第3話 魔王領の姿
朝の魔王領――
薄い霧が石畳をゆるやかに包み込み、遠くでは市場のざわめきが目覚めの合図のように響きはじめていた。
調理場では、サクラが昨日焼いたふわふわのパンを手にしていた。
その隣で、ゴブ太とオークンがニヤニヤとこちらを見つめている。
「サクラちゃん、昨日のパン、マジでやばかったぜ! 親方なんか泣いてたからな!」
ゴブ太が甲高い声で笑い、オークンも黙って頷いた。
「オレ、あんな飯が毎日食えるなら……命ぐらい、喜んで賭けるぜ」
その真剣な目に、思わずサクラは照れ笑いを浮かべて、パンをちぎって二人に手渡した。
「ありがとう。でもさ、ゴブ太とオークンって、ただの手伝いにしちゃ、なんか妙じゃない? 奴隷市場仕切ってたし……」
ゴブ太が胸を張り、オークンはちょっと気恥ずかしそうに頭をかいた。
「へへ、バレたか。実は俺、ゴブリンの中じゃけっこうなエリートなんだぜ? 文字も計算もできるし、市場の帳簿管理とか、俺がいなきゃ回らねぇからな!」
「オレは、市場の衛兵のまとめ役やってる。喧嘩っ早い連中をぶん殴って、秩序守るのが仕事だ。オークの中ではエリートだな」
「えっ、すごっ!? そんな人たちが、どうして私の手伝いを……?」
サクラの驚きに、ゴブ太はニヤリと笑った。
「サクラちゃんのスープとパンに、心打たれちまったんだよ! あんな美味いもん、放っとけるわけねーだろ!」
「それに、兵隊長の命令でもある」
オークンが重々しく頷いた。
「あの人、俺らに指示出せるくらいの地位なんだ」
「兵隊長って、そんな偉いの?」
首をかしげるサクラに、ゴブ太が声を潜めて話し始めた。
「実はあの人、オーガなんだ。オーガってのは力も知恵も兼ね備えた最強クラスの種族でね、魔王領じゃ貴族階級によくいるんだよ。名前はアルドリック・ヴォルテール。なんでも、どっかの名門貴族の出身らしいぜ」
「えっ、貴族!? でも昨日は普通にパン食べてたよね?」
「だろ? だから面白いんだよ。アルドリック様、見た目は堅物だけど、意外と柔軟なんだ。サクラちゃんの料理に価値を感じたってことは、相当だぜ」
サクラは彼の鋭い眼差しと静かな佇まいを思い出しながら、ふと疑問を口にした。
「魔王領って……どんなところなんだろ? 魔王とか貴族とか、よく分からなくて」
待ってましたと言わんばかりに、ゴブ太が目を輝かせた。オークンも、手に持っていた薪を下ろして話に加わる。
「教えてやるよ、サクラちゃん! 魔王領ってのは、この大陸の北西部に広がるデカい国だ。灰色の山脈に囲まれてて、平野には畑と鉱山が広がってる」
「首都はここ、グランフォルティス。魔王城を中心にできた石造りの要塞都市で、政治の中心地さ」
「統治してるのは魔王様。で、その下に貴族階級がいる。オーガ、ガーゴイル、ドラゴニアみたいに、力も頭もある種族が貴族になってるんだ」
「俺らゴブリンやオークは平民階級だけど、エリートなら貴族と仕事できる」
オークンがうなずいて補足する。
「交易も盛んだぞ。鉱山から取れた鉄や石材を人間領に売って、代わりに穀物や布を仕入れてる。昔は戦争もあったけど、今は平和なもんさ。年に何回か、人間領から使者も来てるくらいだしな」
「えっ、人間領と平和!? じゃあ、私がここにいるのって、そこまでおかしくないのかな……?」
サクラの声に、ゴブ太が肩をすくめて笑った。
「奴隷として売られてきたのは不運だけどな。普通の人間なら、商人として来る方が多いんだぜ。魔王様も和平を大事にしてるって話だしな」
「魔王様が……?」
「なんせ、魔王ゼファード様は若い頃、人間領に留学してたんだよ。貴族の間じゃ有名な話さ。王都で数年過ごして、向こうの知識や文化を持ち帰ったってさ」
「魔王が留学!? 」
オークンが薪を抱え直しながら言った。
「だから、サクラちゃんが人間でも、美味い飯作れるって分かれば……そりゃ、注目されるかもな。アルドリック様が動いたのも、その延長かもしれねぇ」
サクラは静かに息をのんだ。
――灰色の山々に囲まれた土地。鉱山と畑の広がる平野。要塞のようなグランフォルティス。
その中心にそびえる、黒い尖塔の魔王城。そして、ゼファードという名の魔王が治める国。
人間との平和な関係。そこに、ほんの少しだけ希望が灯った気がした。
「……でもさ、交易で穀物入ってくるなら、もっと材料そろえられるんじゃない? パンも柔らかくできたし、次はもっと美味しいもの作りたいな」
「一応はな。でも、穀物は軍の補給優先なんだ。硬い保存パンに加工されちまうし、贅沢品は貴族用。平民の口にはなかなか入らねぇよ」
オークンが肩をすくめて言う。
「そうか……だったら、私たちが変えていくしかないよね! 調理場からコツコツ始めて、いつか魔王様にも食べてもらえたら……!」
その言葉に、ゴブ太とオークンの目が輝いた。
「サクラちゃん、すっげー気合い入ってんな! 次は何作るんだ!?」
ゴブ太が雑巾をくるくる振り回す。
「うーん、パン改良したし、次は肉かな? でもその前に、調理場をもっと使いやすくしなきゃ! まずは掃除だね、掃除!」
「了解!」
オークンが薪を肩に担ぎ、三人は笑いながら調理場へと戻っていく。
朝霧が少しずつ晴れていく中――
グランフォルティスの一角で、少女のちいさな一歩が、確かに魔王領を変えはじめていた。
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