第39話 王都オースリン

 さらさらと髪を梳く指先を感じる。

 まるで手触りを確かめるように動くそれは気持ち良くて、僕はうっとりと身を委ねていた。だが、そのうち頭の中がはっきりしてきて、自分の状況を思い出す。


 そうだ、昨日、アルヴェスト国に着いて、デュークの双子の兄に会った。

 そして、4人での宴の後、デュークと二人で部屋に戻り、同じベッドで寝て──。


 僕はそこで、パチリと目を開けた。

 最初に目に飛び込んできたのは、長いまつ毛に縁どられた銀色の瞳だ。

 僕が目覚めたことに気付くとわずかに瞠り、髪を梳いていた指を止める。


 一瞬で変わった表情。

 でも僕は、見逃さなかった。

 

 デュークは、これまで見たこともない優しい微笑みを浮かべていた。

 僕の寝顔を、あんな顔で見つめていたのかと思うと、胸の鼓動が速くなる。

 一体、いつから僕が目覚めるのを待っていたのだろう。

 気恥ずかしくて、何か言わなければいけないと思うのに、言葉が出てこない。


 見つめ合った数秒後、僕の唇が微かに震える。

 緊張のためだったのか、動揺したからか。それはわからない。

 だが、それをきっかけにして、デュークが僕に覆い被さってきた。

 吐息がかかるほどの距離に顔を寄せ、今にも唇が触れ合いそうだ。

 それでも僕は、凍り付いたように身じろぐことさえできない。


 その時だ。


「お食事の準備が整いました」


 部屋の扉の外から、男性の声がした。

 デュークが目だけを扉に向け、一つ息を吐いて、僕の上から退く。

 とりあえず一難去って、僕は命拾いした思いでベッドから身を起こした。




 身支度を済ませて、案内されるままに食堂に向かう。

 僕たちの席は用意されていたが、双子の姿はない。


「すでに公務にお出かけでございます」


 この城の執事らしき人が、僕の視線に気付いたのか、そう説明した。


「お二人のことは、起こさないようにとお達しがありまして。──お食事にお呼びしてしまって申し訳ございません」

「いえ、そんなことは。ありがとうございます」


 僕は心から感謝を述べた。

 本当に、助かった。

 あのまま食事に呼ばれなければ、またキスをしてしまっていた。


「このあとは、どうなさいますか? もし街中へ観光に行かれるのでしたら、護衛を用意いたします」


 食後のティーを出された時に尋ねられて、僕はすぐに断ろうとした。

 物見遊山をするわけにはいかない。

 ここで、王子たちの帰りを待つ方がいい。


 だが、デュークの意見は違った。


「少し出よう。昼前に戻ればいい」


 そして、食事を済ませたところで、護衛を連れて王都オースリンの市街地に向かった。

 馬車の窓から見る王都は、街並みがとても綺麗だ。


 中世のヨーロッパをイメージしていたが、もう少し時代が下がるのかもしれない。

 3階以上のモダンな建物が立ち並び、1階にはさまざまなショップが入っている。

 カフェや花屋を始めとして、鍛冶屋も見かけた。

 さすがに車は走っていないが、乗り合いバスのような大きさの幌馬車が道を行き交っている。人口が多く、活気がある。ゴミ一つ落ちていないのは、衛生面も国が管理している証拠だろう。


 デュークは、市街地の中心で馬車を止めた。

 メイン・ストリートを歩き、広場の向こうまで歩いて通り抜けるという。


 デュークは、目立つ銀髪を隠すためにか、帽子を被っている。

 普段の制服や、ここに来る時の詰襟正装とも違い、今は開襟シャツに上着を羽織っていた。僕は、一応ネクタイをしているが、デュークと並んでも違和感を与えないくらいにはラフな格好だ。


 ストリートを歩いていても、デュークが第三王子だと気付く人はいない。

 人混みの中を進んでいくと、はぐれそうになった僕に、デュークは手を差し伸べる。


「迷子になられたら困る」

「なりませんよ」


 そう反論したが、デュークは手を差し出したまま引っ込めない。

 護衛のいる前で、素気無くするのも申し訳なくて、僕はその手を取った。

 今の僕は、王子の恋人だ。疑念を抱かれないように振る舞う必要がある。


 デュークの手は、僕より大きく、指が長く感じられた。

 硬質な指先は滑らかで、緊張して汗を掻いたらどうしようと、僕は早く放してほしくなっていた。


 やがて、広場に差し掛かり、僕は驚いて指差した。


「アイスクリームがある!」


 まさか、この世界にもアイスクリームがあるとは思わなかった。

 第一、冷凍庫もないのに、どうやって作っているんだろう。

 

