第三章 熱経 其の壱

 九月三十日 日曜日 久遠 駆流


 今晩は宿直日。

 希樹さんによる厳正な応対ロープレを経て、数日前から夜間の電話当番を任されている。

 冬の繁忙期に備え、オアシスの未来は僕にかかっているとまで言われている。


 深夜の零時過ぎに非通知着信が鳴る。


 「夜遅くにすみません。実は相談がありまして…」

 肩身の狭そうな若い男性の声がする。


 「私は権利の無い民の代表をしている真崎と申します。」

 「え?ケーキのないたみおさんですか?」

 眠いからではない。単純に何を言っているのか分からないのだ。


 「…。実は仲間の一人が亡くなりまして、何処に相談していいのかが分からなくて。ネットでオアシスさんを調べて電話しているのですが…」

 安置依頼だ。それなら何度か実践済みで、問題ない。


 「この度は誠に御愁傷様でございます。安置室には空きがございますのでご安心下さい。故人様が亡くなられたのは病院でございますか?」

 希樹さん作成のトークスクリプトは正義だ。指で辿って読み間違いだけに気を付ける。


 「いえ。民の町にある彼女の家です。畑で倒れて家に連れて来ました。また、料金は支払えないので、野菜などの食料品で相談いただけないでしょうか?」

 民の町ってゲームの世界?金銭の代わりに野菜?


 冷やかしか?

 こんなやり取り、マニュアルに載ってないぞ。


 しかも携帯のバッテーリー残量がないと折り返しまで拒否される。通話を保留にし、急いでタブレットにある支配人緊急呼出ボタンを押す。


 「駆流さん、どうされましたか?」

 濃紺のネグリジェを着たセクシーな希樹さんが現れて、経緯を簡潔に話す。希樹さんには相手の正体が直ぐに分かったようで、珍しく顔を曇らせる。代わった電話口で、普段よりも少し声を高くして「大丈夫ですよ」を慎重に繰り返した。


 そして電話を切ると、速やかに右京さんへ電話して寝台車を手配。約二時間後にオアシスで安置をすることに決まった。


 「駆流さんは、携帯でニュースを見ないのですか?」

 鉄仮面には慣れたけど、サラリと棘のある指摘には、まだ慣れそうにない。


 「権利のない民。通称、非都民、若しくはブラック東京。グリーン東京第十地区(旧檜原村)で生活する若者の集団です。轟さんのように重宝される高齢者とは逆で、生き甲斐、働き甲斐を失った若者達が都政の下で生きたくないと自給自足の生活をしているのです。彼等は生きる土地を与えられたものの、都民からは除外。社会サービスを一切受けられないのです。」


 「払うお金がないのに安置を引き受けるのですか?」

 「分かりませんか?お金のことよりも、彼等は気化も火葬も出来ないのです。」


 白骨化するまで遺体を放置するのか、東京以外で火葬する術はないのか。そんな遺体をオアシスに安置して、その後どうするのか、僕には到底理解できない。


 「私も初めてのケースです。まずは故人様と相談者様に会ってから判断します。ご逝去からだいぶ時間が経過しているようで、ご遺体の状態が心配です。」

 

 経験したことのない緊張感がオアシス全体を包み、深夜二時半に寝台車が到着した。


 出迎えると、助手席から男性、後部座席から二名の女性が降りてくる。全員が着古した洋服を着て、至る所が茶色く汚れている。希樹さんが心配そうに三人を迎え入れ、僕は右京さんと故人を四号室に安置する。故人は痩せ型の男性だが、目周りや頬には簡単な化粧が、土が残る爪には花模様のネイルアートが施されている。


 「まずは故人様の情報を出来る限り教えて下さい。」

 温かい緑茶を差し出した希樹さんは、遺体を見渡しながら代表の真崎さんに聞く。


 「彼女の名前はジュリ。本名や年齢は分かりません。ジュリは約二年前に町に来ました。持病があるとは聞いていましたが、今日の農作業中に突然倒れてしまい、吐血して。どうにかしたくても病院がないので、息を引き取るまで見守ることしか出来ませんでした…」


 室内に微かな香水の匂いと、遺体独特の腐敗臭が香る。

 どうしていいか分からず、長時間困っていたのが明らかだった。


 「ジュリさんは男性ですか、女性ですか?」

 戸惑うことなく希樹さんが聞く。

 

