第2話 夢の始まり


 私は少女を抱えて、自分の棲家へと戻ってきていた。

 大阪にあるマンションの2階、ワンルーム9畳の自慢の家だ。


 そっと少女をベッドに下ろして、頬を撫でた。


 美しい、と素直に思う。

 別に美人であるわけではない。普遍的な顔立ちで、今まで私が見てきた人間に彼女より綺麗な者など星の数ほどいた。


 それでもこの少女、ソラノより美しい者は見たことが無かった。

 体中傷だらけで、左腕は完全に動かないほど複雑に折れていて。

 顔なんて血で真っ赤に汚れているけれど。


 こんな姿になるまで戦う仮面師を、私は見たことがない。


 仮面師は群れてから保身に走るようになってしまった。

 ギルドを作り、企業として動く彼らは正義の味方ではない。


 金になるから悪魔を狩っているだけ。

 負けそうになったら逃げるし、死ぬまで戦うなど以ての外。


 コストに見合っていないからだ。


 彼らの誰もがソラノより強かったが、これほど私の心を動かしたのはソラノだけだった。

 彼女ならもしかすると、と思ったのだ。


 ソラノなら私の夢に付き合ってくれるかもしれない、と。


 そしてソラノなら本当に、、と。


 いけない、考え事をしていたら本当にソラノが死んでしまう。

 そう思い、今もぴくりともせず死体のように眠るソラノに手を向け、魔力を流す。


 彼女の魔力制御に比べれば私のそれなど児戯にも等しいが、悪魔は元々、人間や天使に比べて魔力制御に優れる種族だ。

 私もそれなりに得意な方だと自負しているが、ソラノの魔力制御を見ていると自信を無くす。


 あまりに異次元すぎて、柄にもなくぽかんと口を開けて観察してしまったほどだ。


 そうだ、異常だ。

 ソラノの魔力制御には神が宿っていた。


 そもそも、人間は己の魔力を操ることができない。

 仮面師が魔力を操ることが出来るのは、仮面という補助器具を使っているからだ。


 仮面の補助なく魔力を操るなど、人間業ではない。

 それをさも当然のような顔で行う少女に、初めは彼女のことを天使なのかと疑ってしまったくらいだった。


 でもこうして魔力を流していれば分かる。

 ソラノは間違いなくただの人間だ。

 天使でも、勿論悪魔でもない。


 ただの人間が、それもこれほどに幼い者が、魔の極地の如き魔力制御を……。


 ごくり、と唾を飲んだ。


 それに、最後に見せたあの魔力の色。

 透き通るほどに純粋な白。


 それは紛うことなき、勇者の色。

 現代の仮面師からは決して噴出することの無い、真の勇気の証。


 もしかすると本当にこの子は────



「っう、んう……、ん?」



 

