第5話 初めての夜

※※


私はウェディングドレスを着替えると、すっかり暗くなった窓の外を自室から見上げる。


今夜は月を雲が覆い隠しており月も星も見えない。


(どんより暗くて……まるで私の心の中と一緒ね)


私はカーテンを閉めると与えられた部屋をじっくりと見渡した。


ルーカスから与えられた部屋は予想以上に広く、豪華絢爛な内装で公爵令嬢として育った私でも初めて部屋に入った時は感嘆の声を漏らしたくらいだ。


見たこともない大きなふかふかのベッドに高価な銀細工が施された調度品、部屋の中央には真っ白な百合の花が生けられ瑞々しい良い香りが部屋中を漂っている。



「それにしても……今日は疲れたわね」


私は椅子に腰掛けると、またひとつため息をこぼした。

そしてすぐにルーカスから別れ際に言われた言葉が蘇ってくる。


「……なんなのよっ」


あのあとルーカスの腕を掴んで退場した私は夜に王宮で行われる、花嫁のお披露目を兼ねた晩餐会に出席するつもりだったのだが、ルーカスが何やら動悸が激しく体調不良とのことで、急遽取りやめになったのだ。


「確かにとてもお怒りだったのか……ずっとお顔も真っ赤にしてらしたけどあんまりだわ……っ」


(体調不良だなんて嘘ついて、そんなに私と食事したくないわけ?!)


私はひとり頬を膨らませた。


「そりゃあ、新婦から新郎に……ち、誓いのキスなんて……前代未聞でしょうけど……。私だって初めてだったのに……っ」


「きゅう……」


「ラピスだってそう思うでしょ? そもそも結婚を持ち掛けたのはルーカス様なのよっ!」


「きゅうきゅうっ」


「ん? どうしたの?」


ラピスは何かを伝えようとしているのか、先程から私の左手のあたりをウロウロしている。そして私の左手に嵌められた指輪をひっかいた。


「指輪? ……あら?」


よく見れば交換した指輪の中央には小さな青い宝石がはめ込まれている。


「結婚指輪に宝石なんて珍しいわね、これは……サファイア?」


手のひらを室内のシャンデリアに翳してみれば、淡い透き通った碧い石が小さな輝きを放っている。


「これを伝えたかったのね。ありがとうラピス。とても綺麗ね……」


(まるであの男の子の瞳みたい……)


そしてふとある疑問が頭に浮かぶ。

結婚式では腹が立つことが多すぎて、指輪など全然じっくり見る余裕がなかったが、ルーカスはどうして指輪にサファイアなんてはめ込んだのだろう。


(黒い石をはめ込まれるよりよっぽどいいけどね……)


「はぁあ……わからないことばっかりだわ」


その輝きをみながら、私はやっぱりため息をついてしまう。



「今日から妻……」


口に出せば、悪魔王子であるルーカスの妻になったのだとますます実感が沸いてきて、なんだか泣きそうになってくる。


私は涙を溢さないように目の奥にぐっと力を込めた。



──コンコンコンッ


「お嬢様、ドーナでございます、お食事をお持ち致しました」


「開いているわ」


ドーナは扉を開けると豪華な食事を私の目の前に並べると、紅茶を注ぎ入れた。


「お疲れになったでしょう」


「えぇ。でもあなたが一緒に王宮にきてくれて本当に心強いわ」


「お嬢様に生涯お仕えしお守りすることがドーナの使命ですから」


「ふふ、いつもありがとう。これからもよろしくね」


実は事前にルーカスの使者から専属のメイドを五十名ほどつけると連絡があったが、私はすぐに断った。メイドが多ければ多い程王宮を探索することも自由に動くことも難しくなる。


そしてそれこそがルーカスがメイドを五十人もつけると言った狙いだと考えた私は、すぐに結婚条件のひとつとして、ドーナを私の専属メイドにして欲しいとルーカスに手紙を送ったのだ。


するとルーカスから拍子抜けするほどにひとつ返事で了承する旨の手紙が返ってきて、更に欲しいものあれば何でも言って欲しいなどと気遣うようなことまで書かれていたことを思い出す。


(てっきりメイドを沢山つけて、王宮でも私の動きを封じるつもりなのかと思ってたけど)


(本当に何をかんがえているのかしら……さっぱり読めないわ……) 


