堕天使がもたらした非運と幸運

秋柚 吉柄

01.人生で初めて見た魔物

疾走する馬車の中で、リプリラは転げ落ちないように必死にしがみついていた。

行商人の父親と二人で街道を移動していた時、後ろから大きな魔物が襲い掛かってきたのだ。


先ほど寄った取引先が、品出しの準備を全くしていなかった。

そのため次回に来たときにと父親は説明した。

だが直ぐに準備をするからと引き留められ、断り切れずに遅くなってしまったのがこの出来事の始まりであった。


次の取引までの時間が迫っていた。

そこで近道をするために、普段は通らない魔物の生息エリアの境界付近を通ったのだ。


この街道はあまり人が通ることはないが、魔物も生息する端なので近付く個体も少ないらしい。

そのためか襲われたという話しは聞いたことがなかったのだ。


だが、この日は偶々だったのか二匹の魔物が現われた。

全ての出来事や判断に置いて、運が悪かったとしか言いようがなかったのだ。


「おっ、お父さん――」


「喋るな、舌を噛むぞ! ――直ぐに引き離すから、しっかりと捕まっているんだよ」


チラリを振り返った父親の顔は、リプリラがもっと小さかった頃、泣いていたときに頭を撫でながら見せてくれる優しげな表情だった。


『キュエェェェ』


『ドゴッ』


飛行してきた一匹の魔物に馬車が蹴り飛ばされた。


『ドガシャアン――ガラガラガラッ――ドン』


一緒に飛ばされた父親が、馬車の下敷きとなった。


「リプリラぁぁ! とっ、父さんが魔物を引き付けるから、にっ、逃げてくれぇぇ!」


一目で助からないと分かる傷を負いながらも、魔物に向かって大声を出して挑発する。


「こっちだぁ! こっち、こい! 俺が怖いのかぁぁ! くそ魔物がぁぁ! ああぁ!? おおぉ!? おぅらぁ! ああんん?」


自分が目立つように、逆にリプリラは目立たないようにか、最後の方は意味不明な叫び声となっていた。


蹴られた瞬間に、馬車から投げ出されたリプリラに大きな怪我はなかった。

だが上空から、もう一匹の魔物が迫ってくる。

その瞬間、美栞みかんの意識が覚醒した。


「……何ここ? ――地獄?」


横転している馬車と、重傷の男に襲い掛かっている見たこともない大きな獣。

目の前の理解できない事態に美栞は戸惑って呟いた。


だが同じ種類の、もう一匹の変な生き物の後ろ脚が迫ってきているのに気が付いた。


(えっ? やだ、こっちこないでよ!)


心の中で叫ぶのと同時に、直近の記憶が湧き上がったのだった。



何時の頃からか、美栞には不幸なことばかりが続くようになった。


だが聞こえてきた両親の話しによると、危なかったらしい父親の務めていた会社は危機を脱したらしい。

思い返せば何時も緊張していた両親の表情が和らいでいて、美栞も嬉しくなったものである。


心に何かが取り憑いたかのように悩みを抱え、学校に来られなくなっていた友人も来られるようになった。

短時間だが毎日話しに言って良かったと心から喜んだものだった。


そのような良いこともあるので挫けずに生きてきた美栞だったが、健康だったのにも拘わらず一四歳になると遂に最大の不幸が襲ってきて倒れたのだ。


緊急入院となったが、様々な検査をしても原因は分からずに不明であった。


先天的な原因も考えられるらしいが、長いあいだ闘病生活でもしていたかのように急激に痩せ衰えていき、体力が低下していったのだ。


両親を気に病ませたくなくて無理にでも笑顔で振る舞い、不安になる心は気を紛らせるためにWeb小説を読み耽るようになった。


意識が朦朧としてくると、母親が健康な身体で産んであげられなかったことを謝り、次に生まれてくるときには丈夫な身体で長く幸せに生き欲しいと祈るように願っていた。

その隣にいる父親は、初めて見る泣きそうな顔であったのだ。


美栞はぼんやりとした意識の中でも不思議とそのことが理解できて嬉しくなり、医者から覚悟するように話しがあったのだと理解できた。


二人の娘であったことを嬉しく思い、だが先立つことが申し訳なくなり、次は何があっても幸せで長生きするからと、二人とも何時までも元気で長生きしてと、声にならずとも口を僅かに動かしては願いながら亡くなったのだった。



『ギャリィン』


首から提げている二つの銀リングが付いたネックレスが大きく揺れて、変な生き物の鉤爪が弾かれた。


飛行が乱れた。

バランスを崩し、踏鞴たたらを踏むように低空を彷徨いている。


美栞は咄嗟に、強い気持ちを乗せて体当たりした。


(あっち行って!)


