第9話 ステーキへの慕情
調理場の朝は、今日もゴブ太の鼻歌と、オークンの床を踏み鳴らす音で賑やかだ。
サクラは、小さくため息をついた。
「香草、注文したのに、到着予定は三ヶ月後だってさ。遠いなぁ……」
日本なら、ネットで注文すれば翌日には届く。だけど、この世界では船便しかない。
「サクラちゃん、なんか今日、元気なくない?」
ゴブ太が心配そうに覗き込んでくる。
パンを齧っていたオークンが、もぐもぐしたまま口を開いた。
「香草が待ち遠しいのか?」
「それもあるけど……やっぱり、みんなに美味しい、ちゃんとしたステーキを食べさせてあげたいなって」
その一言に、オークンがピクリと反応した。
パンを置くと、目をキラキラさせて身を乗り出してくる。
「ステーキ! あの肉汁ジュワジュワってやつか! 早く作ろうぜ!」
サクラは頷きつつ、困ったように顔をしかめた。
「でも、この干し肉じゃ……脂身が足りなくて」
「ふふふ……サクラちゃん、今日いいもの見つけてきたぞ!」
オークンがニヤリと笑いながら、何やらヌメヌメした脂の塊を掲げる。
「市場の肉屋で『アブラカタマリ』ってのを買ってきたんだ! これならステーキに出来るんじゃないか?」
サクラはそれを見つめ、少し眉をひそめた。
「うーん……ありがとう、オークン。でもね、これだとほとんど脂身なんだ。ステーキにするにはちょっと脂っこすぎるかな」
指先で脂をつつきながら続ける。
「ラードの代わりに使うなら、すごく良いと思うんだけど……」
「ラード? それも美味いのか?」
ゴブ太が首をかしげた。
「うん。色々な料理に使えるんだよ。でも、ステーキには、もう少し赤身も欲しいな。脂身と赤身が、ちょうど良い具合に混ざったお肉……ないかなぁ」
サクラは顎に手を当てて、考え込む。
「うーん……市場には、そういう感じの肉はなかったなぁ……」
オークンも腕を組んで、同じくうなる。
するとゴブ太が、ふと思い出したように顔を上げた。
「前に兵隊長に聞いたんだけど、軍の加工場にはいろんな種類の肉があるらしいぞ。もしかしたら、サクラちゃんの言うような肉もあるかもしれない!」
「本当!?」
サクラの目がぱっと輝いた。
「じゃあ、みんなで加工場に行ってみよう!」
「賛成っ!」
ゴブ太が勢いよく立ち上がる。
「ステーキのためなら、ひとっ走りだ!」
オークンも拳を握りしめて気合十分だ。
*****
加工場は、鼻を突くような独特の肉の匂いが漂っていた。
屈強なゴブリンの管理者が、こちらに気づいて顔をしかめる。
「なんだ、お前ら。こんなところで何をしている?」
オークンが胸を張る。
「特別な肉を探しに来たんだ! 兵隊長の許可もある!」
「兵隊長が……? まあいい、加工前の肉なら向こうだ」
管理者が渋々と奥の棚を指さした。
サクラが棚を覗き込むと、まさに理想通りの肉が鎮座していた。
赤身と脂身が、絶妙なバランスで混ざり合った見事な肉塊。
「これだ!」
目を輝かせながら、サクラが肉の表面をそっと撫でる。
「これなら、最高のステーキが作れる!」
オークンはその肉をまるで宝物のように抱え上げ、ゴブ太がよだれを拭きながら袋に詰め込んだ。
******
調理場に戻ると、サクラは早速肉を切り始めた。
脂が光る断面に、ゴブ太が「ジュワ~……」と効果音のような声を漏らす。
オークンはフライパンを熱していく。
「サクラちゃん、これ、どんな味がするんだ?」
待ちきれない様子で、オークンがぐいっと身を乗り出した。
フライパンに肉を並べると、ジュ~ッと音が立ち、香ばしい匂いが広がる。
サクラは深く息を吸い込んだ。
「焼けばわかるよ。ステーキは、きっとみんなにとって初めての味。オークン、楽しみにしてて!」
ジュ~~~~ッ……!
脂が溶け出し、食欲をそそる音が調理場に響き渡る。
干し肉では出せない、濃厚な香りが空間を満たしていく。
ゴブ太は鼻をひくひくさせながら見守り、オークンはフライパンの周りをうろうろして落ち着かない様子だ。
そして――
ステーキが焼き上がり、皿に盛り付けられたちょうどそのとき。
「この香りは……?」
兵隊長のアルドリックが重厚な足音と共に、香りに誘われるように姿を見せる。
サクラは少し緊張しながらも、一歩前に出て皿を差し出した。
「はい、兵隊長! ぜひ、召し上がってください!」
アルドリックは無言でステーキを一口、口に運ぶ。
咀嚼するたび、無表情の顔がわずかに動いた。
「……ふむ。悪くない」
その一言に、ゴブ太とオークンが顔を見合わせ、ニッと笑う。
魔王領の調理場に香ったステーキの香りは、ささやかながらも確かな変化を、魔物たちの心にもたらし始めていた。
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