2025.04.21(月)/普通の人になりたい

 思春期の悩める学生みたいなタイトルを付けてしまった。そんな自覚はある。


 それに実際、今日のテーマは思春期の頃の自分である。


 普通。ネットで検索すると、このたった二文字の漢字に悩まされた人はけっこう多い気がしている。現在進行形で悩んでいる人も多いだろう。


 いや、「普通」という言葉に悩む人がネットで検索するから、結果的に多く見えるだけかも知れない。


 私が「普通って何?」という疑問を持ち始めたのは小学校三年生か、四年生か、それくらいの時期だったと思う。


 きっかけは何だったのか、と聞かれると、残念ながら思い出せない。ぼんやりとは覚えているが、詳細な状況を思い出せない。


 当時、私は地域のスポーツ少年団で軟式野球をやっていた。チームメイトに「普通にやればいい」という風なことを言われたのかも知れない。あるいは、ボランティアで来ていたチームメイトの父親の誰かに、何かしら言われたのかも知れない。


 余談だが、私はこの時ボランティアに来てデカいツラをして、バッティング練習の時にボールを遠慮なくぶつけていた連中が大嫌いだった。今も嫌いだ。心の中で「このクソ野郎、死んでしまえ」と思ったことは一度や二度ではない。プライドの高い子供だったなと思う。


 話を戻そう。普通って何だろう。


 まだ幼く、知恵も知識も足らず、思考方法もつたなかった私は、この疑問と、それに付随して生まれる不快な感覚を言語化できなかった。


「普通にやればいい」


 この言葉に出会った時「なんかムカつく」以外の感情が出てこなかった気がする。しばらくしてから、「もしかして自分は、普通に見えていないということなのか?」という疑問が生まれた。


 親を始めとして、大人に聞いたことがあった気がする。


「普通ってどういうこと?」


 納得する回答を覚えていないということは、誰も明確に答えてくれなかったか、私自身が「大人に聞いた」と思い込んでいるだけで実際は誰にも聞いていなかったかのどちらかだろう。


 更に余談だが、近年の脳に関する研究で、脳は記憶を自分の都合の良いように改変してしまう習性があるらしい。私も、「自分は確かに、大人に『普通って何?』と聞いた」とありもしない記憶を持っている可能性は高い。


 再び、話を戻そう。


 時は飛んで、高校生になった時のことだ。当時、私は吹奏楽部に所属していて、バスクラリネットを担当していた。


 吹奏楽部では「パート」と呼ばれる楽器ごとのグループ分けがある。フルートパート、クラリネットパート、打楽器パート……などといった具合だ。


 私がいた木管もっかん低音ていおんパートは、バスクラリネット、バリトンサックス、ファゴットという、木管楽器の中でも低音を担当する楽器がまとまったグループだった。バンドで強引に例えると、全員がベーシストみたいなものだ。


 当時、この木管低音パートは七人くらいいた気がするが、私以外は全員女子。そして、吹奏楽部の女性というのは、総じて芯が強く、男子への当たりがキツい。加えて、当時の私はなかなか楽器が上達せず、発言権は無いに等しかった。


 運動部で下手な選手に発言権や人権が無いのと同じように、吹奏楽部でも楽器が下手な者には発言権が無いのだ。


 練習は真面目にこなしていた。だが、いつまで経っても基礎的な奏法が安定しない。


 吹奏楽部だった人向けに話すなら、リードミスが多発する、ピッチが安定しない、1オクターブの跳躍すらままならない、チューニングでどれだけピッチが合っていても音色が浮いてしまう、などど言えば、その下手さ加減が伝わるかも知れない。


 当然、下手くそへの当たりは強い。私も自分が足を引っ張っている手前、強くは出られない。どうすればみんなのようになるか、何度も聞いた。返ってきた言葉は「普通に吹いていればいい」だった。


 ここでも「普通」という言葉で済まされてしまった。その「普通」ができれば、まったく苦労はしないというのに。


 さて、上に挙げたふたつのエピソードでは、少年野球チームや吹奏楽部といった、小さな集団の中での話だった。では、それ以外では何もなかったかというと、そんなことはなかった。


