第27話 フレディの想い

「おはよう、クリス」


 食堂で朝食を摂っていると、フレディが現れた。

 僕の向かいの席に座り、あくびを一つする。


「眠そうだね」

「あまり眠れなくてさ」


 もしかしたら、今日の騎士団との訓練が気になって、寝られなかったのだろうか。

 

「今日は雨になるらしいよ」

「初日が雨は辛いなあ」


 僕の言葉に、フレディはうーんと唸る。


「修練場は屋根があっていいな」

「たしかに。それはいいところかもしれない」


 雨天でも変わらずできるのは、修練場のいいところだ。

 実際、魔力を使うことになったら、天気なんて気にしていられないんだろうが。


「じゃあ、また夜に」


 僕はそう言って立ち上がり、フレディと別れた。

 今日は、朝のうちから空中を飛ぶ練習をしようと修練場に入ると、既にアインハルトがいた。僕とは比べ物にならない速さで滑空し、素早くターンを繰り返している。

 見ているだけで、目が回りそうだ。


 アインハルトから目を離して見回すと、見学席にデュークもいる。

 立ったまま、宙を見上げていた。


 デュークとアインハルトは、ヴィオレッタ祭以来、一緒に練習をしなくなった。

 試合中に目を逸らし、魔力を解いたせいで、デュークが負けてアインハルトが勝った。

 そのことを、アインハルトの方でまだ、納得がいっていないのだろう。


 ──『私が忖度するように見えるのか? 君の勝利だ』


 試合後に、デュークはそう言ったが、ではなぜあんな負け方をしたのか。

 国王が現れたことが、要因のように見えたが、実際のところはわからない。


 デュークは、隣国の王子であり、そんな人間に迂闊に質問できない。

 下手をすれば、デュークの立場が悪くなる。

 それがわかっているからこそ、アインハルトの心の中で、いつまでも燻っているのかもしれない。


 デュークは、肩に掛けていた上着を脱いで席に置いた。

 普段は隠れている厚い胸板や筋肉のついた肩がシャツの薄い布地の下に見える。

 引き締まった腰や長い脚に目を奪われている間に、デュークはフィールドに出た。

 軽く身体を動かした後、いつも通り一人で練習を始めようとする。


 そこで僕は、意を決して近付いた。


「あのっ! デューク王子!」


 緊張して声が上擦り、僕は顔が熱くなる。

 きっと紅潮していることだろうと恥ずかしくなっていると、デュークが僕を見た。

 切れ長の瞳に見据えられて、心臓が跳ねる。

 僕はぎゅっと拳を握り、視線に負けずに問いかけた。


「僕と練習していただけませんか」


 デュークは僕を見つめたまま、僅かに首を傾げる。

 だが、ほんの数秒で頷いた。


「わかった。使用する属性は絞らなくていい」


 要するに、遠慮することなく全力で向かって来いと言うことだろう。


「僕がシールドを張るよ」


 いつの間にか、そこにはイェレミーがいて、僕とデュークを囲む形で紫色のフィールドを張った。



 お互いに試合の時と同じように距離を取り、デュークは右手を左肩に添えて構える。

 僕も、杖を持たずに右手で拳を握り、左胸のあたりに押し付ける。


「いつでも来い」


 デュークに言われて、僕は宙に飛んだ。

 そして、まずは火魔法を使い、青い炎をデュークに向ける。

 上空から炎を放ったが、デュークの氷の壁に阻まれる。

 一度では終わらせずに二度三度と炎を吹き付けても、すべて防がれた。

 次いで、細かな氷の粒を一斉に飛ばす。

 デュークが薙ぎ払おうと構えたところで風に乗せ、落下する速度を上げた。

 広範囲の攻撃に対し、デュークは怯むことなく防戦する。

 

