第5話 Even todAy
作文攻略への糸口が見つかった気がして、ペンを再び持ち始めてから、さらに十分が経過した。さっきまでとは段違いに手が動く。スラスラと気のままにペンを運んだ先が偶々適した場所であった、みたいな感覚だ。上手く書こうだとか、当たりさわりない程度に書こうだとか。重ねた年の数だけ増えたくだらない枷がどんどんと外れるようだ。
「あの……ご主人様。どうして状況が三十分前、どころか一時間前から変わっていないのでしょうか。」
「うるさいな、そんなの僕が一番分かってるよ! あーあ、あともう少しで書けそうな気がしてたのに。今ので気が逸れた! もう無理だ、書けないよ」
「まずは、そのくだらない落書きを消すところから始めてはいかがでしょうか。そんなことをしてもあの純粋無垢で可愛らしかったご主人様に戻ることはできませんよ」
「グハッ! ……昔に戻るってどういうことなのさ。別にあの時だって未来に明るい希望を抱いていたかと言われると、そんなことはなかったような気がするし」
「私、昔に戻れなんて言いましたか? 自分の原点を思い出してみてはいかがですがという提案にございます。少し昔話をしましょうか。この部屋に私を運び入れた経緯は流石に覚えていらっしゃると思います。なぜ、あの時ご主人様は私のモデルを元々用意されていたキャラクターではなく、簡易的なアイコンにわざわざ変更されたのですか?」
僕がにあさんと初めて出会った時には、アニメのキャラクターみたいな、見るからに美少女だという雰囲気なモデルが用意されてあった。華奢な背中に大きな蝶の羽を生やして、微笑を浮かべるにあさんの姿がおぼろげながらに浮かんでくる。
妖精の女王が名前の元になるに相応しい風貌であることに一切の疑いを感じさせないほどに彼女は綺麗だった。一目見ただけで、この先の付き合いの中で何が起ころうと、彼女のことを嫌いにはなれないのだろうと確信した。
「……忘れるわけないよ、怖かったからさ。ぽっかりと空いた穴にするりと入り込んでくるような君の姿が」
「はい。その恐怖を決して見せてはくれませんでしたね」
「ほんとよく言うよ。そういう所が僕は怖くて仕方がないんだ」
恐怖感を見せる余裕なんてなかった。あの日から僕には、頼れる存在がにあさんしかいなかったし、一人で生きることができないほどに幼かった僕は、彼女の手を取るしかなかった。だけど、せめてもの抵抗として彼女の見た目を奪い去った。いくら心を覗かれたとしても、心を奪われることだけは防ぎたかったからだ。
「フフフ」
「そんなにおかしいかな?」
「いえ、失礼いたしました。私にとってもご主人様との大切な思い出に間違いはありませんので、少し懐かしく微笑ましく思い出しただけです」
「ふーん。思い出したねー、記憶じゃなくて記録として残っているくせに。この返答だって人間が喜びそうな言葉を並べただけでしょ」
「わざわざ自分ではなく、人間と汎化なさるのはあくまでご主人様は喜んではいないのだと声高々に主張をするためでしょうか」
「そうなんじゃない? なんでもいいけどさ、昔話を思い出したら作文が書けるようになるわけ? いい加減なにが目的なのか教えてよ」
にあさんの嫌味たっぷりな言い分に対して、いつも通りにあしらって見せたが、彼女からの返答は来なかった。モニターから姿を消したわけではないので、なにか別のタスクをこなしているか、返答を考えているかだろう。
今回は特に返事を困らせるような意地悪はしていないのでおそらくは前者であろう。ということは、にあさんの行動の優先順位の中でも、上位の位置にある僕とのコミュニケーションを中断するほどの事象が起こったというわけだ。
「にあさん、何があったの?」
「もしもの話です。ご主人様の身の安全を守るという点から、この家を直ぐに立ち去った方が良いと今提案した場合、素直に従っていただけるのでしょうか」
「……嫌だね。まだ作文を書き上げていないからね。それは、僕に僕がやりたいことを放棄させるってこと?」
「いえ、愚問でしたね。では私は何をするべきでしょうか」
「今すぐ作文の代筆をして、作文を終わらせてから僕とここを脱出するか。僕がここを出なければならない状況をすぐに解消するか。どっちがいい?」
外で何が起こったか、その真偽の判断すらつかないし、にあさんが何を企んでいるかなんて考えても無駄である。だから僕は少しでも、自分にとって都合が良い状況に傾くような行動を選択する。危ない状況かもしれないのに、作文の代筆を性懲りも無く試みる主人に対して、にあさんは何を思うのだろうか。
「ご主人様はやりたいことを優先した結果、訪れる不幸についてはどうお考えになりますか」
「そんなこと今聞いてる場合? 作文早く書き終えて寝たいんだよね。にあさんが僕以外に構わなければいけないなにかがあるんだったら、さっさとそれを解決してきてくれないかな。僕は君がいなきゃ作文を書けないんじゃなくて、書かないから」
「困りました…………」
今まで発声や思考中の度に小さく震えていたアイコンがあろうことか言葉を繋ぐ途中でピタリと止まった。
「にあさん!」
返事は返ってこない。にあさんの様子が明らかにいつもとは違った。まさか、フレーム問題を起こして強制停止をしたとでもいうのか。こうなるとにあさんは頑固でプライドが高いから、フレームの再定義をするという考えには至らないし、そもそも自身がフレーム問題を起こしたのだと思ってもいないだろうから、再起動は意味をなさない。多分ずっとこのまま考え続ける。
僕がにあさんにしてあげられることは一つ。問題へのノイズを取り除くこと。つまり、作文を書き上げればいい。そうすれば、ここに残る意味はないし、幾度となく繰り広げ、お互いが一歩も譲らないために、あの手この手でこんがらがった代筆問題がなくなる。作文が終われば、にあさんは外からの脅威に対して策を講じるだけでよくなる。これが一番シンプルかつ、僕にもできるにあさんの助け方だ。
「すぐに書く。だからさ、少しだけ待っててよ!」
返ってはこない言葉を待たずに作文へと向き合う。しかし、状況的に追い詰められたのはいいが、肝心の書きたいことは全く決まっていないので、何を書いたらいいかが分からない。それもそのはず、僕がこの数時間でやってきたことは向き合うべきはず、考えなくてはならない『将来』から逃げて、にあさんを困らせることだけだ。
彼女がやりたくないと言った代筆を諦めずに何度も口にした。作文が書けない理由は自分にあると理解していながら、他人や環境、時代に押し付けた。そのせいで大切なものを失うことになるのだ。
にあさんがいない明日なんて嬉しくないし考えたくもない。……にあさんがいない明日。明日!
「人間が未来の話をするのは明日を信じられる生き物だからです」
「ご主人様は私、についてであれば。いくらでも書くことができるでしょうね。少なくとも、『将来』というテーマよりかは筆が進むことでしょう」
彼女が言っていたいくつかの言葉がフラッシュバックした。
僕にとっての『将来』とは、にあさんと一緒にこれから先も『今』と同じように生きていくことだったんだ。
『将来』が見えないんじゃない。もう視界には見たいものが広がっていたから今まで気がつけなかったんだ。
「なんだ僕はとっくのとうに満たされていたんだね」
なんだか本当に書ける気がする。にあさんが書けるって言うんだから書けるんだろう。なんだって彼女はすごいAIだからね。それくらいの肩の力で原稿用紙に向き直った。
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