第21話(オリヴィエ視点)理由を聞かれたら

 イレーヌ殿下は、護衛騎士であるオリヴィエに夢中である。

 護衛騎士にオリヴィエを選んだことに正当な理由はなく、恋に浮かれた王女が好きな男を指名した。


 最近、そんな噂をよく耳にするようになった。


「……そんなはずはないんだが」


 イレーヌからもらった剣を磨きながら、そっと溜息を吐く。

 目を閉じると今でも、イレーヌからもらった言葉を思い出す。


『わたくし、オリヴィエ以外の騎士は嫌ですわ!』


 護衛騎士を決める面接の際、イレーヌははっきりとそう言った。理由はよく分からないが、イレーヌに気に入られているのは確かだろう。

 だが聡明なイレーヌが、恋などという理由でオリヴィエを選んだはずがないのだ。


「実力で選ばれたと、俺が証明しなくては」


 そして、いい加減な噂をさっさと消してしまおう。それが、騎士としての務めだ。





「オリヴィエー!」


 客席から声援を送ってくれるイレーヌに、ちら、とオリヴィエは視線を向けた。

 今日の彼女は水色のドレスを着て、長い髪を頭の高い位置で一つに束ねている。飛び跳ねるたびにちょこまかと動く髪の毛が、妙に愛おしい。


 今日は、半年に一度、宮殿で開催される剣術大会の日だ。

 剣術大会、と言っても使う剣は真剣ではなく模造刀であり、参加者は貴族の子弟に限定されている。


 要するに貴族の遊びだ。いつもなら参加しないところだが、今回は違う。期待に満ちた目で、イレーヌに参加を促されたのだ。


『今度の剣術大会、オリヴィエも出るのでしょう? わたくし、オリヴィエの優勝を見るのが楽しみだわ!』


 笑顔でそんなことを言われたら、不参加です、なんて返事はできない。

 なにより、イレーヌの前で他の男が勝つのも癪である。


 こんな大会で優勝したところで、たいした意味はないが……それでも、くだらない噂を口にする貴族たちを黙らせることくらいはできるだろう。

 最初に噂を流したのは、おそらく護衛騎士に選ばれなかったことを根に持っている貴族たちだ。

 そして彼らは今日、この大会に参加している。


 トーナメント形式の戦いを勝ち進み、残るは決勝のみ。この試合に勝てば優勝だ。


 軽すぎる模造刀を構え、相手を睨みつける。それだけで、対戦相手は模造刀を持つ手を震わせた。


 情けないな。こんな相手を倒しても、何の自慢にもならない。


 はじめ! という審判のかけ声の後、先に動いたのはオリヴィエだ。

 相手との距離を詰め、ぶつかるようにして突っ込んでいく。模造刀で切りかかりながら、左足で相手の足元を狙うのも忘れない。


「おぇ……っ!?」


 呆気なくバランスを崩した対戦相手の模造刀が地面に落ちる。それと同時に、対戦相手は盛大に転んだ。


 この程度の技術で、護衛騎士を志望していたとは。


 剣術大会だからといって、剣以外で攻撃をしてはいけない、などというルールはない。戦いにおいて、全身を使うのは基本中の基本である。

 にもかかわらずこの男は、少し足で攻撃をしただけで調子を崩してしまった。


「勝者、オリヴィエ!」


 審判の声が響き、観客席から歓声が上がる。一際盛大な歓声を上げたイレーヌが、重そうなドレスを持ち上げて駆け寄ってきた。


「おめでとう、オリヴィエ。わたくし、信じてたわよ」


 白い頬を薔薇色に染め、上目遣いで見つめてくるイレーヌは可愛らしい。

 聡明な彼女も、剣術大会ではしゃぐ様は幼い子供のようだった。


「いえ。これくらい当然です」


 騎士団に所属しておきながら、お遊びの剣術大会に参加したのだ。優勝以外の結果を持ち帰れば、騎士団長からの激しいお仕置きが待っていただろう。

 それくらい、勝って当たり前の試合だった。


「オリヴィエらしいわね」


 ふふ、とイレーヌが笑った。


 イレーヌは表情が豊かだ。どんな表情も似合っているが、一番はやはりこの笑顔である。


「よかったですね、殿下。オリヴィエ殿が優勝なされて」


 厭味ったらしく言いながら、対戦相手がゆっくりと立ち上がった。びくっ、と一瞬怯えたような反応を見せたイレーヌにぎゅっと腕を握られる。


 こういうところが、噂を加速させているんだろう。

 殿下は俺に対しては距離が近いからな。


「今回の剣術大会も、オリヴィエ殿に優勝させるために開催したんでしょう」

「そ、そんなことないわ。毎年、この時期にやっている行事でしょう?」

「例年、騎士団からの参加はないはずですが?」


 皆の前で恥をかかされたのがよほど堪えたらしい。そうだそうだ、という野次が客席から飛んできて、男は得意げな笑みを浮かべた。


 剣術大会は若者向けの行事であり、王妃や高官たちは参加していない。

 そのため気が抜けているのかもしれないが、失礼極まりない態度である。


「殿下はよほど、お気に入りの騎士が優勝するところを見たかったようですね」

「わたくし、そんなつもりでは……」


 イレーヌの声は震えていて、今にも泣きそうな目をしている。

 黙りなさい! と一喝すれば済むはずだが、イレーヌはきゅっと唇を結んで俯いてしまった。


 優しい殿下のことだ。ただでさえ試合に負けてプライドをへし折られたこいつに気を遣っているんだろうな。

 それに、本来なら俺が参加しないのは事実だ。


 だがそれはイレーヌの落ち度ではない。イレーヌに期待されたからといって、あっさり参加を決めてしまったオリヴィエの責任である。


「貴様」


 模造刀の剣先を、真っ直ぐに男の鼻先へ向ける。


「これ以上くだらない話をする元気があるなら、再戦してやろうか。なんなら、今度は真剣でも構わないぞ」


 勝てるわけないだろうが! と怒鳴り返してこないのは、男としての意地だろう。


「その程度の実力で、よく護衛騎士を希望できたものだ」


 お前が選ばれなかったのは実力不足が原因だぞ、と目で教えてやる。舌打ちを残して、男は走り去っていった。


 よかった。これであいつの恨みは、殿下ではなく俺に向いたはずだ。


「殿下。気にすることはありませんよ」


 振り向くと、イレーヌは顔を上げ、じっとオリヴィエを見つめていた。目が合うと、なぜかやたらと瞬きを繰り返す。


「俺は誰にも負けません。ですから……」


 そっと身をかがめ、イレーヌにしか聞こえないよう声をひそめる。


「なにか言われたら、こう答えてください。俺を護衛騎士に選んだのは、俺が最も強いからだと」

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