【三題噺】宇宙船〈リリス号〉異常なし
本日の三題:宇宙船のコクピット、栄養ドリンク、飽く
ジャンル:ミステリー / 推理もの
宇宙船〈リリス号〉のコクピットは、常に無音だった。
外の真空がすべての音を吸い込んでいくからだ。機械の作動音すら、船内スピーカーから抑制されたボリュームで流れる。異音があれば即座に検出できるよう、すべてが整っていた。
だが、その“整った環境”が、乗員たちを逆に不安にさせる。
「エリアCの冷却系統、10パーセント出力低下。補正かけて」
「補正完了。予備エネルギーから6%供給」
機械的なやり取りが交わされる中、唯一の人間の声が、乾いた笑いを漏らした。
「宇宙ってのは、本当に飽きるな……」
ナビゲーターのシノは、足を投げ出して天井を仰いだ。
「飽く、って言葉、軽く聞こえるけどな。宇宙は“終わらない”からな」
操縦士のレンがつぶやく。
彼らはすでに七か月の航行を終え、あと十日で地球へ帰還する予定だった。
そんなある日、船内で異変が起こった。
「栄養ドリンク、補給庫から一本、欠品」
ロボットアナウンスがそう告げた瞬間、コクピット内の空気が変わった。
「……誰か、飲んだのか?」
「いや、記録にない」
〈リリス号〉では、すべての物資の出し入れはAIによって記録・管理されている。それが“記録にない”とは、つまり“誰かが手動で”取り出したということ。
「こんな小さな異常、普段ならスルーだが……」
レンが、コクピットのメインモニターに映る乗員一覧を見上げた。
彼とシノ、そしてメディックのアミ、整備士のダリル、科学士官のロクの五人。
……の、はずだった。
しかし、画面に映るシステム上の“乗員数”は、六。
「なあ、これ……どういうことだ?」
「おい、まさか——」
警報が鳴った。
「隔離区画E-07にて、気圧異常。手動制御で内側からロック」
誰かが、いる。
“いないはずの誰か”が、この船に乗っている。
五人は互いに視線を交わした。
誰もが、他の誰かを疑っていた。
“六人目”は、もともと誰だったのか?あるいは、今、五人のうちの誰かが“もう一人”なのか?
疑念は船内に静かに広がっていく。
翌日、アミが消えた。
記録上では、彼女は“船内を歩いていない”。
監視カメラの映像には、アミが最後に通った通路の映像が、そっくり抜けていた。
「映像がない? AIがそんなミスをするはずが——」
「それ以前に、誰が“編集した”? AIそのものが改ざんされた可能性も……」
「まさか……まさか、六人目は“人間”じゃないのかもしれない」
ロクが震える声で言った。
この船には、人間ではない“何か”が紛れ込んでいる。
それが、誰かになりすまし、記録をすり替え、そして……
「栄養ドリンクを飲んだのは、それ、か」
誰の声か、分からなかった。
三日後、ダリルが意識不明で発見された。
寝台の上、まるで何かに“乗っ取られた”ような痕跡。呼吸はある。だが、目を覚まさない。
シノは、もはや疑いを抱く余裕すらなかった。
船内は寒い。だが、誰も冷却系統を調整する気になれなかった。
レンとロク、シノの三人が残った。
その夜。
ロクは、つぶやいた。
「この船の名前、〈リリス号〉って、皮肉だと思わないか?」
「最初の女……」
「そして、神に背いた者」
コクピットの照明が、ふっと落ちた。
その瞬間、誰かが、立っていた。
そこに“もうひとつの影”があった。
レンが銃を構える。
だが、撃てない。
それが、あまりにも“自分たち”と変わらぬ姿をしていたから。
「私は、ただ戻りたかっただけ」
女の声がした。
「地球に」
「あなたは……誰だ」
「私は、飽きただけ。何百年も、空の底で眠ってた。あなたたちの会話を聞いていたら、戻りたくなったの」
シノの手が震えていた。
「それなら、なぜ——」
「違うの。私は誰も殺していない。ただ、“入れ替わった”だけ」
そのとき、モニターが再起動された。
乗員数、五名。
そして、映る顔は——誰もが、少しずつ、違っていた。
シノは、そのまま動かなかった。
コクピットには、再び無音が戻っていた。
AIの音声が静かに告げた。
「〈リリス号〉、地球圏進入完了。着陸体制に入ります」
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