


(俺は、誓ったんだ――何があっても、彼女を連れて帰ると)


その目に宿るは、迷いなき蒼の焔。

飛翔装置が重く空気を裂きながら、黒曜の空を駆ける。


アリオスは操縦輪を握りしめ、荒れた風を突き抜けていた。

彼の腕には、ソフィアがしがみついている。目を閉じ、震えるその指先が、小さく彼の服を握る。


「……無事か?」


「ええ……あなたが……守ってくれたから……」


傷ついた肩と足をかばいながらも、アリオスは飛翔装置を操り続ける。

追撃の魔導弾が何発か飛んできたが、今はもう視界の彼方。


だが――自由の風は、決して優しいものではなかった。


ソフィアは空を見上げ、そっと呟いた。


「……私たちは……もう、戻れないのね」


「……ああ」


アリオスの声は低く、静かだった。


「国に戻れば、俺は反逆者として斬られる。君も、王家の名を穢したとして幽閉か、それ以上の処分が待ってる」


「そう……わかっていた。でも、こうするしかなかった。私は、あのままバルカンの王子に嫁ぐくらいなら……自分を、失っていた」


ふたりは言葉を交わしながら、遥か彼方の山並みへと向かっていた。

地図にも載らない自由の土地、亡命者が隠れ住む伝説の〈影の森〉を目指して。

その頃――バルカン王国 王城・玉座の間。


巨きな獅子の彫刻が並ぶ玉座の間に、怒声が響き渡っていた。


「なに!? 王女が、逃げただと!?」


バルカン国王・ガルゼル三世は、豪奢な衣に身を包んだ威厳ある老人だ。

だがその目には、王家の誇りを踏みにじられた怒りが燃えていた。


「しかも、我が王国の騎士団を打ち破り、聖堂から逃走……相手はファルヴァードの騎士団長アリオスだと……?!」


「はっ……それがしの不徳の致すところにございます……!」


ひざまずく騎士団長・ボルトは、深手を負った身でありながら報告を終え、額を床に擦りつける。

それほどに、王の怒りは尋常ではなかった。


「愚か者が! 我が国に泥を塗ったその男、アリオス……!」


玉座から立ち上がると、ガルゼル三世は右手を高く掲げ、臣下に向かって吼えた。


「全軍に通達せよ! 国境の封鎖、空路の遮断、そして――」


その声が、玉座の間を震わせる。


「アリオス・グレイハルトとソフィア王女を見つけ出し、必ず捕えよ!

生死は問わぬ。王家の威厳を守るためならば、血も泥も厭わん!」


「はっ!!」


配下たちは一斉に立ち上がり、号令を響かせる。

バルカン国全土に、追撃命令が広がっていく。

――逃げ延びた自由は、永遠の追われ人としての生を意味していた。


ソフィアは風の中、遠ざかるバルカンの地を見下ろす。

アリオスの背に、静かに頭を預けながら、心の中で囁いた。


(……でも、私は後悔していないわ)


(あなたと、ここにいることが――私の選んだ運命)


風は冷たい。だが、寄り添うふたりの心は、確かにひとつだった。

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