第25話(オリヴィエ視点)いい加減な男

「オリヴィエ」


 訓練を終えて訓練場を出ようとしたところで、騎士団長のイヴァンに呼び止められた。

 騎士団長という身分についた今も、彼は団員たちに混ざって訓練を行っている。そのため今日も汗だくだ。


「なんでしょう」

「セシリアは分かるよな? あの文官の」

「はい。殿下のご友人ですよね」


 裕福な商家出身という彼女は、金持ちではあるが平民だ。にもかかわらず、イレーヌにとってはよい友人らしく、頻繁に部屋へ招いている。


 身分に囚われず相手を見るとは、やはり殿下は素晴らしいお人柄だ。


「最近あいつが、やたらとフェデリコ王子のことを調べているらしくてな。殿下からなにか聞いてないか?」

「……フェデリコ王子? 隣国の?」

「ああ。俺も聞かれたんだ。面識はあるからな」


 隣国であるパンテーラ王国では、第二王子以下は軍人になることが多い。フェデリコ王子も例外ではなく、遠目にだが、オリヴィエも何度か見かけたことはある。


「どうやら王子が、今度王妃様の誕生日パーティーにくるらしい」

「……なるほど」


 パーティーなんて、金も時間もかかる面倒な行事だ。とはいえ、パーティーでのコミュニケーションが重要なことくらいはオリヴィエも理解している。


 殿下のことだ。隣国との関係を深めるために、事前にフェデリコ王子の情報を探ろうとしているんだろう。


 用意のいい方だ……とオリヴィエがイレーヌの素晴らしさを噛み締めていると、予想外の言葉がイヴァンの口から飛び出た。


「王子の食の好みから女の好みまで、あれこれと聞かれたぞ」

「……はい?」

「考えてみれば、フェデリコ王子は絶世の美男として有名だからな。年齢もイレーヌ殿下とは3歳差とちょうどいい。興味を持ったとしてもおかしくないよな」


 殿下が、フェデリコ王子に興味を?

 外交の都合上ではなく?


「なにも聞いていないのか。まあ、色恋沙汰の相談をするのに、お前ほど向いていない男はいないからな」


 がはは、と大口を開けてイヴァンは笑った。

 豪快な笑い方は彼の好ましい特徴ではあるのだが、今は腹立たしく感じてしまう。


「ともかく、よかったな、オリヴィエ」

「……なにがですか」

「これで、殿下が護衛騎士であるお前に恋をしているなどという、くだらない噂が消える。お前も仕事がしやすくなるだろう」


 イヴァンの言うことは間違っていない。

 しかし、素直に頷くことができない自分にオリヴィエは気づいていた。


 殿下が、あんな男に興味を? フェデリコ王子といえば、浮いた噂も多い軽薄な男だぞ。

 剣の腕は一流で身分も高い。だが、殿下に相応しい男ではないだろう。


「……失礼します。殿下のところへ行かなければなりませんので」


 丁寧に一礼した後、オリヴィエはいつもより早足でイレーヌのもとへ向かった。





「オリヴィエ!」


 訓練終わりに部屋へ行くと、いつもイレーヌはとびきりの笑顔で迎えてくれる。

 勉強をしていたり、本を読んでいたイレーヌの興味が一瞬で自分へ向く。分かりやすい態度に頬が緩みそうになるのは仕方がないことだ。


 殿下は周りに気を遣ってばかりだ。せめて俺といる時くらい、ありのままの姿でいてほしい。


「お腹が空いたでしょう? 食事にしましょう。わたくしも今日はお腹が空いているの。ほら、座って」


 訓練後のオリヴィエは当然汗をかいていて、匂いもきついはずだ。それなのにイレーヌは嫌な顔一つせず、無邪気にオリヴィエの手を引っ張る。

 少しでも力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢な手を感じるたび、守ってやらなければ、と強く思う。


 ちら、と部屋の隅に視線を向けると、先日街で渡した花束がまだ花瓶に入っていた。

 メイドがこっそり教えてくれたことだが、栄養剤を駆使し、なんとか長持ちさせるようにイレーヌから命じられたらしい。


 そんなことをしなくても、いつでも新しい花束を贈るというのに。


 そう思った瞬間、頭の中にフェデリコ王子の顔が浮かんでしまった。

 イヴァンの言っていた通り、本当に殿下はあの王子のことが気になっているのだろうか?


「……殿下。殿下がフェデリコ王子のことを調べているという噂を耳にしたのですが」


 フェデリコ、という名前を出した瞬間、殿下の身体がびくっと震えた。

 落ち着きなく動いている視線は、頷いているのと同じだ。


「殿下はああいう、派手な男が好きなのですか」


 フェデリコ王子は、金髪に翡翠色の瞳を持つ美男だ。鍛えているというわりに身体の線は細く、女性のような美しさも兼ね備えた人物である。

 流行にも敏感な男で、各国の商人から服や装飾品を購入している、という話も聞いたことがある。


 殿下は派手好きな御方だ。華やかな男を好きだとしても不思議はない。

 だが、女遊びも酷いという話を聞くし、いい加減な男だ。殿下にはもっと誠実で、殿下だけを愛してくれる男が相応しい。


「べ、別にそういうわけじゃ……」

「そうですか」


 イレーヌの頬は不自然なほど赤くなっている。フェデリコ王子のことを思い出したのかと思うと、気分が悪い。


 もし殿下に婚約者や恋人ができれば、こうして部屋で食事をすることもなくなるだろうな。

 休日に一緒に出かけたい、なんて言ってくることもないだろう。


 真面目で聡明で優しいイレーヌの、可愛らしい些細なワガママ。

 それを向けられる相手が自分ではなくなるのかと思うと、むかむかして仕方がない。


 殿下はなんで、あんな男に興味を持ったんだ?


「……フェデリコ王子に限らず、男性にはお気をつけくださいね」


 これ以上口を開いたら余計なことを言ってしまいそうだ。心を落ち着かせるために深呼吸をし、オリヴィエは無言のまま食事を始めた。

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