第2話『勇者の帰還会見を生中継せよ』
「カウント、10秒前──」
その声が響いたとき、アレスタリア王都は薄明るい朝の光の中で脈打っていた。
荘厳な王城の白壁は淡い金色に染まり、王宮前の石段には、世界各地から集った報道陣と市民が隙間なくひしめいている。
魔法で浮かぶバナーが空を横切り、衛兵たちは凛然と隊列を組み、異世界らしい浮遊石のカメラ機材や、翻訳魔石を使う記者の声がざわめきとなって渦巻いていた。
ディメンジョン・ゲート開通から数ヶ月。
CWC(クロスワールド・チャンネル)は、この異世界の「象徴」——伝説の勇者、セイル・ランバルドの凱旋を生中継すべく、極限まで高まった現場の緊張を抱えながら、取材陣を王都広場に送り込んでいた。
天城創は、カメラのファインダー越しに群衆と城門の壮麗な光景を見つめていた。
この瞬間、世界は過去と未来を繋ぐ境界に立たされている——そんな予感が、彼の胸の奥をざわつかせていた。
「CWC、中継スタート!」
ディレクター・白崎凛の指示がインカムに響く。いつもは無機質なその声が、今日は微かに震えているのを、創は聞き逃さなかった。
隣でマイクを持つルナ・エルフェリアも、緊張を隠せずにいた。
その指先はほんの僅かに震え、胸元の魔石のアクセサリーが微かに音を立てている。
だが、彼女は息を整えると、張りのある声で宣言した。
「こちらCWC現地特派員、ルナ・エルフェリアです。本日は、アレスタリア王国の英雄、セイル・ランバルド氏が五年ぶりに凱旋する歴史的な瞬間をお伝えします!」
その声とともに、魔法の祝砲が青空を引き裂き、煌びやかな飛竜たちが弧を描いて舞い上がる。
幾万もの歓声が、押し寄せる波のように広場を揺らし、国民の熱狂が石畳を震わせた。
そのとき、重々しい足音が響き——
群衆の視線が一点に集まる。
白銀の鎧をまとい、黄金色のマントをたなびかせる人物。
セイル・ランバルド。
その名を知らぬ者など、王都にはいなかった。
かつて魔王を討ち、世界に平和をもたらしたと讃えられた英雄——
だが、創の目はその堂々たる姿の「裏」に、ごく僅かな異質さを見ていた。
英雄の瞳は遠く、何かを拒むかのように、観衆の祝福から一歩だけ距離を置いていた。
その顔には微笑があったが、唇の端はわずかに震え、両の手は見えない鎖で縛られたように、静かに拳を握りしめている。
「……彼、何かおかしい」
ルナが囁くように言う。
創は一瞬だけ彼女に目を向け、小さく頷いた。
——英雄は、光に包まれているはずなのに、その影は濃かった。
王族の演説が終わり、王女が白金のマイクを手渡す。
やがて場内の喧騒が、次第に静けさへと変わる。
数万人の視線と期待が、一人の人間に圧し掛かる。
空気が重く、石畳の上に立つセイルの足元が、わずかに沈み込んだ気すらした。
やがて、勇者が口を開いた。
その声は、王都中に設置された音声魔石を通じて全土に響き渡る。
「……ありがとう。私を、迎えてくれて。本当に……ありがとう」
その声には、深い感謝と共に、かすかな揺れが混じっていた。
一瞬だけ、喉の奥で言葉が詰まる。
人々は「英雄の涙か」とさえ息を飲み、セイルを称えんとする空気が満ちる——
しかし、その次の言葉で、空気は凍りついた。
「五年前……私は“世界を救った”と讃えられました。でも、今日はその“世界”に、ひとつの問いを返さなければならない」
群衆の間に、不安げなざわめきが走る。
それは、王族や記者たちの間にも静かに波紋を広げていく。
「魔王たちは、本当に“絶対悪”だったのでしょうか?私は疑問も持たずに命令に従い、彼らの命を刈り取ってきました。多くの……あまりにも多くの命を」
その言葉の重さが、広場全体を圧し潰す。
誰もが、セイルの「英雄」の顔しか知らなかった。
しかし今、彼の口から紡がれるのは、血に塗れた現実——
その自責と後悔の影。
「民の歓声に背を押され、私は英雄になりました。ですが……英雄とは、なんでしょう?血にまみれた勝利に名を刻んだ者が、誇りを持って名乗るべきものなのか?」
群衆の顔が、戸惑い、動揺し、動きを失っていく。
誰かがすすり泣く声、誰かが拳を握る音——
創は、スタッフに目配せし、カメラのフォーカスを彼の瞳の奥、震える指先、汗に滲む首筋に切り替えさせる。
「もし、私が“英雄”と呼ばれるのなら——それは誰よりも多くの命を奪った者として、です」
最後の言葉が、石畳に落ちる雫のように重く響く。
群衆は息を呑み、誰かが涙を流し、王族たちは顔を強張らせた。
セイルはそれ以上、何も語らず——
静かにマントを翻し、階段を降りていく。
衛兵さえ、勇者の背中を追うことができなかった。
式典の空気は崩壊し、王宮の重臣たちは凍り付いたように立ち尽くした。
その混乱のさなか、誰もが“祝祭”の中で英雄伝説の崩壊を目撃していた。
控室に戻り、静まり返った空間で最初に声を発したのは、天城創だった。
「報道するってのは……信じていた“物語”を壊すことかもしれないな」
その声は掠れていたが、真実を報じる者だけが持つ静かな覚悟があった。
ルナはじっとセイルの去った扉を見つめ、ゆっくり頷く。
「でも、壊れたあとにしか見えない真実も、ある……。彼の言葉は、きっと、誰かを目覚めさせる」
カメラには映らなかったが、創は彼女の横顔を見つめ、強く拳を握りしめた。
その手は震えていた。
——いま、この世界に必要なのは、「祝祭」よりも、「真実」だ。
王都の空に、遠く英雄の告白が静かに消えていく。
CWCはただの祝福を伝える放送局ではない。
真実の物語が、ここから始まる——
そう、彼らは確かに“歴史”の瞬間を記録したのだった。
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