第四話 ありがとうの精神
三条通り沿いにある松野家で牛丼を持ち帰ろうと立ち寄ると、僕と年齢の近い男の子が一人座っていた。
彼のテーブルに置かれてあるものは・・・・・・ちらと見るにあれは高菜明太マヨ牛丼とみた。確かに一定の人気があるとは聞いているが、今は冒険する時ではない気がする・・・・・・。
などと考えていたら僕の視線に気付いたのか、男の子はこっちを向いて睨みつけてきた。
「何みとんじゃわれ」
小学生がメンチ切っても全く持って怖くない。だって小学生だもの。かわいいものだ。ほっぺにご飯粒がついてるよと言ってあげたい。
でもよくよく考えたら僕も小学生だった。すっかり忘れていた。そのまま何も言わずに立ち去ることもできたのだが、持ち帰りを選択した傍らここで数分は待たねばならない。この数分の気まずさに僕は耐えられる自信がない。
「ほっぺにご飯粒がついてるよ」
結局心の声をそのまま出してしまった。
「ん?あ、ほんまやありがとう」
素直で良い子だった。僕が小学生だったからだ。テレビの広告にこの子を使えばお客さんも増えるのではないかと、閑散とした店内を見て思った。
「ここは涼しくて快適ですね」
ヌルッと僕の死角から突然鹿が現れる。びっくりした拍子に滑って転び、尻餅をついた。鹿がツノで追い打ちをかけるように突いてくる。
「ダメじゃない、こんなところに入ってきたら。ただでさえ飲食店は衛生面が気にされてるのに」
「そう言われると思って、私は店内に入っておりません」
見ると確かにギリギリ店内には入っていなかった。屁理屈とツノだけ立派な鹿は喋ると余計タチが悪い。僕は鹿に店の外で待つように言いつけ、硬いソファに座った。長時間座っていたらお尻が痛くなってしまうやつだ。ワンオペで働く店員さんはとても忙しそうに僕が頼んだものを用意していた。
「大変そうですね」
窓越しで鹿はそう言った。大変なのが店員に向けた言葉なのかと思ったけれど相手にすることもなく無視を貫いた。虚無の時間も時には必要なのだ。
相手はその千里眼とやらで僕の事情を察したらしく、それからはもう何も言わなかった。
手渡された袋を片手に店を出ると、鹿はもういなかった。飽きてどこかへ行ってしまったらしい。わざわざこんなところまで徘徊する彼らの領分範囲はどれだけ広いものなのだろう。しかし当然僕ら人間が気に留めるようなことでもないので、さっさと帰路につくことを優先させた。
「キングに勝るものはなし」
兄は礼の一つも言わず、僕の買ってきたキング牛丼を貪った。しかし僕は何も気にしていない。牛丼を支払って余ったお金は手間賃として全て僕の懐に入るわけだから、そこで互いの取引は成立しているからだ。
「その道は険しい。レポートの作成と試験勉強、そして束の間のオンラインゲーム。おかげで俺の目の下にはクマができた。腐れ大学生の勇姿はかくも見窄らしき」
「ちょっとは外に出て運動した方がいいよ」
「別に外に出なくとも運動はできる」
「そんなこと言って運動してないくせに。太陽の光も浴びたほうがいいと思う」
「俺の体は植物や太陽光パネルのようにはなっていない」
兄は食べ終わった牛丼の器に向けて手を合わせた。ご馳走様でしたと呟くと再び部屋へと戻っていった。その謝意をもう少し僕にも向けて欲しいところだ。
その日の夜、あの鹿が夢の中に出てきた。
ずっと僕を見つめる鹿に何か言いたいことでもあるのかと尋ねたが、相手は夢の出来事であることを良いことにずっと澄ました顔をこちらに向けるだけだった。
別に後ろめたい気持ちなどは無かったけど、その次の日から店員に「ありがとうございます」と言うようにした。夢の中にまで領分を広げてくる鹿へのせめてもの抵抗のつもりだった。
鹿が歯茎を剥き出しに笑う姿が浮かび上がった。割と怖かった。
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