 そして、僕が氷のつぶてを作り、今まさに叩きつけようとしたところで、僕の上から軋む音がした。まさかと思って仰ぎ見ると、無数の氷が僕より上に集められていた。

 下からの攻撃を予測していたため、身体を反転させるのが一瞬遅れる。

 その隙を突いて、氷が矢となって僕に襲い掛かった。


 弾き返そうにも数が多く、壁を作るには時間が足りない。

 炎を向けて溶かす作戦に出たが、僕の火力では蒸発させることはできない。

 結果、溶けた氷が、僕の身体にざばざばと降り注ぐ。

 まるで、バケツをひっくり返したような量と勢いだ。


 呼吸が苦しくなって、僕は噎せ返り、もう試合どころじゃない。

 手を挙げて二度叩く仕草をし、降参の合図を送ると、水は牡丹雪のような結晶に変わった。


 全力で立ち向かっても、全く歯が立たない。


「ありがとうございました」


 地上に降りて一礼すると、デュークも礼をし返した。


「氷の結晶をもっと早く作れるようにしておけ。次回は、水属性に絞る」


 次回。

 また模擬戦をしてくれるとわかって、僕は嬉しくなった。

 何度も礼を言ってから、僕は一度着替えに寮に帰ろうとした。


 修練場から寮に戻る途中で、僕は泥まみれのフレディに出会った。


「よう、クリス。酷い格好だな」

「フレディもね」


 くすりと笑い合い、僕たちは大浴場に向かった。

 身体を洗い、火傷に顔を歪めながら湯船に浸かる。

 そうして人心地ついた後、僕たちは大浴場の外にあるベンチで涼んだ。

 

 雨はもう上がっていて、青空が見えている。

 爽やかな風に目を細めていると、フレディがぽつりと言った。


「全然ダメだった。オレに見込みはないのかもな」


 頭からタオルを被っているせいで、フレディの表情は窺えない。

 それでも、その沈んだ声で、フレディの思いが伝わってくる。


「最初オレは、剣術科じゃなく医療科に入ったんだ。自分の剣術の腕に見切りをつけて。……けど、やっぱり剣術を捨てきれなかった。だから、入り直したんだ」


 それが、フレディが僕の1つ年上の16歳である理由だ。

 ゲーム内で知ってはいたけれど、直接本人の口から聞くのは初めてだ。

 15歳のフレディが苦渋の決断をし、医療科に入ることにした。

 それほどに、挫折を感じたんだろう。


「兄さんには敵わないってわかっている。それでも、追いつきたい。──憧れなんだ」


 フレディの肩が揺れ、やがて被っているタオルで顔を拭うのが見て取れた。

 僕は、すうと息を吸い、フレディに問う。


「フレディのお兄さんは、騎士団の中隊長なんだろう? 剣の腕を買われて、隊長になったのか?」

「いや……馬術と、何より作戦の指揮がずば抜けていたからだって」


 フレディは僕に応えながら気付いたらしい。

 後半の声が、尻すぼみになる。


「自分を卑下することはない。フレディにはフレディの道があるよ。今はただ、それが見つけられていないだけだ」


 たしかに、一つ一つの能力は最高とは言えないのかもしれない。

 だが、フレディはどれも人並み以上の能力がある。

 個々の能力値で判断するべきじゃない。


「クリス」


 フレディは、頭からかぶっていたタオルを脱ぎ、僕を見据える。

 そして、僕の肩に手をかけ、顔を寄せた。

 頬に柔らかなものが押し付けられて、僕は動揺する。

 フレディが、僕の頬にキスをした。

 驚いて身を強張らせていると、目を覗き込んできた。


「オレは、お前が好きだ」


 普段とは違う低く掠れた声に、僕は息を呑む。

 名前を呼ぼうとしても、声の出し方を忘れたかのように、口を戦慄かせることしかできない。

 

 フレディはそんな僕に、いつものように明るく笑いかけた。


「返事は要らない。ただ知っておいてもらいたかった。フェアじゃないからな」


 そして、ベンチから立ち上がり、一つ伸びをした。


「先に部屋に帰る」


 フレディは、僕をその場に置いて、部屋に戻ろうとしていた。

 僕はその背中を見つめ、まだ驚きから立ち直れず、一言も発することができなかった。

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