第7話 幸せになれない
私とエナが再び出会ったのは、半月後の茂みのなかだった。
正確には、休憩中の私をエナが茂みのなかに引っ張ったのだ。そうやって、茂みの中に私と共に隠れたのである。まるで、かくれんぼだった。
周囲の人間に姿を見せたくはないのだろうが、エナは随分と乱暴だ。
王族らしくない行動に、私は呆気に取られていた。驚いて目を丸くする私にとは違って、エナは真剣な顔をしていた。
「なぁ、お前には運命の番がいるんだろ?」
エナは、予想外のことを私に聞いてきた。ルアのことが、エナとの話題にのぼるとは思わなかったのだ。
少し考えて、私はエナが『運命の番』に憧れているのではないかと思った。アルファとの幸せな結婚を夢見るオメガは多い。
国のための政略結婚が決定しているような王族であっても、運命の番という幸せな結婚の話を聞きたいのだろう。
もしかしたらエナの婚約者が決まって、その相手が自分の運命なのか気にもなっているのかもしれない。だとしたら、可愛いことだ。
「私の番は、ルアというオメガの女性です。働き者で、今でもレモンを使った菓子で評判の店でウェイトレスをしています」
ルアのことを思い出せば、私は思わず微笑んでしまう。それぐらいに、私はルアのことを愛しく思っていた。
忙しく毎日は家に帰れない生活だが、ルアは文句も言わずに家で待っていてくれる。
彼女が、本当に愛しい。
もう少し生活が落ち着いたら、ルアとの子供も欲しいところだ。ルアは、優秀なアルファを産んでくれることであろう。
その子が、女でも男でも構わない。元気に育ってくれたら、それでいい。
「……そのルアが、こんな郵便物を出していた」
エナが取り出したのは、すでに開封された手紙だった。宛先には、ルアの字で知らない住所が書かれいた。
手紙が検閲された証拠に、私のなかで不安がつのる。スパイが仲間の身内にいるという事例は、珍しい事ではないからだ。
ただ利用されてしまったという事例もあるが、なんであれ穏やかにはいかないであろう。ルアの身に不穏なことがないようにと祈りながら、私はエナから預かった手紙を開く。
その手紙は、レモンの香水を吹きかけてあるのか爽やかな香りがした。女性らしい気づかいに、私の気分が少しばかり和らぐ。私には思いつかない真心は、さすがはルアと言ったところであろう。
「これは……」
私は手紙を開く前には、様々な悪い考えが浮かんでいた。宗教団体にルアが利用されていたり、密通していたりというものだ。
だが、手紙は私の予想に反したものだった。
手紙は、遠くの土地の友人の身体を案じるものだったからだ。珍しい内容でもない手紙だ。
宛先の名前は知らないが、私とルアは夫婦と言えども互いに大人なのだ。互いに名を教えていない知り合いだっているだろう。
「普通の手紙ですね。この友人のことは知りませんでしたが、大人なのですから離れ離れになった友人がいても珍しくありません」
もしかしたら、オメガの友人に宛てた手紙だったのかも知れない。結婚相手の仕事で故郷を離れるオメガや家の都合で遠い町に嫁ぐオメガも珍しくはない。
オメガは珍しい存在だが、そもそも王都には大勢が暮らしている。
母数が多くなれば少数であるオメガだって、数が増える。話によれば、オメガによる互助会のようなものだってあるらしい。
私は、アルファなので互助会に顔を顔を出したことはない。けれども、ルアから話だけは聞いていた。
「これな。……一応、誰にも言ってないから」
エナは、小さな鞄からマッチと蝋燭を取り出した。何をするのかと思った。
エナの行動に不信感をつのらせていれば、エナは火をつけた蝋燭で手紙を炙り始めた。手紙が焦げないように慎重に炙るエナに、私は悲鳴をあげた。
「なっ……。なにをするのです!」
私が驚いていれば、小さな字でびっしりと書かれていた手紙のわずかな隙間に、とある屋敷の名前が書かれていた。私たちが、数日後に捜査をする予定の屋敷の名である。
「これは……。いったい何なのですか?」
浮かび上がった屋敷の名を見ながら、私はエナに尋ねた。エナは、ふぅと息を吐く。
手紙が燃えないように炙っていたので、それなりに集中していたらしい。
「それは内容か。それとも、あぶり出しの仕組みか?」
エナの言葉に、私は言葉に詰まった。
正直なところ、二つとも意味が分からなかった。いいや、意味など分からない方が良かった。
私の表情を見て、エナは顔を背ける。私の複雑な気持ちを察してくれたらしい。
「悪い。最初から説明する」
エナは、手紙を私の顔に近づける。爽やかなレモンの香りがするが、それだけだ。
「レモンとかの柑橘類の果汁を絞って、インクの代わりにするんだよ。それを乾かせば、こんなふうに炙り出しで文字が現れるようになる」