 考えを遮るようにソラノから可愛い声が漏れた。

 ぱちり、と開いた水色の瞳と視線がぶつかる。


「あ、あれ、お姉さん……?」


「まだ喋らない方がいいわ。喉が魔力で焼けているから、そこを治してから話しましょう?」


 全く状況を読み込めず不思議そうな顔をしたものの、ソラノは大人しく口を閉じた。

 そのままじぃっと私のことを凝視してくる。


 ちょ、ちょっと恥ずかしいわね。

 ここまでじぃっと見られることはなかなか無いので、恥ずかしさが湧き出てきた。


「はい、これで良いわよ。しばらくは安静にしたほうがいいけれど」


 たっぷり5分、少しずつ瞳に輝きを乗せていくソラノに見つめられながらの治療が終了した。

 最後の方など目をキラッキラに輝かせていたけれど、一体何を考えているのか、と思っていたら。



「お、お、お姉さんってもし、もしかして……仮面師なの!?!?」



 この言葉で全てを理解した。

 つまりあれだ、ソラノは魔力を操って治癒を行使する私のことを、仮面師だと勘違いしているのだ。


 先ほどの発言を聞いている限り、ソラノは仮面師に強い憧れを持っているのだろう。


 というか魔力量から薄々察していたけど、やっぱりこの子は正式な仮面師ではないらしい。


「そうよ。ほらこれ」


 私はあらかじめ用意していた仮面を顔に合わせた。

 これはお祭りの屋台に売っているような、安い作りの狐のお面だ。


 勿論、仮面師が使う本物の仮面ではない。

 そもそも特殊鎧装『仮面』は特別な金属で作られているので、見る人が見れば一瞬で分かるだろう。


 私が持っている狐のお面はプラスチック製だ。

 バレるかな、と思ったのだけど。



「ほ、ほわぁ! す、すごい! かっこいいいい!!!!」



 想像通りの反応が返ってきて、思わず苦笑してしまった。

 ソラノはさらに目をキラキラさせて私を尊敬の眼差しで見つめてくる。


 私は悪魔だ。

 そして悪魔とは、世間一般的に人類の敵だ。

 人の絶望を見て、滑稽だとケタケタ笑いながら殺すのが好きな奴らばっかりだ。

 けれど、一部そうじゃない悪魔もいる。


 かく言う私もその一人。

 人間は嫌いだけど、別に殺したいとまでは思わない。

 正確に言うと私は人間が嫌いなのではなく、自己保身しか考えない醜い奴らが嫌い。


 ソラノはそうじゃない。

 私はこの子を好いている。


 きっとソラノに正体がバレても、ソラノは私に対して何もしてこないと思う。

 あの戦闘を見ていれば分かる。ソラノが目指す仮面師は、世間の言う仮面師とは違う。


 悪魔を狩る仮面師ではなく、人を守る仮面師。


 人に対して害を及ぼさない私を、わざわざ敵視するとは考えにくい。


 だけど万が一ということもある。

 別にわざわざ言う必要も無いのだし、バレるまで仮面師として通そうと思う。


「ど、どこのギルドの仮面師なんですか!」


 私のことを仮面師だと認識した瞬間、敬語に変わるソラノ。

 かわいらしいけど、よそよそしくて似合っていない。


「敬語はいいわ。私はあなたに救われたのだから、お互い対等よ」


「わかりました……わかった!」


 うんうん、とソラノの元気な返事に頷いて、私はふと思う。

 どこのギルドか、と聞かれたか?


 ど、どこのギルド?

 そうだ、仮面師はギルドに所属して戦うものだった!

 すっかり失念していて、嘘を用意していない。


 どうしよう、どうしよう、と考えをグルグルと巡らせる。


 そのとき、私の頭に明案が思いつく。

 我ながら冴えわたっている頭脳が怖い。


「私はフリーの仮面師。ギルドに目を付けられるから、普段は一般人として潜んでいるの」


 ギルドから目をつけられるから、普段は一般人として潜んでいる。

 これは嘘でもなんでも無い、本当のことだ。


 だって私、悪魔ですもの。


 というかフリーの仮面師ってなんだ、と自分でも思う。

 おかしい、少なくとも思いついた時は完璧な嘘だと感じたのに。


「フリーの仮面師! なんかかっこいい!!」


 よかった。ほんとうによかった。

 馬鹿でいてくれてありがとうソラノ。


「ってことは、あの強い悪魔はお姉さんが倒したの?」


 ソラノがこてん、と首を傾げて聞いてくる。

 えっと、強い悪魔?