 普通にしていろ。普通に考えろ。普通にやれ。


 具体的なエピソードが思いつかないほど、ありとあらゆる場面でそう言われてきた人生だった。そして御多聞ごたぶんに漏れず、思春期に入った頃には「俺は普通ではないのだ」と強烈に思い込むようになった。


 凄まじいまでの自意識過剰と、思い違った自己評価のせいで、ここには書けないような黒歴史を嫌と言うほど量産した。エッセイを書くからには黒歴史ほど面白いのは百も承知だが、当時のことを書くのは勘弁させてほしい。


 「普通になりたい」と思って発した言動で、周囲からはますます奇異に見え、なりたかった普通から遠ざかっていく。


 開き直って「じゃあ、お前が言う普通ってやつを説明しろよ」なんて言って、同級生や大人を徹底的に論破できる知恵と胆力があれば、まだよかったかも知れない。


 しかし、私は口喧嘩がめっぽう弱い。誰かと口論して言いくるめた記憶は全く無いのだ。


 加えて非常に憶病だ。大人に表立って反抗すると、恐怖で体も声も震えて、言葉はどもる。大声で怒鳴られた日には、もう頭が真っ白になってしまい、泣き出してしまう。


 十代の頃の記憶を掘り返してみると、そんな情けない記憶ばかりだ。


 そんなわけで、「普通になりたい」という漠然とした願望を抱えて、私は大人になってしまった。結局、「普通」の正体は分からずじまいだ。


 と、ここまで書くと悲劇の主人公っぽくなってしまうが、一応、私なりに解決はしている。


 それは「出身地の連中はどいつもこいつも無責任に、言いたい放題言っていただけ」と考えるようになった。それだけである。


 そう、面白くもなんともない結論だ。実に退屈で面白くもない結論だが、私自身がそう判断したのだから、これが全てだ。


 もちろん、小難しいことをアレやコレやと並べ立てて、理屈で考えようとしていた時期もとても長い。というか、どうにかして自分の頭で、当時他者から言われた色々なことを言語化しようと試みた。


 が、面倒臭くなったし、疲れた。それに、その理屈を考える過程で、当時の自分の情けない感情までも思い出す必要がある。単純に泣きたくなるし、辛い。


 これが映画や小説であれば、見ている人に何かしらのカタルシスをもたらしてくれるものだ。が、残念ながら、私の人生は極めて退屈なのである。


 そうそう、最後に。


 唯一、私なりに克服できたエピソードを書いて終わりにしよう。


 高校時代、楽器が上達できないまま卒業した私は、「このまま良いようにボロクソ言われたまんまで辞められるかよクソったれが!」と思い、進学した大学でも吹奏楽部に入った。


 そこで、自分に合うようにマウスピースやリガチャー(リードを固定する金属の器具)、そしてリードを整えると、大学入部一ヶ月で劇的に上達した。


 もちろん、高校時代の練習の上でそれができたのだとは思う。しかし高校時代の私は、言ってみれば「短距離走の陸上選手が、自分に全く合わないスパイクを履いて、新記録を出そうとしていた」という状態だったのだ。


 高校時代の吹奏楽部では、マウスピースやリガチャー等の道具を、別のものに変えさせてもらえなかった。上達しない原因は、私だけでなく、楽器のセッティングの問題も非常に大きかったのだ。


 自分に適した道具さえ揃っていれば、セッティングして、練習して、時間を掛ければ、上達するという、至極当たり前で退屈な現実を学んだ。


 くだらない体育会系体質の吹奏楽部と、まともな知識を持ち合わせていない指導者、高校時代の部活関係の人間が本当に、心の底から、一部の隙も無く大嫌いになったのは言うまでもない。


 しかし、当時関わった人間は大嫌いになっても、吹奏楽曲やクラシック音楽は嫌いにならなかった。私自身が、そのあたりは分けて考えることのできる頭を持っていてよかったと、自分なりに誇りにしている部分でもある。

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