【三題噺】廊下の先のきらめき
本日の三題:廊下、キーホルダー、穿つ
ジャンル:アイドルもの / アイドルアニメ
事務所の廊下は、いつも少し寒い。
冷房のせいか、それともデビュー前の自分たちの心持ちのせいなのか、はっきりとした理由はわからない。
けれど私は、毎日その廊下を歩く。
夢の舞台へと続く、この一本の道を。
「おはようございます!」
朝の挨拶がこだまする。メンバーも、マネージャーも、スタッフも、皆がすれ違いながら挨拶を交わしていく。
私はポケットの中で、小さなキーホルダーを指で弄んだ。
ユニット結成の日に、全員で揃えて買ったもの。名前も入っていない、ただの星型のチャーム。
でも、誰もが同じものを持っている。それだけで、いつだって少しだけ勇気をもらえる。
「陽菜!」
背後から呼ばれて振り返ると、あかりが手を振っていた。彼女のポニーテールが、廊下の光を跳ね返してきらきらしている。
「今日のリハ、例の新曲だって。振り付け、間に合うかなあ……」
「大丈夫。昨日の夜もずっと練習してたから」
あかりの表情がぱっと明るくなった。
「さすが陽菜! さっすがうちのセンター!」
「もー、センターとか関係ないって。みんなで輝くんだから」
でも、心のどこかで、センターという言葉が胸を穿つように響いた。
最初は、私じゃなかった。
センター候補は、実は別の子だった。
けれど、その子が急に辞退した。理由は、今でも誰も知らない。
そのあと、マネージャーが言った。
「陽菜、お前がやるか?」
そのとき、頷いた自分に、自信はなかった。
でも、夢を諦めたくなかった。
スタジオでのリハーサルが始まる。
いつもの鏡張りの部屋、流れる新曲のイントロ。息を合わせて、ステップを踏み、ターンを決めて、表情をつくる。
アイドルのパフォーマンスは、一瞬の輝き。でもその一瞬のために、何百時間も練習する。
汗が額を伝う。
ふと鏡を見ると、後ろの子が少しだけ遅れていた。
「……紗月?」
私が声をかけると、紗月はふわりと笑った。
「大丈夫、ちょっと考え事してただけ」
そう言って、また動き出す。
でも、その笑顔の奥にある“影”を、私は見逃さなかった。
レッスンの合間。
楽屋のソファに座って、キーホルダーをまた指で弄ぶ。
星型のチャーム。その角の一つに、小さな傷があった。
私が、最初に落としてしまったときについた傷。
それを見つけて、みんなで笑った。
「このキズ、うちらの印だね!」
そんなふうに言ってくれたのは——
あのときセンターだった子だった。
その日の最後のリハーサル。
全員が本気だった。
足の動き、手の角度、目線の方向、すべてが一致していた。
でも、音楽が止まった瞬間——
「センター、変えようと思う」
マネージャーの声が、スタジオに落ちた。
「えっ……」
メンバーの視線が私に集まる。
「いや、陽菜が悪いわけじゃない。ただ、ここで一度、入れ替えてみたい」
理由もなく、説明もなく、ただそう言った。
「……わかりました」
私の声は、意外なほど冷静だった。
でも胸の奥で、星型のキーホルダーが、音もなく崩れるような気がした。
数日後の本番。
舞台袖でスタンバイしながら、私は静かに呼吸を整えていた。
センターは、紗月。
選ばれた理由は、今でもわからない。
でも、ステージに立つ彼女の背中を見て、私は思った。
——ああ、このユニットは、大丈夫だ。
みんなが、ちゃんと“輝いて”いる。
それなら、私はどこにいてもいい。
キーホルダーを握りしめる。
星は、空に浮かんでこそ意味がある。
私は、舞台のすみで笑った。
そのとき、紗月が振り返り、小さくウィンクを送ってくれた。
ステージライトが、すべてを照らしていた。
その夜、帰り道の廊下で——
ふと、ポケットからキーホルダーがこぼれ落ちた。
「あっ……」
拾おうとしたとき、誰かの手が先にそれを取った。
「——センター、お疲れさま」
マネージャーの声だった。
「お前の表情、後列でもちゃんと届いてたよ」
涙が、少しだけにじんだ。
でも、私は笑って答えた。
「ありがとうございます」
夢は、ひとつじゃない。
ステージの中央も、影も、すべてが“アイドル”の一部だ。
私は、そう思えた。
明日もまた、この廊下を歩いていこう。
星のチャームを、胸にしまって。
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