「お嬢様? 大丈夫ですか?」


「あ、えぇ……」


「きゅうっ」


ラピスが私の肩から飛び出すと、テーブルの上に並べられた食事をじーっと眺めている。



「あ……ラピスのご飯っ」


「少々お待ちを」


「え?」


ドーナはメイド服のポケットからナッツを取りだすと、空いているお皿にそっと乗せた。


「さぁ、召し上がれ」


「きゅうっ!」


「良かったわね、ラピス」


ラピスが嬉しそうに駆けていくとすぐに大好物のナッツをカリカリと食べ始める。


「さすがドーナね」


私がにこりと微笑めば、すぐにドーナが顔の前で手を振った。


「あ……いえ、偶然でございます」


「え?」


「実は、お嬢様のお食事は本日から宮廷の料理人が作ってますので、わたくしもラピスの食事のことをすっかり忘れていたのですわ」


「それじゃあ、どうしてナッツを?」


「ルーカス様が……その、お嬢様にナッツをお出しするように仰られたようで」


「ルーカス様が? どうして? だって……私」


そこまで言うとドーナも私がなにを言いたいのかわかったようで眉を顰めている。


「婚約の誓約書をご返信する際に、お嬢様がナッツアレルギーだと記載したはずですのにナッツを食べさせようとするなんて……」


「じゃあドーナがここに食事を運ぶ際に私の目に触れないようナッツだけポケットに?」


「えぇ、さようでございます。こんな嫌がらせをするなんてさすが悪魔王子ですわ」


「そうだったのね。それを聞くとほんと、先が思いやられるわ」


「でもご安心を。今後もわたくし、食事については毒見したうえでお嬢様にお持ち致しますので。またナッツについては筆頭執事のカイル様に直訴しておきますわ」


そんなドーナの言葉を聞きながら、私はふとあることが閃く。


「待って、ナッツはこれからも用意もらってくれる?」 


「お嬢様?」


「だってナッツはラピスの大好物だもの。野菜や果物は私の食事から分けるとして、こんな良質なナッツはなかなか手に入らないし、逆に好都合だわ」


「まぁ、さすがお嬢様ですわ!!」


ドーナは拍手をして見せると、うっとりと私に羨望の眼差しを向けてから微笑んだ。


「それでは早速、明日からもナッツをお出しするよう料理長に掛け合って参ります。お嬢様もお食事を終えられましたら、今夜はごゆっくりお休みになられてください」


「えぇ、ドーナもね。また明日」


「はい、失礼致します」


ドーナは私に向かって丁寧にお辞儀をしてから、そそくさと部屋から出て行った。


「きゅうっ」


「あら完食ね」


ラピスは全てのナッツを食べ終わると、髭の手入れをしながら満足そうにベッドにと向かっていく。


「ふふ、お腹いっぱいになって眠くなったのかしら……じゃあ冷めないうちに私も頂こうかしら」


私はラピスに目を細めながらスープを一口、口に含む。


「おいしい……」


トマトベースなのだが、酸味と甘味のバランスがちょうど良く出汁がよくきいている。


私はスープを飲み干すと、新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダもあっという間に食べ終わる。そして今日のメインディッシュの魚料理に舌鼓を打った。


正直あまり食欲が湧いてなかった私だったが、どの料理も偶然にも私の好物ばかりで気づけば山盛りあった食事を全て食べ終わっていた。


「ふぅ、お腹いっぱいだわ」


私は席を立つと部屋についている浴室で湯浴みをすませた。寝室に行けば、ラピスはすでに丸くなって枕元で可愛い寝顔を見せている。


「ふふっ、可愛い」


いつもなら眠る前は読書と決めているが、今日はお腹が満たされた途端、疲れからか急激に眠気が襲ってくる。


私は体をふかふかのベッドに沈み込ませた。


その時──ガチャッ!


(──!!)



扉を開く音にラピスが身体をビクンと震わせるとすぐに私の髪の中に潜り込む。


私は音を立てないように枕元に置いている剣を静かに手繰り寄せた。


(誰?)


暗くてよく見えないがその大柄な人影は私のいる寝室に真っすぐに入って来る


「……リリー」


(え?!)