すると変な生き物は木を薙ぎ倒しながら吹き飛んでいき、動かなくなったのだ。


もう一匹の変な生き物はそれを見ていた。

だが直ぐに父親を丸呑みすると、奥地へと飛び去ってしまった。


美栞は急に震え始めた身体で、それを見送るように呆然と眺めていた。

前世の記憶、それに母親の願いや父親の表情に自分の決意を思い出していた。


この身体にあった心は、美栞の目覚めと入れ違うように輪廻の輪に還っていったようだった。

だが身体に刻まれた記憶は残っている。


美栞には、前世とリプリラの今世の記憶があり、変な生き物は魔物であったのだ。


これがいるということは、Web小説で良く読んでいた異世界に転移したように思える。

いや美栞の身体はないので、転生なのかもしれない。


だが同じ様なファンタジー世界に入り込むなど、想像できるはずもなくあり得ないことであった。


事前準備と言う訳ではないが、似たような物語を読んでいた御蔭おかげか混乱はしていない。

その影響なのか、二つの家族から優しく愛されていたことを強く意識しては嬉しくも思っていた。


何時の間にか震えは止っていた。


現実を思い出すと、目に付いた散乱した今世の父親の遺品や大切な“収納の箱”の回収を始める。


収納の箱とは、正二〇面体の表面にスライムの核を粉にして一面に塗してからコーティングしたものである。


一〇〇倍の容量を一〇分の一の重さで収納ができ、特別な空間らしくて腐敗を大幅に遅れさせることが出来る優れ物であるのだ。


壊れにくい軽い木材を使うのが一般的で、大きさや重さの関係から個人で持ち歩く者は外径が五センチメートルから一〇センチメートルの大きさの物が多く、商人は七〇センチメートル前後の物を利用する者が多い。


入れたい物を『トントントトン』と叩くことで大きな物でも個別に出し入れができ、手で『トントントトン』と叩けば全ての物が出される。

入れて出すことを一回とし、五〇〇回も使用が可能であるのだ。


神の恩寵により作れるようになった魔具とされており、他にも何か作れないかと研究している者や祈る者もいるらしいが、成果は上がっていないと噂されている。


リプリラは一〇センチメートルを一つ持っている。父親は一〇センチメートルと四〇センチメートルの二つを持っていた。

だが大きい方は壊れてしまったため、小さい方に無事だった物を収納した。


「いたたた……」


今になって馬車から投げ出された痛みが襲ってきた。


美栞が自分の身体を確認すると少しの打ち身と擦り傷があった。

ポーションはあるがこの程度なら勿体ないかと、水を掛けて汚れを落とすだけにした。


綺麗になると、これからのことを考え始める。


Web小説ではその世界観での人の営みや生き方に引き込まれ、登場人物それぞれに人生があるのだと苦しくても頑張る勇気を貰っていた。


この身体は前世と同じく一四歳である。

これからは、一人で生きていかなければならないのだ。


前世の父親は商社マンで今世の父親は行商人。

この身体に刻まれている記憶で、襲って来た魔物は外見から“コカトリス”であったと理解できる。

全部ではないだろうが他の魔物や植物の知識もあった。


今回の出来事の発端となった商品は、収納の箱が壊れたために取り出せなくなっている。

そのため行商を続ける運転資金や、生活のための費用も不足していた。


行商人を受け継ぐとなると、資金不足と小娘が一人かと見くびられる恐れがあった。


そこで、Web小説にあった【転移したと分かったので、自由気ままな冒険者になりました】の冒険者のように、を生かして希少な植物を採取しては持ち帰る、採取人になるのはどうかと閃いた。


採取人は商人ギルドの植物部門に色んな店から依頼があった品を指名で受けてから卸すことで金を得る。

だが指名者は、経験を積んだ植物部門での信頼を勝ち取っている者でほぼ決まっている。


そのため一般的には、様々な植物類を採取してきては商店や薬店に料理店など、色んな店に売り込みに行くのだ。

その店で必要な物であれば、信頼されているギルドカードの呈示によって間違った物ではないと買取ってくれる。

しっかりと顔を繋ぎ、個人として信頼を得ることが大事なのである。


幸い今世の父親が行商人だったので、商人ギルドの流通部門に登録して出入りしていた。

その隣り合わせに、植物部門があって面識もあったのだ。


部門の追加登録は可能であった。


だが採取人としての覚悟を決めるために、登録の変更手続きをしようかと思う。

この世界の人達に喜ばれることをしながら、美栞はリプリラとなって幸せに長生きしようと決意するのだ。


計画は、馬車は壊されたので乗合馬車で各方面へと向かう。

感覚的には問題ないと理解しているので、徒歩で奥地に分け入って採取をする。


希少植物なら色んな店に行かなくても、露店での販売でも売れそうなのである。

野菜や果物を売っている露店もあるので、リプリラは同じ感覚で生活できるのではないかと思えていたのであった。



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