 驚く僕に、デュークは不可解だとでも言いたげな視線を向ける。

 何を当たり前なことをと言いたげな瞳に、僕は頬が熱くなる。

 ついはしゃいでしまった自分を恥じて、指差していた手を下ろすと、護衛の一人にデュークが言う。


「1つ買ってきてくれ」


 すると、いかつい体格の護衛がアイススタンドへ行き、丸いアイスを二つ載せたカップをデュークに手渡した。


「食べろ」

「え?」

「興味があるんだろう?」


 食べてみたいとは思ったけれど、まさか買ってくれるとは思いも寄らず、僕は受け取ることができない。


「早くしろ。溶けるぞ」


 デュークに急かされて、僕はアイスを受け取り、刺さっていたスプーンで掬って食べた。

 

「美味しいっ!」


 アイスは、小さな粒が入っていて、ほんのりお酒のような味がする。

 ラムレーズンに似ているけれど、もっと甘酸っぱい。


「王子も是非、食べてみてください」


 スプーンで掬って口元に寄せると、デュークは少し躊躇った。

 僕はそこでハッとした。

 いつもセレスにしていたから癖でしてしまったが、王子に対してすることじゃない。

 ここは、デュークの方で拒むだろうと思いきや、顔を寄せて口に入れた。

 そして、コクリと喉を動かしてから言う。


「いい味だ。少し甘いが」

「アイス、ですから」

 

 答えながら、僕は気恥ずかしくなっていた。

 するんじゃなかったと思いながら、溶ける前にアイスを食べる。

 気まずくて、2つめのアイスは味がわからなくなったくらいだ。


「見ないうちに変わった」


 デュークは後ろを振り返り、ぽつりとそう言った。

 フォーシュリンド王国に留学したのは2年前のはずだ。それほど長いとは言えない期間だが、それでも街は変わっていっているのか。

 そこで、デュークは街並みに目を走らせる。


「兵の数が多い」


 言われてみれば、武器を持った兵士がそこかしこにいる。

 僕は、デュークの横顔を窺った。

 その顔は、真剣そのもので、いつもより神経を尖らせているのが見て取れる。


 アルヴェスト王国の中で、一体何が起きているのか。

 僕は、不穏な空気を肌で感じた。


「行こう。馬車はあそこだ」


 僕は、デュークと共に馬車に乗り込み、王城に戻った。




 昼食の時間になると、第二王子のルドビークが先に食堂にいた。


「デートはどうだった?」


 口端を上げて問われて、一瞬言葉の意味が取れなかった。

 その面白がるような目の色を見て、ようやく理解する。

 そういえば、デュークと二人だけで出歩くのは初めてだ。

 デュークも僕を窺っている。


「とても素敵でした」


 僕はそう言ってから感想を述べた。


「物が豊富で、街並みもとてもきれいで。街も人も生き生きとしていました。親しみと共に豊かさを感じる、そんな一時でした」

「聞きたかったのは、そっちじゃないんだけどね。──まあ、いい。褒められて悪い気はしない」


 そっちじゃないとは、どういう意味なのか。

 考え始めたところで、ルカーシュも現れる。

 

「国境から兵はすべて引き上げさせた。大体の筋書きも見えたし、明日にはフォーシュリンドに帰れるぞ」


 デュークと僕の椅子の背凭れに手を置いて言い、僕の耳元に口を寄せた。


「ただし、デュークだけだ。君を同時に帰すわけにはいかない」

「はい、承知の上です」


 デュークと僕を帰せば、下手をすればデュークの身に危害を加えられてしまう。

 だが、僕がここに残れば、フォーシュリンド側が手控える。

 要するにこれは、非公式な人質交換だ。


「僕に、その価値があることを願います」


 僕がそう言うと、前に座っているルドビークが眉を上げた。


「いいね。お前のような頭のいい子は好きだよ」


 テーブルに肘を突いて、手の甲に顎を乗せる。


「何なら、ずっとここに滞在するといい」


 意味を測りかねて、僕は首を傾げる。


「ルドビーク、話がややこしくなる」

「ああ、すまないね」

「デューク、お前も殺気立つな」


 ルカーシュは、そう言って、ぽんぽんとデュークの頭に触れた。

 デュークに目をやると、不機嫌そうに眉根を寄せていた。


「出立は、明日の朝でもいいだろう」

「今日くらいはゆっくりして行け」


 兄二人に言われたが、デュークは首を振る。


「今夜、向かう。──クリスティアンに、手は出すな」

「はいはい」

「ちゃんと守るって」


 デュークの言葉に二人は苦笑し、そこからフォーシュリンドに戻る準備を始めた。

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