聞き覚えのある声と共にはっきりと視界に捉えたその顔に、私は声も出せずに目を見張った。


ベッドで剣を握りしめている私をのぞき込んだのは、まぎれもなく私の夫となったルーカスだったから。


「る、ルーカス様?!」


「そんなに驚いた顔をされるとは心外だな……」


「な、何の用ですの?」


私の言葉にルーカスがバツが悪そうに頬を掻いた。


「そ、そのなんだ……今日は初夜だと思ってな」


「初夜?!」


私は大きな声で復唱してから、思わず口元を手で覆った。


(すすす、すっかり忘れてたわ……)


(初夜する気があったの?!)


そしてすぐに色々な疑問や不満も湧いてくる。


(あ、あんなに私のこと無下に扱っておきながら?)


(キスするのも嫌がった癖に?)


(もしかして、初夜なら暗くて顔がわからないからちょうどいいとか?!)


(うぅ〜〜、厚かましいにもほどがあるわっ!!)



私はそう結論づけるとルーカスをキッと睨みつけた。


「致しませんわ」


「な……っ」


「わたくしたちは契約結婚ですもの。初夜も偽装すればよいでしょう!?」


語気を強めてそう言えばルーカスが眉間に眉を寄せた。


(な、なに怒るの?!)


恐ろしいほどの形相をしていたが、ルーカス

何もいわずしばし口を噤んだ。そして何か思案している様子を見せてから、私の目を真っすぐに見つめた。


「お、お前に嫌われているのは重々承知している……だが初夜を別々に過ごせば王宮で良からぬ噂がたつやもしれん」


「それは……」


「この通りだ。今夜だけ一緒に眠らせてもらえることはできないか?」


そう言うとルーカスは上質な白いシャツを羽織った上半身を折りたたむようにして、頭を下げた。


「えっ?! あ、あの、そのようなことされたら困りますわっ」


「お前に何もする気などさらさらない。指一本、髪一本触れない」


「…………」


「なんなら、神にでも悪魔にでも誓っていい。さらには俺のこの命にかけて絶対に何もしないと誓おう!」


(そこまで言われると……なんか逆に私に何の魅力がないみたいに思えてくるじゃない)


(そもそも……ここまでする理由はなに?)


私は唇を固く結んだルーカスをみながら顎に手を当てた。


でも確かにルーカスの言っていることにも一理ある。


ただでさえ、悪魔王子と男勝りで熊のような公爵令嬢だと揶揄されている私たちの結婚は、あまりにも劇的だったため、国中が驚きどよめいたのは事実だ。


ルーカスの言う通り初夜も一緒に過ごさないなんてこの結婚にはやはり何かあるのでは?なんて噂がたつのは得策では無い。


平穏な夫婦を装いながら、まずはこの王宮の内部を調べ上げ、いつか必ず犯人を見つけ出すことが私の使命なのだから。


(でも……一緒に寝るなんて。本当になにもされないかしら……)


(だってあの悪魔王子が頭を下げてるのよ。何か陰謀でも隠されているとか?)


(はぁ、どうしましょう、全然わからないわ……)



その時だった──。


「きゅうっ!」


「な……っ」


ラピスが私の髪から飛び出してくると、ルーカスの肩にちょこんと乗っかった。


ルーカスも驚いたのだろう。切れ長の目を丸く見開いている。


「え、ラピス?!」


「きゅきゅう〜」


ラピスはとても警戒心が強い。未だにドーナやお父様でさえも身体に触れることを嫌い、知らない人の肩に自ら乗る姿など、私は一度も見たことがなかった。


「何してるの、こっちにおいで」


「きゅうきゅうっ」


ラピスは私の手招きにも応じず、ルーカスの肩から膝の上に降りると、ルーカスを小さなまなこでじっと見つめた。


「ふっ、久しぶりだな」


(え?)


ルーカスはラピスの額を指先でくすぐるように掻いた。


「ルーカス様?」


「あ、いやそのなんだ……お前に剣を突き付けていたとき、ポケット越しにコイツと一瞬目が合ってな」


「そう、でしたの?」


「ああ」


私はルーカスとラピスの顔を交互に見つめた。


(ラピスがこんなに心をゆるすなんて……)


ラピスは暫く気持ちよさそうに目を細めてから、再びルーカスの肩に登るとルーカスの頬をぺろりと舐めた。


「はは、くすぐったいだろう」


「きゅ〜」


ルーカスのくしゃっと笑った笑顔に私は思わず見惚れていた。


(はじめて笑ったわ……)


いつも仏頂面で眉間に皺をよせ、気難しそうな顔をしたルーカスしか見たことなかったから。


そしてほんの一瞬、記憶の片隅の誰かとと目の前のルーカスが重なりそうになる。



(あれ? この笑顔ずっと前にどこかで……?)