ルアの職場は、レモンを使った菓子が有名な喫茶店だった。店のレモンを見て、こんな事を彼女は思いついたのだろうか。
「お前の結婚相手が働いている店は、中隊の連中の溜まり場になっているんだろ」
私は、頷いた。
エナが働く喫茶店には一般客だっているが、私の部下たちも羽根を伸ばしに来店している。なかにはケーキ目当てに、一人で店にやってくる者もいるらしい。
それぐらいに中隊の人間は喫茶店を気に入っており、ルアにも気を許していた。
「そういう場所では、情報の一握りをうっかり口に出すことも多い。そういう情報を集めたり精査したりして、ルアは宗教団体に情報を流していたんだろ」
エナは、手紙を懐にしまい込んだ。
情報を漏らしてもらった部下にも問題があったが、それより何より私の頭を支配していたのはルアのことだった。
私は、呆然としていた。
未だに、ルアが宗教団体に情報を流していたことが信じられない。
「ルアは……私の運命で。……こんな事をするなんて……」
私の体は、怖いぐらいに震えていた。何とかして震えを止めようとするが、そんなことは出来なかった。
私の愛した人はーー唯一の運命の番は、国の敵であった。その事実に、私は耐えきれなかったのだ。
「俺は、こいつを三日後に然るべき人間に報告する。番が起こした事件を自分で報告するのは辛いだろう。後は、自分で決めろ」
運命の番の罪を報告するのは、身が引き継がれてしまいそうに辛いことだ。だから、エナが引き受けてくれるのはありがたい。
けれども、それではいけないこと分かっていた。
エナは、無言で立ち上がろうとする。私は、無意識にエナの手を掴んでいた。このまま、エナを行かせてはならない。
これは私の仕事で、騎士としての誇りを問うものであった。
「三日も待たなくて、かまいません。すぐに報告を……」
エナが三日の猶予を与えたのは、私たちに対する慈悲だ。三日の間に、エナと共に出国をしろと言いたかったのだろう。
他国に行けば、罪からは逃げることが出来るであろう。私は騎士であるし、異国に行くための検問は簡単に通ることが出来る。
私の身体は頑強だから、どんなところでも当座の仕事ぐらいは見つかるだろう。それに、しばらく働かなくとも暮らせるぐらいの蓄えもあった。
もしも、追っ手がくるとしたら、野盗などに身をやつしてもいい。
そんな妄想が頭をよぎったが、全ては許されざることだった。
私は騎士だ。
この身体と精神は、国のために使うと誓った。それを破ることは、けして許されないことである。
「俺も、一応はオメガだ。運命の番には、夢を見たことも……」
私は、エナの言葉を遮った。
逃げてしまえというエナの甘い誘惑には、首を振って耐え忍んだ。
「私は、それが許されないのです」
心臓が痛かった。
涙が溢れて止まらなかった。
私の判断は間違いなく、自分の運命の番を殺すことになるからだった。
こんな事になるのならば、ルアと出会わなければ良かった。愛さなければ良かった。
後悔したところで、全ては遅かった。
「私は……騎士です。……私は、国と王家を守ることを剣に誓いました……」
本当は、ルアを逃がしたい。
彼女と共に逃げたい。
そんなことは、許されないと知っているのに。
「お前、良いのかよ……。相手は、運命の番なんだぞ!魂が結びついて離れがたい存在なんだろ!!」
その通りである。
運命の番の絆は、唯一無二だ。
ルアを失えば、私自身も狂おしい喪失感を味わうだろう。罪悪感で気が狂うことだって、ありえるかもしれない。
けれども、私は国を裏切ることは出来なかった。
国を裏切るということは、今まで出会った人々を裏切るということだ。市井の人々や可愛い部下、頼りになる先輩、共に苦労をした同僚。
彼らを欺き、ルアと生きていく決断をすることは許されない。私は、自分の運命の番を捨てる覚悟をしなければならなかった。
「なんで、逃げないんだよ……。運命の番のためなのに」
エナは、戦慄いていた。
信じられない、という顔で私を見ていた。
そこで、ようやくエナの気持ちに察する事が出来た。多くのオメガと同じように、エナも運命の番に憧れていたのだ。
ああ、可哀想に。
数年もしない内に、どこかの国にエナは嫁ぐことになるだろう。アルファを産むためだけの結婚だと分かっているから、ロマンあふれた運命の番というものに憧れてしまうのだろう。
オメガにとって運命の番というものは、ただの愛のおとぎ話ではない。望まない結婚であっても相思相愛の関係になれるという一握りの希望であるのだ。
なのに、彼は現実を知ってしまった。
運命の番であっても裏切られる事もあるのだと。
運命の番に出会ったとしても幸せになどにはなれないという事を。
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