或る音MAD制作者の日常

音が連打されている、更に音割れ音を最後に追加する。それらの音の断片は原曲と交わり、視聴者の心に変化と驚きを惹起させる。しかしそれらは天才音MAD制作者のモンキーDウンチの足元にも及ばなかった。私はフリー作曲ソフトの音を置く場所から目を外し立ち上がって考えた。

「なにが足りないんだろう」

音MADそれはインターネットの生み出した表には評価されない動画作品群である。評価されない主な要因は権利者の定かでは無い素材をふんだんに勝手に使うからだ。少なくともTVには流れない半地下な作品群である。しかしだからこその面白さというものが有り、それに囚われた人々が音MADを作っている。著作権違反、モノマネ、切り取り、下ネタ、ホモネタ、宗教、不謹慎、音割れ、動画投稿サイトの運営規約に触れる以外何でもありである。

「爆発力が欲しい」

そう思って最後に音割れ素材を連打したのだが、うるさいだけだった。ある伏線が必要だと思った、最初は静かに始まり、一度盛り上がる山が有って、また静まるこれでまた盛り上がりが来ると読者に想定させる。そしてそのとおりにメロディラインに沿って音程の合った素材を投入してゆく。

「優等生的だ、それでは驚きがない」

驚きは想定と違っていることで始まる。普通の作曲ならば想定の中で最も良い音を目指すのだろう、ベースつまり背景に持っている素材を最後に主役に持って行くのはどうだろうか、だが分かりやすくは無い。

 私が作成しているジャンルは狭い一分野である。ある本家の動画がありそこから特定の一分野を切り取り素材を引っ張って音を作っていく。しかしふと思う、

「何故こんな動画を作る必要があるんだろう」

途中で放棄された幾千の音MADを思う、もちろん途中で投稿したのも。今日も良い企みが思いつかないし、あまり納得できない。

 こういうときは好きな音MADを見るに限る。ソフトを保存して閉じ、動画サイトを開き検索する、お気に入りに登録している筈だがお気に入りが多すぎて逆に検索のほうが良い。


モンキーDウンチのこの音MADには一転攻勢というどんでん返しのような構成がありカタルシスを感じる。

「流石だなあ、構成音作り」

しかし素材の一貫性が適当なところがある、これはワザとなのか適当に入れたのか。素材が足りなくなる時に関係の薄い素材を持っていく時がある。その感覚で持ってきたのだろうか。気まぐれな作成者でもあるので気にする必要は無いかもしれない。そうだ、関係の薄い素材を大量に入れ、あとから本家の素材を濃くして行ってみよう、あとは最後に音割れさせよう。

私はふと素材の登場人物の空耳を唱える。

「歪みねえな」

編集作業は続く。

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短編集 三家明 @miyaakira

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