第二章 青い瞳の納棺士 其の伍

 同日 午後六時 久遠 駆流



 夕刻、グリーン東京の歌姫が帰宅。

 保科通信によると、彼女はBARの人気歌手となり、最短記録を更新して単独ライブまで行っているらしい。きっと今日も観客を涙の渦に巻き込んだのだろう。


 「今日も気温が穏やかですし、ご安置の依頼はなさそうですね。たまにはゆっくり晩御飯でも食べましょう。」

 「いいわね。私も手伝うよ。」

 「ありがとう。駆流さん、是非召し上がっていって。」

 「え?こいつも一緒なの?」

 

 こいつ呼ばわり。あれだけ美しい声で歌うのに口が悪い。ただお腹は減るし、食費が浮くと誘いに合意する。分かり易くいうと、ロビー正面の階段を登って右側が執務室とスタッフルーム。左側に母子の部屋と、リビング兼キッチンルームがある。人生初の女性だけの居住空間に緊張するが、フローラルな香りも、ファンシーなぬいぐるみもない質素なリビングだ。


 「今日ね、キムタケっていう歌い手にナンパされたの。顔はそれなりだけど喋り方がキモいのよ。それに眼鏡の店員にコースターを渡されて裏に連絡先が書いてあってさ。誘いたければ面と向かって言えっての。直ぐに破り捨てたけど。」


 保科、キムタケ兄さん、ご愁傷様です。


「でもね、吉川さんていう可愛いお婆様にお小遣いもらったんだ、やったぜい!」

 奥のキッチンで一方的に話す娘と、それを静かに聞く母が手を動かしている。

 リビングの壁には何人かの顔写真が並び、一角のメモリーコーナーには額に入った家族写真、大小様々な賞状やトロフィーが飾られている。


 「あまりジロジロ見ないでよ。」

 「あんたも少しは手伝いなさいよ。」


 何十もの羊が走るエプロンをした娘が往復し、木目の大きなダイニングテーブルに湯気を立てる料理を並べる。こんなご馳走が無料で食べられるなんてと唾液が沸く。


 「いただきます。」と手を合わせた後、テレビのない空間で沈黙が続く。一応ゲストの僕は熱々の鶏唐揚げを頬張りながら室内を見渡すしか術がない。


 「ったく。あの五枚の写真は左から私のお父さん、父方の祖父母と、母方の祖父母。それにあのトロフィーは歌唱コンテストで優勝したものよ。優勝以外は即刻押入れ行き。凄いでしょ?」


 見ないでと言ったくせに、素っ気ない表情で割と詳しく解説する。沈黙を破ったつもりだろうが、リアルな十九歳を垣間見る。希樹さんは無言で箸を進め、娘の自慢話と僕の相槌だけで時が過ぎていく。


 「駆流だっけ?少しはあなたの話をしなさいよ。」

 (こいつ)から若干昇格。ムカつくけど、ここはお前のホーム。許してやる。


 「久遠駆流、二十一歳、血液型はA型、家族はいません。」

 「それだけ?何かセールスポイントはないの?」

 君ほどの特技はないよ。強いて言えば節約とランニングの距離くらい。でも言いたくないから、薄ら笑いで困ったちゃんを演じ通す。


 「駆流さんは陸上の長距離選手で、学生時代はとても有名だったの。お母様はマラソンの元日本代表選手なのよ。」


 「凄いじゃない!それだけの血統と実力があるのなら、強豪チームに所属して大会にも出ているのよね?」


 「色々あって、もう競技はしてないんだ…」


 「才能があるのに生かさない。そんなの敗者の言い訳ね。」

 言い出しっぺが助けてくれない。お椀で顔まで隠している。


 その後も手足が細長いモヤシ人間、気遣いのないレディーセカンド男と罵られた。

 でも、最後に痺れを切らした母は娘を叱った。


 「人にはそれぞれ事情があるの。駆流さんには踏み出せない相応の理由がある。知らずして決め付けるのは失礼極まりないわ。そんな軽薄な人間はプロの歌手にはなれませんよ。」

 娘は閉じた口を河豚のように膨らませ、バタフライをして自室に消えた。


 皿洗いを手伝った僕はスタッフルームのベッドに横になる。二連泊決定だ。


 今朝、轟さんが開けたままの窓から穏やかな夜風が入り、天日を蓄えた布団が気持ちいい。

 お腹も満たされて、整ってしまう。


 オアシスには凄い人達が集まっている。

 まるで死期を逆算して、自ら決めた人道を迷うことなく突き進んでいるようだ。


 それなのに僕は、どう生きていいかが分からない。まだ二十一歳だから迷う時期?厳しい東京下にそんな余裕は与えられない。僕はボートの上で漕ぎ出せず、ただ水面を眺めているだけだ。


 「命を守るために、両足を切断する必要があります。」


 主治医にそう告げられた僕は、すすり泣く父の横で泣きじゃくった。

 なぜ腕でなく足なんだと母の運命を憎み、神がいるのなら僕の寿命と引き換えに、足だけは切らないでくれと奇跡の治癒を願い続けた。


 経営者である父の決断は早かった。母が好きなバナナを三人で食べた後に病状を告げ、母の両肩を掴みながら足の切断を説得した。


 その時の母を、今でも忘れない。

 「お医者さんを呼んできて!」と病室を駆け回り、「一体どれだけ走ってきたと思っているの?」「私の足は大丈夫に決まってるの!」と叫び続けた。

 

 再検査を強行し、何度レントゲン写真を見て説明を受けても、太ももを叩き、膝を素早く擦りながら「影が写り込んだだけ」と納得しなかった。


 「足を切らないと、あなたと駆流と生きていけないのなら、手術を受けないとね。」

 数日後、母の決断が嬉しかった。


 「リハビリを頑張れば、義足だけど一緒に走れるよ。母さんはトップアスリートだったんだから、僕がずっとサポートする。」

 パラリンピックの過去動画を見えると、母は「ありがとう」と言ってくれた。


 家族三人が同じ目標を持って、この苦難が更に絆を深めてくれる。

 母が伴走者である僕を見捨てるはずがない。そう信じていた。


 いや、怖かったけど、そう信じたかった。


 携帯から聞こえる父の喚き声。暗闇の中を急ぐタクシーの中。

 下を向く看護師さんに、死因を調査する警察官。

 

 足が生えたままの母の遺体。


 手術を翌日に控え、母はベッドの手すりを使って首を吊った。

 僕は歯を食い縛ったような母の顔に


― 生きようと、迷ってくれたね? ― と問いかけた。


 傍にいたから分かっていた。

 生きているから走っていたのではなく、

 走られているから生きていられた。


 そんな人間が、息苦しさを感じる現代にいても、おかしくなんてない。


 母は、両足切断の告知を受けた日に、もしかしたらそれ以前に、既に亡くなっていたのだ。


 母さん、僕は今、オアシスという遺体安置所で働いています。

 ここで働く人達や、人の死に関わることで、

 僕がどう死んでいきたいのか、いつか分かるような気がしているよ。


 目を瞑っても、少しばかりの涙が頬を伝う。

 それに食べ過ぎのゲップが追随した。


 今日は秋分の日。

 訪れる秋の優しさに甘えて、僕は枕を抱き締めた。

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