「それはあの牛みたいな悪魔のことかしら」


「そう! あんな悪魔を倒せるなんて、お姉さんもしかしてめちゃくちゃ強い仮面師なんじゃ……」


 そこで私はお互いの認識の相違に気が付く。

 ソラノはどうやら、とんでもない勘違いをしているようだ。


「確かにあの悪魔を倒したのは私だわ」


 パッ! と顔を輝かせるソラノ。


「だけれど、あの悪魔は最下級よ。一番弱い位の悪魔だわ」


 そう、あの悪魔は強くもなんともない。

 一般的な仮面師であれば誰でも討伐できるし、なんなら魔界では最底辺の存在だ。


 悪魔としての格は私よりも下。


 と言っても、私は一つ上の下級悪魔。

 多少力を持った仮面師には手も足も出ない程度ではあるのだけど。


「え……」


 ソラノは茫然自失といった様子で、絶句した。

 あそこまでボロボロで、死にかけるような激戦を繰り広げた相手がまさか最下級悪魔だとは思わなかったのだろう。


 まあ、初戦闘だったようだし、仕方ないとは思うけど。

 私がぽかんと観察していたせいで邪魔になったし、次戦えば間違いなくソラノが勝つ。


 初めから全力の身体強化で懐に入って、一瞬だけ見せた高出力の魔力放出を何度か叩き込めば殺せていただろう。


 仮面も無い人間が最下級とはいえ悪魔を殺すことができる。

 この事の異常さを、ソラノは分からないのだろう。


「そんなことよりソラノ、大切な話があるの」


 呆然としているソラノとしっかり目を合わせる。


 本当に綺麗な水色の瞳。

 どこまでも晴れ渡る空の色。


 私はソラノに夢を語り始めた。







「私には夢がある」


 強い意志を感じさせる言葉に、私はハッとした。

 目の前に広がるのは血を映したような紅色の瞳。


「最上級悪魔、宵闇の王の討伐よ」


 宵闇の王。

 悪魔についてはほとんど知識の無い私でも知っている、最悪の悪魔。


 世界にたった六柱しかいない最上級悪魔の一柱で、潜んでいると言われている国は……ここ、日本だ。


「宵闇の王は私の母を殺した。私は受けた借りは必ず返す。けれど、私一人の力ではとてもじゃないけど敵わない」


 お姉さんは続けて語る。

 敵わない、というけどそれは当然だ。


 その昔、日本が誇る最大のギルドであった『メタトロン』が総力を上げて宵闇の王に挑み、そして全滅した。

 生き残った仮面師がいるのかどうか、それすらも定かになっていない。


 メタトロンは最強のギルドだった。

 所属する仮面師は少数精鋭で、それぞれが単騎で上級悪魔と渡り合えるだけの力を持っていたと言われている。

 そんな彼らですら敗北したのが、宵闇の王なのだ。


「えっと、その、だから……ね」


 さっきまで流暢に喋ってきたお姉さんが口籠る。

 言いたいことは馬鹿な私でも予想できた。


 それは、無理だろう。

 もしかしたらお姉さんは、今まで何度か同じことを誰かにお願いしてきたのかもしれない。


 その度、断られたことだろう。

 だってそう、お願いを聞くと言うことはつまり、限りなく100パーセントに近い可能性で死ぬということだから。



「私と一緒に……宵闇の王と戦って欲しいの!」


 

 ようやく決心したように勢いよく口に出した言葉に私は。



「それって、採用ってことでいいの?」



 どこまでも、あえて気軽に口にした。


「え?」


 ぽかん、とあの時のように口を開けるお姉さん。

 ふふっとお姉さんには悪いけど少し笑ってしまった。


「私、数えきれないほどギルドの面接に落ちてきて」


 だから、必要とされたことなんて一度も無かったけど。


「私のことを認めてくれた人が、少しでも困っているなら力になりたい」


 だって私は、仮面師だから。



「初めて内定もらっちゃった!」



 お姉さんが気負いすぎないように。

 私はにこり、と微笑んだ。








 お姉さん、フラッテさんと言うらしい。

 大人っぽいイメージなのに、思ったよりふわっとした名前で可愛い。


 敬語はだめ、と言われたからフラッテとそのまま呼ぶことにした。


「それでフラッテ、流石に二人じゃ勝てないよ」


 フラッテもこくりと頷いて同意を示してくれた。


 そう、多分だけどフラッテはかなり強い。私だってやる気だけはある。

 けど、宵闇の王はその程度で勝てるような甘い存在ではない。


 文字通り最強。

 私がさっき戦った悪魔ですら、人間が蟻を踏み潰すように殺せてしまうような怪物だろう。


「そこでね、作戦があるの!」


 表情を暗くするフラッテを元気づけるように、私は彼女の手を握る。

 フラッテは身長が170センチくらいあって私より高いから、どうしても見上げるような形になってしまって格好がつかないけど。



「二人でギルドを立ち上げよう! どんな悪魔にも負けない、最高のギルドを!」



 私が必死に考えた作戦を聞いて、フラッテが目を丸くする。


 今までも何度か考えたことはあった。

 だけど私はまだ未成年で、ギルドを作るには成年済みのメンバーが必ず一人は必要なのだ。


 私のような弱い仮面師志望と組んでくれる人なんて勿論いなかったけど、フラッテはどこからどう見ても成年してるし、これはいけるんじゃないかと思ったのである。


「ギルドを作るという意見には賛成よ。宵闇の王を倒すなんて酔狂な目標を持つギルドなんて、日本中どこを探しても無いしね」


 フラッテも同意してくれる。

 やっぱりそうだよね。宵闇の王のような最上級悪魔討伐を目標にしているギルドがあれば、面接を受けに行くことも考えた。だけど、フラッテが言うには上位悪魔とすら積極的に戦おうとするギルドは少ないらしい。


 私の中にある仮面師のイメージががらがらと崩れた瞬間であった。


「けれどねソラノ。問題が一つあるの」

「問題?」


 フラッテが人差し指をぴんと立てて、私の前に突き出した。

 綺麗で長い指だなぁ、なんて。思わず考えてしまう。


「仮面師ギルドを設立する条件は3つ」


 ふんふん、3つもあるのか。

 1つ目の条件だけでも無理だからその先は調べていなかったけど、結構大変なんだね。


「ひとつ、成年済みの者が必ず一人所属すること」


 フラッテが中指をぴん、と立てる。


「ふたつ、3人の同意があること」


 ん?

 3人??


「みっつ、その中に天使が一人、含まれていることよ」


 て、天使かぁ。

 天使とは特殊鎧装『仮面』の中に憑依することで仮面師に特殊な力を与えられる、仮面師の相棒だ。

 確かに言われてみれば、仮面師ギルドに天使は必須な気がする。


 あれ?

 フラッテは仮面師だから相棒の天使がいるはずなんじゃ……?


「悪いけど私はフリーの仮面師だから、天使と契約していないわ」


 私の考えを読んだのか、フラッテが先に説明してくれる。


 つまりは、だ。


「ただでさえ珍しい天使で、しかも宵闇の王と戦ってくれる3人目のメンバーを、見つけないとダメってこと?」


 ぽつりと零れた私の言葉に、フラッテが強く頷く。


 どうやら私たちの前に立ちはだかる問題は、山積みのようだった。



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