 「ジュリは性同一性障害です。体は男性でも、僕達の中では、ジュリは女性です。」

 どんな状況下でも冷静に、的確に話を聞き出す希樹さんは凄い。吐き出すことで、真崎さんの不安が徐々に解消され、怯えていた両隣の女性の震えも止まった。


 「これからかなりの長期戦になります。ジュリさんのためにも一緒に頑張りましょう。」

 希樹さんは立ち上がると、深夜に電話をかけ始めた。

 そして僕は指示通りに三人をスタッフルームに連れて行き、順にシャワーを浴びてもらう。その後、三人は倒れるようにベッドの上で仮眠を取った。


 「非都民になったのは彼等の意思だし、自業自得と言われても仕方がない。でも可哀想よね。医療を受ける権利も、埋葬の選択肢もないなんて。」

 異様な事態に気付いた詩希が扉の近くでそう言って、一階へ降りていった。


 独立を宣言した同世代の若者が自由と引き換えに権利を剥奪され、壮絶な生活を送っているなんて知らなかった。反旗を翻さず、ただ不満を垂れる受け身の我が人生が恥かしい。


 午前五時。

 「おはようございマス。」とハンナさんが駆けつけて、民の三人を起こす。


 「これまで民の方がお亡くなりになられたことはありマスカ?」

 「約一年前に仲間の一人が病気で亡くなりましたが、彼はメンバーになって間もなかったので、亡くなる前に両親と連絡を取り、迎えに来てくれました。恐らく非都民期間の税金は親が払い、気化か火葬されたのだと思います。だから最近苦しそうだったジュリにも親に連絡してみろって言ったのですが、私に家族はいないからって、頑なに断られてしまって。」


 「マシロさん、それでは…」

 「ええ、土葬するしか方法はありませんね。可哀想ですが、与えた土地で自己責任で埋葬しろということです。処置が終わったら、現地で土葬場所の確保が必要です。」

 

 民の三人は再び不安一色に染まる。


 「安心して下サイ。エンバーミングという処置をすれば、ジュリさんのお体は綺麗になりマス。それに腐敗を防ぐことができマス。私に任せてくだサイ。」

 背は小さいけどハンナさんは頼もしい。いつでも笑顔を振り撒いて、周囲を明るくしてくれる。正に小さな巨人だ。


 午前六時。エンバーミングの処置が始まった。

 遺体の状況にもよるが、二時間前後で処置が終わるらしい。


 外が明るみを帯びて、希樹さんが言った(長期戦)を理解する。

 安置室内で詩希が作った何十個ものおにぎりを皆で食べる。パンが主食だという民の三人が

「久しぶりのお米です。」とかぶりついた。


 午前七時半。右手に大袋を持った弥勒院さんがやってきた。

 来訪に感謝する希樹さんに「この前入れてくれたボトルのお返し!あ、しーちゃん、この前のライブ超絶楽しかったわね!出たわね、不愛想ボーイ、オアシスには慣れた?」と叩かれるように背中を押される。

 ろくに話したことがないのに、何て馴れ馴れしい坊主なんだ。それにギタリスト?ゲイバーの店員?と正体が掴めない。


 甲高い大声に虚ろとしていた三人が目を覚ます。空気の読めない精力お化けだ。

 「ハンナちゃんは処置室ね。」

 お化けはそう言うと、ランウェイを歩くモデル、いや、大迫力で荒野を歩くダチョウのように処置室へと向かって行った。


 午前八時過ぎ。

 荷台の上で眠る故人が4号室へ戻って来た。


 「ジュリちゃん、とっても綺麗。」

 民の女性から声が漏れる。血が通うように顔色が明るくなり、丁寧に化粧されている。土が取られた爪にはピンクのネイルチップが付けられ、両足にはラメの入ったパンプスを履いている。

 そして煌めく黒いドレスが温かくも厳粛に、故人の遺体を包んでいる。


 「ジュリちゃん、良かったね!でも、この洋服や靴は?」


 「坊主界のマリリン・モンローが用意させて頂きましたわ!ここの支配人様から黒いドレスが似合う女性がいると聞きましたので♪」

 

 鳥肌が立つ。

 

 お節介を超えた他人の優しさが、その場に溢れている。

 ここは優しい血の通った人間の集合体だ。

 ここは分断された東京の中にある、故人や遺族にとってのオアシスなんだ。



 「ジュリは、町一番のムードメイカーでした。慣れない農作業を率先して、食料に困る時は、私が草でも虫でも上手に料理するからと勇気をくれた。心は女、でも体は男だからと、喧嘩が起きる度に止めに入ってくれた。町に来た時は女装して気持ち悪いと避けられていたけど、いつの間にか彼女の笑顔に僕達は救われていたんです。」

 

 その後も民の三人から、次々と話される故人との思い出話に耳を傾ける。

 故人は皆に必要とされ、愛された女性だと知った。


 午前九時。「今日は忙しいな。」と右京さんが遺体と民の三人を乗せて、権利の無い民の町に向けて出発。ハンナさんと弥勒院さんはそれぞれの仕事に向かった。


 「押忍!久遠君。ご無沙汰だね!」

 少しして、息を切らした轟さんがやってきた。三日前に会ったばかりだけど、臨時の留守番を引き受けてくれることになったのだ。


 そして僕は、希樹さんの車で民の町へ向かうことになった。

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