「きゅうっ」


ラピスはルーカスの肩から私の肩に乗り移ると、今度は私の頬を舐めた。


まるで大丈夫だと私を安心させるように。




「……疲れているのに無理な提案をして悪かった。俺は椅子で寝るとしよう」


「え?」


私が返事をしないことを拒絶と受け取ったのだろう。ルーカスがベッドサイドから立ち上がる。私は慌てて口を開いた。


「あのルーカス様」


「なんだ?」


「な、何もされないのであれば隣……どうぞ」


「な……っ、いいのか? 別に俺は椅子で寝るのは慣れているぞ」


私はその言葉に思わずクスッと笑った。


(椅子で寝るのを慣れている王子様なんて初めて聞いたわ)


「なんだ?」


「いえ、どうぞこちらへ」



私がベッドの左端に移動すれば、ルーカスが遠慮がちにベッドに入って来る。そして大きな体を横たえた。


ギシッとスプリングが沈む音が聞こえてきて私の鼓動が勝手に駆け足になっていく。


そして少しの間、沈黙が流れたあと先に口を開いたのはルーカスだった。


「リリー。ひとつお願いごとがあるのだが」


(お願い?)


私は一呼吸おいてから静かに返事をする。


「それはどのようなことですの?」


「俺の名前を……気軽に呼んでくれないか。仮にも……妻からそう堅苦しく呼ばれると息がつまりそうだからな」


(敬称を付けずに呼んで欲しいだなんて……悪魔王子のイメージからしたら意外だわ)



「承知致しましたわ」


「そうか。では早速頼む」


「え……っ」


ルーカスはなにやら子供のようにワクワクした目で私を見つめている。


「あの……その、ルーカス……」


「うむ。今日から宜しく頼む」


「こちらこそ、今日からその宜しくお願いします」



ルーカスは満足そうに頷くと、真上に向けていた身体を、私に背を向けるように向きを変えた。


今夜は本当に何もする気がないというルーカスの意思表示なのだろう。


そしてまた静寂の時間が流れ出す。


私は隣で背を向けているルーカスを見ながら思いを巡らせる。


(なんだか……掴みどころのない旦那様だわ)


(いつも怖い顔していて威圧感があって殺気立っていて)


(でも……本当に悪魔と呼ばれるほどの恐ろしい人なのかしら……?)


私は答えの出ないあれこれを考えていると、だんだんと眠気が強くなってくる。


(誰かがそばにいて眠るのなんて……お母様が添い寝してくれていた以来だわ)



私たちの結婚生活はまだ始まったばかり。


悪魔王子と呼ばれる旦那様がどんな人なのか、本当にお母様の事件に関わっているのか。


何がどれが真実なのかなんて一つもわからない。


私が求めた真実の先には、皆が噂している通りの私利私欲にまみれ、嘘で固められた“呪われた結婚”という事実があるだけなのかもしれない。


私は左手の指輪をじっと見つめる。


先程ルーカスに聞こうと思って結局、聞けなかったが、私はルーカスの嵌めている指輪について気になったことがあった。


(ルーカスの指輪には……淡いピンク色のダイヤが嵌め込まれていたわね)


(偶然かしら……? 互いの瞳の色みたい)


もうルーカスは眠ってしまったようだ。私から見える大きな背中は規則正しく肩を揺らしている。


(なんだかすぐに眠れそう……)


私はルーカスに対してずっと嫌悪感しかなかった。けれど今、目の前でこんなにも近い距離で眠るルーカスに対して、不思議と嫌悪感も恐怖心も何もない。


(むしろ……なんだかほっとする……?)


もう少し頭の中を整理したかったが、もう意識は眠りの入り口まできてしまったようだ。私はいよいよ重くなった瞼をそっと閉じると、ゆっくりと眠りの底へ向かって意識を手放した。


深い海に沈むように、ゆっくり心地よさに飲まれるように。




「──大切にする」



もう夢の中だろうか。


どこからかルーカスのそんな優しい声が聞こえた気がした。



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